フレデリック・バック映画祭@神保町シアター

神保町シアターで〈フレデリック・バックの映画〉を観た。

本当はアテネ・フランセでヴェンダースの「都市の夏」を観たかったのだが、悔しいことに間に合わなかった。
どうにも落ち込みが酷くて、またそんなときに限ってロクなことがないもので、落ちるとこまで落ちて早く帰りたいけど帰ることすら面倒な状態になったので、逃げ込むように神保町シアターに入った。
作品云々よりも神保町の街とこの映画館の雰囲気が好きなので、とりあえず中で休もうと思った。昼間興行の「日本映画 女流文学全集」は終ってしまっていたので、やむなく(というとアレだが)フレデリック・バックを観ることにする。普段なら1000円だが、特別興行だからか1500円。ちょっと損した気になる。

一本目は「木を植えた男」

これが結構拾いものだった。カレル・ゼマンの一連の作品とか中国の水墨画アニメとか、セル画を用いないアニメは好きなので、この動く絵本のような作品もツボだった。荒れ地を描いてるのにタッチのせいか透明感もあったり、紙の質感が感じられたり面白い。
この作品は他の3本と較べて音楽が付いていない場面も比較的多いが、老人の靴音とかドングリの転がる音がいちいち心地良い。以前から思っているのだけど、フィルムに焼き付けられた音(特に足音などの地味な現実音)はどうして耳に優しいのだろう。レコードの針音のようなノイズとこれらの音だけでリラックスできる。3DにDTSとかもいいんだけど、何十回も名画座にかけられてきた古いフィルムの音は本当に素敵だ。

二本目「トゥ・リアン」、三本目「大いなる河の流れ」も映像は素晴らしいが、若干文明批判色が強いのであまり好みではなかった。

最後の「クラック!」は今回観た4本のなかで一番良かった。

ロッキン・チェアの生涯(?)を通して失われていく古き良き生活を描いていて、例によって文明批判でもあるのだが、市井の人々の生活がメインに描かれるのでそんなに説教臭くない。
なにより素晴らしいのが音楽で、子供が生まれた祝祭の場面ではフィドルがフィーチャーされたダンスが楽しい。北欧っぽさも感じたのだが、舞台はケベックらしい。

期待しないで観たからかもしれないが、充分満足。
また好きな海外のアニメーション作家が増えた。1500円でも損ではなかったなという印象。

Mahogany「Connectivity!」

眠れないついでにダラダラと。

Mahogany「Connectivity!」がもっぱら最近のヘビーローテーション。エレクトロニカ寄りのシューゲイザーだが、ひたすらポップで聴きやすい。ギターもノイジーじゃないし隙間も多い音だから、シューゲに括るのが間違いなのかもしれない。
中でも「Neo Plastic Boogie Woogie」は彼らなりのウォール・オブ・サウンド(?)で、そのスペクター解釈からいつも「ウララカ」を連想する。
↓PVはイマイチだけど。

とにかく心地好いアルバムで、個人的にはこれまた最近聴いてる「自律神経にやさしい音楽」っていうヒーリング系のCDよりもヒーリング効果は上。
なんだかんだ言って自分の好きな音楽を聴くのが一番いいんでしょう。

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古今亭志ん生「火焔太鼓」

「古今亭志ん生 名演大全集1 火焔太鼓/黄金餅/後生うなぎ/どどいつ、小唄」

落語はきちんと聴かなきゃいけないとずっと思っていたのだ。
高田先生や達郎さんのラジオを聴くにつれ、魔夜先生の漫画を読むにつれ。
でもどこかハードルが高いという印象があったのと、まずは落語よりも音楽CDをレンタルしてしまうのとで、なかなか聴く機会がなかった。

最近はちょっと音楽を聴くことに疲れている。パンクやグランジはうるさく感じるときが多いし、人の声自体が鬱陶しくてしょうがないときもある。
疲れてんのかなぁと思ってヒーリングやアンビエント、ノイズなんかを聴くとすごく気持ちがいい。そんな流れで、落語を聞くなら今かなと思ったのだ。
人の声が鬱陶しいことと落語を聞くことは矛盾しているような気もするが、名人の話芸は凡庸なヴォーカルの対極に位置する。
落語を聴くならまずは志ん生だろう。それぐらいはいちおう知ってる。それぐらいしか知らないが。

で、とりあえず一枚借りてきたが、めちゃくちゃ面白い。声を出して笑うんじゃないけど、聴いている間ずっとニヤニヤしてしまう。爆発的な笑いじゃなくて、慢性的な幸福感というか、頭ん中のめんどくさい回路が弛緩する感じが快感だ。疲れてるときにお風呂に入るとか、眠気に素直に従って昼寝する感覚に近い。
「火焔太鼓」以外の二つは結構残酷な話のはずなのにそれを感じさせないのがすごい…とか偉そうに講釈垂れる前にいろいろ聴こう。この全集だけで48巻、他の噺家さんも含めてちょっとずつ聴けば、しばらくは楽しめそうだ。

