豊田正義「消された一家 北九州連続監禁殺人事件」

最後はこの本だが、これは精神的にキツかった。殺人ルポにキツいもキツくないもないのだが、やっぱり耐えられる限界というのはあって、この事件はその限界点を突き抜けてしまっている。
13か14歳の頃、興味本位で女子校生コンクリート殺人事件についてまとめたサイトを読んでしまい、しばらく立ち直れなかった。あの衝撃に匹敵するツラさだ。

豊田正義「消された一家 北九州連続監禁殺人事件」。
kesaretaikka

当たり前のことだが、子供の頃に言われた〈知らない人や怪しい人についていっちゃいけないよ〉という教えは死ぬまで心に留めておかなければならないし、〈安心できる人や知っている人にもついていっちゃいけない〉のだ。
人間は何歳になっても判断を誤る。判断を誤るといっても、この事件の被害者になんの落ち度も無いのは明白だが。

主犯の松永太はほとんどの殺人で直接手を下さない。被害者であり共犯者である女性とその家族を電気ショックにより虐待、洗脳し、家族同士で殺し合いをさせる。この時点で常軌を逸しているが、個々の犯行も異常だ。
あまりに残酷で詳細な報道が出来ないほどだったという。これもコンクリ事件並みだ。

タイトルに偽りはなく、一家は“物質的にも”この世から消されてしまう。
個人的には、殺人や遺体解体の描写はある程度冷静に読むことが出来たのだが、松永が共犯者の家族を取り込むきっかけになる〈偽葬式〉事件には背筋が冷たくなった(ホントに)。
共犯者の女性が逃走先から連れ帰されると、3人の家族がいつの間にか昨日までとは違う人間になっている。まるで不条理SFを地でいくような不気味さと、どうしてここまで精神的に残虐になれるのか理解できない松永太という人間に戦慄を覚える。

逮捕後の松永の態度も酷い。徹底して自己保身のためにストーリーを作り上げる。だから口先の上手い人間は信用できないんだ、というのは早計にしても、たとえば〈意識の高い就活生〉とか〈キャリア実現を目指す人材〉なんかに対する嫌悪感は松永に対するそれと似ていることも事実だ。内定が欲しければ松永を見習えばいいんじゃない?
傍聴人や裁判官も彼の口の巧さに笑わされることがしばしばだったらしい。もちろん殺人犯に笑わされた事実に暗澹ともしただろうが。

被害者の少女が相当の勇気を振り絞って試みた逃走が奇蹟的に成功し、事件が明らかになるのだが、この逃走が失敗していたら、一家惨殺は完全犯罪として永久に明るみに出ることはなかった。
恐ろしいにも程があるが、ほぼ確実に、今も現在進行形で人知れずこのような事件が起こっているに違いない。

警察はこの事件の教訓をいくつか挙げたが、その中で〈不審な出来事は警察に通報すること〉も挙げている。確かに知人の様子がおかしかったり被害に遭っている場合、通報することが一番だとは思う。
しかし通報を繰り返していたのに警察に無視され続け、結局はストーカーに殺されてしまった桶川ストーカー殺人のような事件もある。

清水潔「桶川ストーカー殺人事件 遺言」(必読です。)
yuigon
万一、通報先が桶川事件当時の埼玉県警上尾署のようなクズ警察だったらという不審が拭えないのも事実だ。通報しても〈実際に被害がないと警察は動けないんですよ〜〉なんて言われそうだし。
(個人的な経験からも警察にはちょっと不信感があります。)

結局は同じく教訓に挙げられた〈性善説を信じない〉のが一番なのだろうか。
誰も性善説なんて端から信じてないと思うけどね。

この事件も、先に読んだ「黒い看護婦」の福岡連続保険金殺人も、久留米や柳川周辺で起きている。
柳川は一度でいいから行ってみたい街だ。でもたぶん、実際に柳川に行けばどこかで一瞬は必ずこの2つの事件が頭をよぎってしまう。
自分の中の柳川のイメージに泥を塗ってくれた、そういう意味でも許せない事件。

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森功「黒い看護婦 福岡四人組保険金連続殺人」

続いては「黒い看護婦 福岡四人組保険金連続殺人事件」。
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中年看護婦4人組による犯行。タイトルから予想していたような緻密な計画に則った事件ではなく、人心掌握だけは巧みなババアによる強引で場当たり的な事件の連続である。なんでバレなかったんだろうと不思議になる。
でもその運の良さなんかもサイコパスがサイコパスたる所以なんだろう。
あんまりな嘘(というかホラ)が次々と飛び出し、それがバレること無く事態が進行していくので、現実感がなく笑っちゃうような箇所もある。

