Blue Red And Grey

『The Who By Numbers』収録の名曲、「Blue Red And Grey」。ロジャーも先日のライブで歌ってくれた。
どうしても眠れない夜はこの曲を聴きたくなる。

このアルバム制作時、ピートはかなり精神的に参っていたようだ。アルバム収録曲はどれも陰鬱な歌詞を持っている。
しかしサウンドは明るい。美しい旋律やハーモニーが惜し気もなく繰り出される。

このアルバムはピートの『Pet Sounds』だ。
『Pet Sounds』を形容詞として使うときに、この言葉が持つ〈最高傑作〉という意味を重視するなら、このアルバムはその限りではない。
だがその言葉が孕んでいる〈純粋さ〉は、このアルバムに溢れている。

確かにブライアンが表現した、思春期特有の不安定な感情はここにはないし、30を過ぎたアル中であるピートは純粋ではないのかもしれない(純粋すぎるからアルコールに溺れてしまうのかもしれないが)。
それでもこのアルバムが美しいのは、ピートの聴き手に対する誠実さの一点に拠る。
彼のファンに対する気持ちは10年前のデビュー時から全くぶれていない。
一切の驕りやごまかしを許さない真摯な関係であり、それを〈純粋さ〉と呼んでも問題は無いはずだ。

このアルバムを評して、〈小粒だが佳曲が揃った好盤〉などと軽く済ます人もいるが、そんなことを言うヤツは何もわかっちゃいない。
『My Generation』の10年後に『By Numbers』があるからこそThe Whoであり、「歳取る前に死にたい」と歌ってしまったことから逃げずに向き合う誠実さを持っていたからこそThe Whoである。

最高傑作ではないかもしれない。でもこんなに素晴らしいアルバムもない。
The Who以外、Pete Townshend以外に誰がこんなアルバムを創れただろうか。

Pete Townshend「The Quadrophenia Demos 2」

昨日のロジャーの興奮で寝不足なままDU新宿本館へ。
RSD限定10インチ第2弾。

ジャケは前作よりイイ感じ。
「Sea And Sand」が収録されなかったのが意外。ジャケもそんな感じなのに。
「Is It Me?」も「Love Reign O’er Me」も結果的に『Quadrophenia』に転用されたけどちょっと古めのデモだし。まぁアルバムの大トリを外すわけにはいかないか。

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Roger Daltrey @ 東京国際フォーラム 4/24

暗闇の中ロジャーが背を向けて立っているところに「Overture」がジャーン、という格好良すぎなオープニング。
わりとミスも多いけど決めるところはキッチリ決めてくれるし、ロジャーが終始ご機嫌なのがなによりも嬉しい。

TOMMYの中でもOvertureSparksあたりのフーで演るとピート主導のインプロ色が強くなる曲は、スタジオ盤を意識した演奏が妙に新鮮に感じられる。

I Can See For Milesをライブで聴くのは初めてだけど、この曲はそもそもライブ向きじゃないと思うんだよなぁ。89年のリユニオンとか、94年頃の「Sings Townshend」ライブでも演ってたけど、どれもしっくり来ない。
ラストのBlue Red And Greyはロジャーも苦戦しながら歌ってる感じなんだけど、それがまた愛おしい。「By Numbers」からの曲はフー本体でもあんまり期待できそうもないので、Imagine A Manとかも歌って欲しかった。

正直そんなに期待はしてなかったけど、予想以上に良かった。フーじゃないんだからもっとソロ曲をやって欲しかったが、その辺は広い層にアピールしようとすると難しいのかな。Without Your Loveが良かっただけにちょっと惜しい。
Days Of Lightは拾いものだった。ロジャーのソロのなかでも「Rocks In The Head」は聴くことが少ないのだが、この曲のおかげで最近よく聴いている。いいアルバムです。

Who Are Youは賛否両論ありそうだけど、個人的にはこれもアリかなという感じ。「CSIの2曲」が良かったと後ろの席のご婦人が言っていた。(「ジュリーみたい!」だってさ、ロジャー!)いろんな入口から入れるのは楽曲の良さの証。
この曲とかBehind Blue Eyesのように変化球アレンジの曲と、フーの(ライブではなく)スタジオアルバムを意識した演奏が並べられていたことが新鮮さにつながっていたと思うし、「フーのようなライブ」を期待したファンからすれば期待はずれだった原因でもあると思う。

ケニーもザックも好きだけど、TOMMYに限ってはキースじゃないとダメだと思う。今回のドラマーも、なまじキースっぽいフレーズを連発するぶん物足りなさが増したり。
ただそれを言っても始まらないし、急ごしらえのリズム隊にしてはかなり良かったと思う。

次はまたピートと一緒に、The Whoで来て欲しい。ロジャーもそう言ってくれたし。楽しみにしてよう。

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R.I.P. Levon Helm

信じたくないニュースを目にしてしまった、悲しい金曜日の朝。

好きな人ばっかりどんどん逝っちゃうんだ。どんどん世界がつまらなくなるんだ。

ありがとう、リヴォン。

天国でも無骨に叩いて歌ってくれ!