永井荷風「すみだ川」「監獄署の裏」

sumidagawa

『すみだ川』。
ちょっと中途半端なところで終ってしまう感もあるが、主人公の切なさが伝わってきていい作品だと思う。やっぱり現実嫌いな人のほうがいいものを書くよなぁ。隅田川の描写はさすが。

『監獄署の裏』は当時の日本に対する嫌悪感を露骨に表明していて、「いいとこのボンボンがなにぬかしてんだ」と言われてもしょうがない文章が延々と続く。スノップすぎるかな。

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鈴木清順「殺しの烙印」

最近自分のなかの引き出しが枯渇してるので、意地でも時間を作って映画を観ることにする。
今日は「殺しの烙印」を観た。

自分は「旧ルパン」、それもシリーズ前半の所謂「大隅ルパン」信奉者なので、当然本作もずっと前から観たかったのだがなかなか機会がなかった。妥協してDVDで観賞。

ストーリーを追ってもあんまり意味がないんだろう。個々のシーンはとてもヘンでカッコイイ。
後半は真理アンヌが撒き散らす死の匂いが作品全体を浸蝕して、シュルレアリスムぽさも感じられるが、殺し屋ナンバー1との同居やら、リングでのラストシーンやらはほとんどギャグみたいな展開である。
格好良さと格好悪さの綱渡り的なバランスというか。

多少ダレたが、ワケのわからなさも徹底してくれれば楽しめる。

正直云って傑作なのかどうかわからない。
でも面白い映画には違いない。

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The Beatles「Abbey Road」

説明不要の名盤だが、これが実はそんなに好きじゃない。どうもB面のメドレーがウイングスっぽくて(本当は逆だけど)苦手なのだ。
たぶんこのアルバムは、それまでのアルバムと制作時の熱のベクトルが違う。それまでのアルバムは、常に創作衝動を外に向けて放射することで出来上がっていたように思う。原点回帰を謳った「ゲットバック・セッション」ですらそうである。

でも「アビー・ロード」は逆に、溢れる創作意欲を”如何にうまく収束させるか”にエネルギーが向けられている(ジョンは創作意欲すら欠いていたように思うけど)。ビートルズを”終わらせる”ためのアルバムだからそれも当然だが、そのへんがどうも大人しいというかプロフェッショナル過ぎて好きになれない。
プロデュースを依頼されたジョージ・マーティンが提示した条件は「今までのやり方に戻ること」だったらしいが、いかに「ゲットバック・セッション」の傷が生々しかったとはいえ、従来のやり方を踏襲するというのはビートルズらしさから最も遠い行為である。

マーティンやポールにとって会心の一枚なのは容易に想像がつくけど、なんかもう一つ愛せない。いつも一歩引いて聴いてしまう。
ただこの最高のジャケットだけは、いつだって手放しで称賛できる。

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永井荷風「狐」

永井荷風「狐」
解説によると初期の短編らしい。もう世界が確立してる。庭の描写は後の老人趣味に繋がるし、崖下の貧民窟と庭の対比も零落趣味を思わせる。

ああ、夜ほど恐いもの厭なものは無い。三時の茶菓子に安藤坂の紅谷の最中を食べてから、母上を相手に飯事の遊びもするかせぬ中、障子に映る黄い夕陽の影の見る見る消えて、西風の音樹木に響き、座敷の床間の黒い壁が真先に暗くなって行く。母さまお手水と立って障子を明けると、夕闇の庭つづき、崖の下はもう真暗である。私は屋敷中で一番早く夜になるのは古井戸のある彼の崖下……否、夜は古井戸の其底から湧出るのではないかと云うような心持が久しい後まで私の心を去らなかった。

子供の眼から見た夜の怖さが鮮やかだ。
それにしてもお母さん好きだったんだな。この怖がりな子があの偏屈な荷風翁になるとは想像できない。

それにしても綺麗な文章である。去年大学で川本三郎先生の授業を受けたとき、先生が荷風の文章の見事さを力説していた。先生は原稿を書く際に作品の文章を引用するところも、その引用部分を指定したりコピーを貼るのではなく、文章を書き写すとおっしゃっていた。良い文章はそうやって味わうべきだと。
自分も読んだ本の印象的な部分はノートに書き写すことをしていたので、なんか妙に嬉しかった。
…最近はそのノートもほとんど書いてない。良くないなあ。

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