しかし暴力と話術で他人を服従させていく吉田純子には空恐ろしいものを感じるし、彼女が同僚の看護婦に金を出させるためにする作り話が、奇妙な歪み方をしていて不気味だ。
バックに大きな力を持った〈先生〉がいると仄めかしたり、〈松風老人〉という美術評論家が私の身体を求めてくるとか、〈先生〉は若い頃に広島で被爆しているのでもう長くは生きられない、だから私と美由紀(同僚看護婦)がレズる様子をレポートに書いてオナニーの手助けをしないといけないとか…。

現実感を出そう、説得力を醸そうとして選んでくる言葉が普通じゃない。宮﨑勤が〈殺人の前にはネズミ人間が現れた〉と供述するのと同じような気味の悪さを感じる。
事実は小説より奇なり、とは人間のこういう部分を言うのだと思う。サイコパスはいくら想像力豊かな人間でも絶対に出来ない言葉の結び方をしてしまう。ただのデタラメではなく、彼らなりの論理のもとで必死に組み立てられたものなので、シュルレアリスム詩のような所詮予定調和の安心感もない。

あと、犯人の母親もかなりズレてる。無責任というか無神経というか。典型的な犯罪者の母親といった印象。この親にしてこの子供あり。

吉田純子は収監後もなお、配膳係を巻き込んで他のメンバーに手紙を渡し自分に有利な証言をするよう脅迫していたが、2010年に死刑判決が確定したようだ。

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毎日新聞社会部編「破滅 梅川昭美の三十年」

また犯罪ノンフィクション熱がぶり返して、一気に3冊読んだ。
毎回読み終えてしばらくは気が重くなる。ならやめればいいんだけど、犯罪者とか殺人鬼には惹き付けられてしまう何かがあるのだよ。

「破滅 梅川昭美の三十年」。
hametsuumekawa

まずはこれ。梅川といえば耳削ぎの伊達男のイメージ。写真のせいもあるのか、結構古い時代の事件だと思っていたら、1979年(昭和54年)の事件なので、意外と最近だった。それでももう35年前だけど。

なにがこの事件を古く感じさせてたのか考えると、やっぱりその写真。籠城中の梅川を写したものだが、キメキメの格好が出来過ぎていて絵空事っぽさを増幅する。
目的は銀行強盗という単純なものだし、関係者の言葉が広島弁や関西弁なのもあって、すぐそこにある〈80年代〉よりも、〈高度成長の終り〉もっと言えば〈戦後〉を意識させられる。

梅川の行動は単純なんてものじゃなく猟奇的だ。先述の耳削ぎの儀式もそうだし、人質を全裸にして銀行内を自分の絶対的な支配下に置くなど、まさしく鬼畜の所業である。実際は解放された後も人質が思い出すことを拒否して明らかにされていないことも行われていたんじゃないかと邪推してしまう。

母親と叔父2人だけの梅川の葬式の描写が辛い。この母親もいかにも貧しさを耐える昭和のお母ちゃんという感じの人だ。
時代の変り目を意識させられる事件は多いが、これはなんというか時代に置き去りにされた人間の事件という感じがする。

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伊福部昭「東宝怪獣行進曲」

いつどうして手放したのか思い出せないけど、いつの間にか手許から消えていたCDを買い直した。

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東宝レコードの「ゴジラ」以上の名盤だと思っている。

とにかく井上誠氏による構成が秀逸。
怪獣のライトモチーフ、マーチ、シークエンス別の楽曲の3部構成になっていて、主要な伊福部楽曲はほぼ網羅されている。

ライトモチーフは怪獣の鳴き声→音楽の順に構成されていて、怪獣によっては複数バージョンが収録されている。いままで気付かなかったが、アンギラスには伊福部先生作曲のモチーフが無い。ちょっと意外だ。
マーチは説明不要の楽曲が並んでいてテンションが上がる。海底軍艦マーチは2曲収録されているのが嬉しい。
一部の曲は短めに編集されているが、美味しいところを詰め込むだけ詰め込んだ感じでかなり満足できる。

