H・P・ラブクラフト「狂気の山脈にて」

ラヴクラフトの作品のうちでも傑作の一つと名高い「狂気の山脈にて」をようやく読み終えた。

完成度でいえば、「宇宙からの色」とか他にもっと良い作品がある。でも本作は「時間からの影」と合わせてラヴクラフトの宇宙観を味わえる。
また、非日常的な南極を舞台にさらに非現実的な事象が展開していくから、ひたすら想像力を駆使する楽しみがある。

いつも思うけどクトゥルフ神話、というかラヴクラフトの作品は視覚化したらおしまいである。
ひたすら長い形容詞を脳内で消化して映像を思い浮かべるから恐怖感が煽られて面白いのであって、実際に視覚化してしまったら旧支配者もダゴンもつまらない洋物クリーチャーになるのがオチだろう。エイリアンの初期デザインもクトゥルフの出来損ないみたいなヤツだったし。
(映画絡みで言えばこの作品は「遊星からの物体X」あたりに影響与えてそうだ。それを言うなら原作への影響か。)

どうもこの4巻は訳がこなれてない感があって、正直云ってちょっと読みづらい。もともと回りくどいラヴクラフトの文章が余計に回りくどく感じる。長編だから一気に読みたくても時間がなくて、どうしても作品に対する意識が途切れてしまったのが残念。

個人的には、旧支配者よりも終盤に出てくる巨大で盲目なペンギンのほうが生理的に気持ち悪かった。

H・P・ラブクラフト「狂気の山脈にて」 はコメントを受け付けていません。 カテゴリー: H.P. Lovecraft タグ

小川照夫「迥眺風景 京葉線の車窓から」

小川照夫「迥眺風景 京葉線の車窓から」を衝動買い。
京葉線の車窓から撮影した風景の写真集である。買わないわけにいかない。

80~90年代前半にかけて開発された東京湾周辺のウォーターフロントな風景が、個人的な原風景だ。

地元でもなんでもないけど、強く印象に焼き付いている。
この写真集にはららぽーとの傍にあったザウスの写真も何枚かあって懐かしくなった。

短い解説によれば、京葉線が旅客線として運転を開始したのは1986年。
同い歳だったのだ。
なんだかとても嬉しい。

永井荷風「放水路」

荷風の『放水路』が好きだ。川本三郎先生が激賞していた。

短いが、東京の東への荷風の愛情と人間嫌悪が凝縮された名随筆。『妾宅』にも劣らないと思う。

放水路の眺望が限りもなくわたくしを喜ばせるのは、蘆荻と雑草と空との外、何物をも見ぬことである。殆ど人に逢わぬことである。平素市中の百貨店や停車場などで、疲れもせず我先きにと先を争っている喧騒な優越人種に逢わぬことである。

四、五年来、わたくしが郊外を散行するのは、かつて『日和下駄』の一書を著した時のように、市街河川の美観を論述するのでもなく、また寺社墳墓を尋ねるためでもない。自分から造出す果敢い空想に身を打沈めたいためである。平生胸底に往来している感想に能く調和する風景を求めて、瞬間の慰藉にしたいためである。

いまの荒川にはここまで荒涼とした趣は無いし、当然人もたくさん(それほどでもないか)いる。
それでも堀切へ荒川を見に行くと気が晴れる。隅田川の華やかさとは違う寂しさがある。

永井荷風「放水路」 はコメントを受け付けていません。 カテゴリー: 永井荷風 タグ

安部公房「箱男」

また『箱男』を読み返す。

安部公房が自分にはツボなのかもしれない、と初めて思った作品が『箱男』だった。その前に『砂の女』も読んでたし好きだったけど、あちらは分りやすいトリッキーさはないので、漠然と凄い作品程度の認識だった。

『箱男』のなにがそんなに魅力的だったかといえば、文章の記述者がどんどん変っていくブッ飛んだ構造がまずひとつ。もうひとつが、各章のタイトル、中に挿まれた写真、そして文章のそこかしこに散りばめられた詩的かつ強烈な厭世色だ。

いま君が見つめているのは、机の上の、厚い板ガラスの切口だ。距離感もなく、何処にも属していない、純粋な青。多少緑がかった無限遠の青。逃亡の誘惑に満ちた、危険な色。君はその青のなかに溺れて行く。なかに全身を沈めてしまえば、そのまま永遠にでも泳ぎつづけられそうだ。この青い誘いを、これまでにも何度か受けたことを思い出す。汽船のスクリューから湧き立つ波の青…硫黄鉱山の廃鉱跡の溜り水…ゼリー状の飴に似せた青い殺鼠剤…行先の当てもなしに一番電車を待ちながら見る菫色の夜明け…自殺幇助協会、と言って聞えが悪ければ、精神的安楽死クラブから配布される、愛の眼鏡の色ガラスだ。(略)
もしかすると、君は、箱に深入りしすぎたんじゃないかな。手段にすぎなかった箱に、中毒しかけているのかもしれない。たしかに箱も、危険な青の発生源だと聞いている。

