石川淳「マルスの歌」

石川淳。『マルスの歌』。

junyes

単純な小説ではないが、とにかく格好良い。

作家は世の中の“空気”を嫌悪し、同調を徹底して拒否している。
「マルスの歌」は架空の軍歌らしいが、軍神の名前を冠したところにも戦争に対する嫌悪は明白だ。

でもこの作品を反戦小説としてのみ捉えたくはない。もっと烈しい、生き方の表明みたいなものだろうか。
戦争批判より、同調圧力に対する生理的な嫌悪感のほうが前面に出ているように思う。
この国自体への、根本的な違和。

富士山を形容する一文が奮っている。

ふと北のほうの空を見上げると、どうしてもっと早く気がつかなかったのかと思われるほど大きく、高く、空いちめんを領して、非常にはっきりフジが浮き立っていた。しかし、頭脳にたたかいを挑むべき何ものももたぬこの山の形容を元来わたしは好まないたちなので、いかにそれが秀麗らしく見えようとも、なおさら感心するわけにはゆかなかった。

日本の象徴を指して〈頭脳にたたかいを挑むべき何ものももたぬこの山〉。そしてそれが〈いかに秀麗らしく見えようとも〉〈形容〉することを〈好まないたち〉。
痺れるしかない。

そして最後、またも歌われる「マルスの歌」に対して主人公は一言、「うるさい」と叫ぶ。

市井の人々の間隙を縫って低空飛行しているような、石川淳独特の余裕はほとんど感じられない。
前方に立ち込める暗い時代の予感と、それに対する作者の強い「ノン」の言葉。

作者の反骨精神を尊敬はするが、いつもの作者が味わわせてくれる爽快感は無い。
それは石川淳をしてこれを書かざるを得なかった時代の空気が、こちらにも伝染してくるからだ。

厭になる。今とあんまり変わらないんだもの。

トーベ・ヤンソン「ムーミンパパ海へいく」

東陽町のギャラリーA4に、「トーヴェ・ヤンソンの夏の家」を観に行った。
展示自体は小規模ながら、クルーヴ島の小屋が再現されていて心地良い空間だった。
janssonsummer

「ムーミンパパ海へ行く」はムーミンの児童小説のなかで一番好きな作品で、夏になると読み返したくなる。何回目かの再読。
登場人物を最小限にとどめ、初期の作品からは想像できないような閉塞感を描いている。
ムーミン谷の住人達がほとんど出てこないので、必然的にムーミン一家3人の内面描写が主となる。

自分の役割に忠実であろうとするパパ、なにもかも自分で行おうとするパパに不満を持つママ、うみうまやモランと対峙することで孤独を見つめる“思春期の”ムーミン。

家族がそれぞれの居場所を見つけてもう一度家族になる物語は、ある意味息苦しく重いのだが、フィンランド湾の曇天を思わせるこの重苦しさが好きだ。
papan