作品ごとのサントラを入手するのが難しくなっているので、伊福部先生の生誕100年に合わせた再発やリマスターを期待したいところ。

本多猪四郎「怪獣総進撃」@神保町シアター

「怪獣総進撃」は昔から大好きだが、東宝が最後の怪獣映画のつもりで作ったことを知ってからますます愛着が増した。
その後に蛇足が続くことを知っていても、総決算として素晴らしい映画。

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冒頭からテンションが高い。黄金のタイトル文字から伊福部マーチが胸躍るクレジットへ。個人的には「大戦争マーチ」よりも「総進撃マーチ」のほうが好き。

世界各国に怪獣達が現れるシークエンスも、ミニチュアの出来には厳しいものがあるが畳み掛ける各国のアナウンスで高揚してしまう。願わくばバラゴンに凱旋門を破壊してほしかった。
久々の都市破壊となる東京のシーンも、従来の円谷演出とは感触を異にする有川演出が炸裂する。モノレールのマンダ越しのゴジラはステージの広さを存分に活かしているし、モノレールの駅を割って登場するモスラは作品の近未来感を巧く演出していると思う。水面からゴジラを捉えたショットがあるが、湾岸というより川か皇居のお堀のようにも見える。やっぱり皇居は避けて通ったのだろうか。荒廃した焼け跡の描写は第1作を思わす。

伊豆半島での自衛隊とゴジラ、アンギラスの攻防も好きなシーン。総進撃ゴジラもヘルメットを被った伊藤久哉も男前。
バイプレーヤーのいつも通りの出演も嬉しい限り。沢村いき雄と佐田豊の会話が作品世界の広がりを端的に見せる。これも脚本の巧さだ。

弱点だと思うのはロケットがSY-3ただ1機しか登場しないこと。
冒頭のナレーションでロケットは連日打ち上げられていると説明しているのに、月を調査するのも小笠原を調査するのも電波の発信源を探査するのも伊豆半島を調査するのもファイヤードラゴンを迎え撃つのもすべてSY-3。おかげでストーリーのテンポが若干鈍っている気がしないでもない。
複数機登場するのは東宝メカの伝統でもあるし、複数のロケットとクルーが登場しても面白かったと思う。デザインは素晴らしいのに惜しい。
もちろんこの時期には大作といってもそんな予算はなかったんだろう。

月面のキラアク基地を攻撃するSY-3。月面の描写が10年前の「宇宙大戦争」より後退しているのは寂しいが、久保明の「帰ることなんか考えるな!」というセリフにはテンションも上がる。

クライマックスの富士山麓攻撃までミニラが登場していないことに今回気付いた。本作を好きな理由にはそれもあったのかもしれない。
3匹はギニョールの顔見せ程度だけど、怪獣の揃い踏みはいつ見ても嬉しくなるし、ここぞとばかりの中島ゴジラの貫禄ぶりもカッコイイ。ゴロザウルスとの息の合い方も好きだ。
キングギドラは可哀想だが、アンギラス相手には結構健闘している。出るたびに複数相手にリンチされたんじゃ宇宙の帝王もたまらない。

その後ゴジラはキラアク地下要塞へ文字通り〈殴り込み〉をかけるわけだが、放射能が効かないとみるやまだるっこしいとばかりに突進していく姿がカッコ良くて可愛い。元気がいいが口を閉じると端正な総進撃ゴジラは中島春雄の演技がもっとも嵌まっていると思う。

ラストシーン、ヘリの中から怪獣達を見守る久保明や田崎潤の顔がとても優しい。それはスタッフ全員の気持ちでもあったはず。
製作時に撮られたスナップでギニョールに囲まれた利光貞三の顔を、〈好々爺の顔〉と形容したのはヤマダマサミだが、言い得て妙だと思う。制作発表時の怪獣達に囲まれた本多監督、円谷監督の笑顔も穏やかだ。

観ていて嬉しくなってしまう。こんなに多幸感溢れる怪獣映画は他に無い。
黄金期の東宝特撮を支えたすべての人々に感謝を。

本多猪四郎「怪獣大戦争」@神保町シアター

「地球最大の決戦」に続いて、「怪獣大戦争」。

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怪獣は脇役の感が強くて、登場するのも前回と似たようなメンツ、例のシェーもあるので、個人的な評価はそんなに高くなかった。でも観直すとやっぱり面白い。そういえば初めてビデオを買ってもらったゴジラでもある。