乞食に風邪をひかせる雨の色…地下街のシャッターが下りる時間の色…質流れになった卒業記念の時計の色…台所のステンレスの流し台の上で砕けている嫉妬の色…失業して迎える最初の朝の色…役に立たなくなった身分証明書のインクの色…自殺志願者が買う最後の映画の切符の色…その他、署名、冬眠、安楽死、そうした強アルカリ性の時間に腐蝕された穴の色。

初めて読んだのが最初の大学を中退した直後だった。だから〈失業して迎える最初の朝の色〉の一文に撃ち抜かれたのだ。朝じゃなかったが、退学届を出したあとに歩いた街は、開放感と後ろめたさ、“降りてしまった”甘さにまみれてとても魅力的だった。

記述者云々ではなく、終盤は物語の解釈が難しい。そこに<物語>を見出そうとするのが間違いなのかもしれないが、これからも読み返しては箱の内側の迷宮に彷徨い続けるのだろう。

安部公房「箱男」 はコメントを受け付けていません。 カテゴリー: 安部公房 タグ

The Who「Quadrophenia」(2002 Remastered LP)

久しぶりに御茶ノ水ユニオンへ。

2002年のEU盤(ドイツプレス?)「Quadrophenia」
180g重量盤で、たぶんオリジナルミックスのリマスターだったと思う。
90年代以降の再発アナログはややこしくて把握できない。<Back To Black>盤も持ってるけど、あれはアメリカ盤?シールドで聴いてないけどリミックスだったっけか?うーん…。
この前の「Director’s Cut」に合わせた再発はオリジナルのリマスターなので、そのうち買って02年盤と聴き較べてみようかな。でもぶっちゃけこのアルバムってそんなに各国盤で音質差がないような気がする。

他にも買ったことは買ったけど、最近レコ漁りがあんまり楽しくない。
棚を見ていても現れるのはレア盤と既視感だけだ…。

The Who「Quadrophenia」(2002 Remastered LP) はコメントを受け付けていません。 カテゴリー: The Who タグ

安部公房「第四間氷期」「飢餓同盟」

安部公房の新装版文庫も、早めに買っておかないと帯が変わってしまいそうなので、『第四間氷期』と『飢餓同盟』を購入。

『飢餓同盟』、表紙はまあまあイイ感じだけど、肝心の中身に思い入れがないので合ってるかどうかもよくわからない。イマイチだった記憶が強くて一度も読み返してない。思い入れがなさ過ぎて旧装丁のほうを持ってないことに気付いた。あぁ…。同じ小説を何度も買うのもなんだかなぁ。

『第四間氷期』は大好きなので、同じ小説を何度も買おうが全然構わない。今回の新装丁も素晴らしい。旧装丁も無機質な中に磯臭さが感じられて絶妙だったのだが。

〈新装丁〉

〈旧装丁〉

〈初版単行本〉

〈講談社再発本〉

真知さんの挿絵との統一感も考えればやっぱり最初の単行本が一番。でも今回の文庫もかなりいい。
あと二ヶ月ぐらい経ったら、読み頃だな。

安部公房「第四間氷期」「飢餓同盟」 はコメントを受け付けていません。 カテゴリー: 安部公房 タグ

「ホビージャパン 1995年1/2月合併号」

現実逃避にはあらゆる手を尽くしたい。昔持っていた本やCDを買い戻すのも有効な手段。

家に帰ると「ホビージャパン」のバックナンバーが数冊届いていた。
そのなかの95年1/2月合併号が、初めて買った模型雑誌だ。

おもちゃとは全く違うクオリティと値段のガレージキットを知ったのは、前年のHJ別冊「ゴジラ超獣伝説」(名著!)で、その後、ホビージャパン本誌を何度も買ってもらおうとねだったのだが、わりとエッチ系のフィギュアも載っているせいで買ってもらえなかった。
そんなこんなで一年近く、やっと買ってもらえたのがこの号だった。
今もそうだと思うけど、怪獣関連の記事はほんの少し。それでも広告まで含めて隅々まで読んだ。
ボークスとかウェーブの何ページもある広告とか、マジックボックスの細かすぎて目が疲れる商品リストとか…懐かしい。

酒井ゆうじ造形工房の広告には新作として「キンゴジ出現」の原型が。

この号で一番衝撃だったのが、読者ページに掲載されたSHINZENさんのフルスクラッチによるキンゴジとビオゴジの2体。

作者のSHINZENさんは中学生!とにかく作りたいという熱気が伝わってきて、荒木一成さんの本を読んで以来の紙粘土熱がますますひどくなった。
しばらくは紙粘土ばっかりいじくっていたが、ロクなものは作れなかった。もう一度ゴジラかバラゴンあたりをスクラッチしたいと思うのだが、なかなか時間がとれない。

その他のページもとにかく懐かしい。見ると全部覚えてる。まだスタチューとかアクションフィギュアが台頭してくる前なので、ガレージキットだらけ。怪獣キットも毎月コンスタントに出てたし。今となっては信じらんないなぁ。


HGシリーズもまだ初期。


ボークスのJrシリーズ…この頃のアイテムは初期に較べてつまらないけど、響きだけで嬉しくなるなぁ。