安藤健二「封印作品の謎」

なんかいまさらだけど「封印作品の謎」を読んだ。ひどい本だった。
スペル星人も狂鬼人間もブラックジャックも、基本的な情報は押さえられてるけど目新しい情報はない。
「狂鬼人間」はこのなかでは一番封印を解いて欲しい作品なので、ある程度事情は明かされたものの、後味の悪い結果になっていて残念。

でもまあ、以上三作品についてはそれなりに面白い。
問題は以下二つの章。

「ノストラダムス」と「雪男」のドラマCDは「宇宙船」の広告を見てからずっと気になってた。当時は小学生だったので、ドラマCD自体なんだそりゃ?だったし、なんで映像がなければ出せるのか不思議だった。だからその辺の事情が明かされたのは嬉しい。

ただ、この本の「ノストラダムスの大予言」のあらすじ紹介、「映画秘宝」からほとんどそのままパクってる。
その「秘宝」の記事を執筆した山田誠二氏にもインタビューしてるので了解済みなのかもしれないが、それでも引用してる旨書くのが普通だろう。あるいは著者がとんでもなく非常識なのか。

最後のO-157ゲームの章はいきなり著者の体験を交えた若干私的なものになる。
私的なのは問題ないとしても、著者の18禁ゲームとかアニメに対する基本的なスタンスの説明が不十分なまま、主観的な記述が続くので読みにくい。
そのうえ、元新聞記者ということもあるのか、下世話なくせに中庸を保とうとする姿勢が鼻につく。
この悪い意味での下世話さがどの章にも一貫している。とても薄っぺらいというか、やっぱり新聞的というか。
たとえばあとがきの最後はこんな文章で締め括られている。

それと昨年の夏、単行本のテーマを何にするか迷っていた私に「発禁関係の本なら読むかも」と助言してくれた方に伝えたい言葉があります。あなたのあの一言がなければ、この本は存在していなかったでしょう。

著者はO-157ゲームの章で、匿名をいいことに祭り的に騒ぎ立てる2ちゃんねらーの姿勢を批判して、〈ネット社会の行く末に一抹の不安を感じてしまった〉なんて言っているが、本書の執筆動機自体が2ちゃんねらーの野次馬精神と大して変わらない。

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川本三郎「荷風と東京 『断腸亭日乗』私註」

大学でお世話になった川本先生の名著。名著といいながら文庫版の上巻を読んだ後なかなか下巻を読む時間が取れず、漱石まつりを終らせて一気に読了。
「日乗」を丁寧に読みながら荷風の行動、嗜好を紐解いていく。学究的な作業でもありながらエンターテインメントとしても一級品で、読んでいると当時の東京が眼前に浮かび上がってくるし、実際に銀座や玉ノ井を歩きたくて仕方なくなる。

なかでもやっぱり、十六章「放水路の発見」以降、東京の東へと足を伸ばしていく荷風を描く章段は素晴らしい。川本先生の意識が荷風の意識に共鳴、並走し出す。優れた評論かくあるべし、という感じ。
十七章の註釈にもあるが、先生の推測通り小津安二郎も「日乗」を読んでいたことが明らかになるあたりは白眉。作品を表面的に見ているだけじゃ絶対に出来ない芸当だ。

二十八章以降は、ユートピアとしての玉ノ井を「発見」した荷風が描かれる。三島は「濹東綺譚」を〈一番下品なことを一番優雅な文章で、一番野鄙なことを一番都会的な文章で〉書いた小説だと評したが、そんな作品を創り上げる荷風を一番美しい文章で描き出すのが川本先生である。
繰り返しになるが、川本先生の意識が荷風の意識と共鳴している。そこに読者も引き込まれる。この本もまた荷風文学というユートピアへの入口になっている。

「幻のモダニスト 写真家堀野正雄の世界」@東京都写真美術館

東京都写真美術館にて、「まぼろしのモダニスト 写真家堀野正雄の世界」

この頃の写真家だと小石清、平井輝七をかろうじて知ってる程度。堀野正雄はこの二人より即物主義的な感じで、機械や建築物を被写体とした写真は未来派だったり、構成主義的だったりで魅力的。

「犯罪科学」(カッケー!)誌上に発表されたグラフモンタージュのなかに、向島、亀戸あたりの暮らしをモチーフにしたものがあった。誌面が訴えているのは、東京の西側が復興、発展していく一方でそのワリを食うかたちで貧しい暮らしを強いられている人々がいるよということだったと思うが、これらの写真に映し出されている光景は、まさに永井荷風が東京の東へ東へと足を伸ばしていた時期に見ただろう風景と一致する。
荷風が惹き付けられたであろう茫漠として物寂しい川縁や、煙突なんかの風景を思わぬところで観る事が出来て嬉しかった。荷風自身もカメラ好きで写真を撮っているが、モダニズムとは言い切れないまでも叙情を排したその写真は、新興写真一派と共通する面を持っていると思う。

他にも堀野が朝鮮や中国に赴いて撮った写真なんかがあったのだが、その辺はあんまり興味をそそられなかった。
やはり関東大震災以後、日中戦争が始まるまでの東京、東京がモダン都市大東京だった頃の東京には言い知れない魅力がある。