X星人がゴジラとラドンを借りたいと申し出る理由に前作とのつながりが見えたり、二匹が眠っている場所にもキャラクターが活かされていたり、やっぱり関沢新一は巧いなと思わされる。ただ前作に比べると展開がちょっと直線的な気もする。

本多監督はX星に波川と同じ顔をした女性が複数登場するシーンに不満だったようだ。本当ならズラッと何十人も登場させるべきなのに、画面には2人(次のカットでもう1人銃を持ったのがいる)しか出てこない。「海底軍艦」のムー帝国の描写にも同様の不満があったようで、だんだん厳しくなっていく制作体制が窺われる。
しかしX星人に圧倒的に男性が多くなったことで、水の欠乏とは別にミステリアンのような個体数の減少も地球侵略の背景にあったように思える描写になったので結果オーライかとも思う。

大戦争ゴジラはやっぱり可愛い。暴れっぷりもいいので都市破壊シーンが無いのは寂しい。
ただ、もう1/25スケールの着ぐるみ特撮だとマンネリになっているのは明らかで、円谷監督も乗り気じゃないように思える。ラージスケールの足は迫力があるけど新鮮さもない。フランケン2部作とは対照的だ。

今度日本映画専門チャンネルで放送されるマスターには長年行方不明だった字幕が含まれているらしい。こういう発見は嬉しい。
いつの日か予告編もオリジナルのものが観られますように。

どうでもいいが、上映終盤ずっと着メロを鳴らしてるバカがいた。一瞬ならしょうがないけど延々5分以上は鳴らしてて、案の定、終映後に近くの席の人に怒られてた。怒られて当然。
なんだかゴジラ特集はいつもの神保町シアターの客層と違って、明らかにマナーの悪い客が多い。映画館行ったことが無いわけでもあるまいに。

本多猪四郎「三大怪獣 地球最大の決戦」@神保町シアター

ゴジラ生誕60周年記念の全作上映。
1週目は行くことができなかった。初期の作品はそれなりに名画座にかかる機会も多いし、何度かスクリーンで観ているので諦めた。
いつもと客層が違う神保町シアター。本当はもっと子供達に観に来てほしいんだけど、まだ春休みじゃないのかな。

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まずは「三大怪獣 地球最大の決戦」。
「モスゴジ」以降の昭和ゴジラは「総進撃」「ヘドラ」以外はそれほど好きじゃなかったけど、観直してみて考えを改めた。
特に本作は「モスゴジ」を凌ぐ大傑作だと思う。

とにかく脚本が巧い。
いくつもの物語が一つの物語に収束していくダイナミズムは「キンゴジ」より上かもしれない。テンポの良い場面転換と関沢脚本ならではのセリフで飽きさせない。
怪獣達の会話を小美人が通訳してしまうという、本作最大の欠点も、人間達の会話が豊かだからその延長線上として楽しめた。子供の頃はこの擬人化が嫌だったのだが、今観ると違和感がないどころか作り手の余裕を感じてしまうから驚いた。
沢村いき雄や大村千吉らバイプレーヤーの活かし方も観ていて嬉しくなる。

それぞれの性格を活かした怪獣達の出現シーンも巧い。横浜市街を歩くゴジラが何かの気配を感じて上空を仰ぐが、すぐには姿を現さないラドン。じっと上空を凝視するゴジラ。ラドンのシルエットが明瞭になったところで高まるラドンのテーマ。敵を認めて元気に咆哮して尾を振り回す中島春雄のゴジラ演技。カッコ良すぎるシークエンス。

説明不要のキングギドラ出現シーンもいいが、それに続く市街地破壊のシークエンスは本多演出が堪能できる。
お店のシャッターや雨戸を閉める市民、逃げる人々を誘導する警官や消防団。村を破壊され悲しむ村民の描写は富士山麓の決戦の間も逐一挿入されていて、怪獣が人間にとって脅威であることも忘れずに示している。

映画はゴジラとラドンを崖の上に残したままあっけらかんと終わるが、こののんびりした多幸感はとても素晴らしいものに思えた。

怪獣と人間が、攻撃しつつされつつも、お互いに〈しょうがねえ奴らだな〉程度の認識で共存している。
例えば「ゴジラ」第1作目や「ラドン」のような、この世に生を受けたというだけで攻撃されざるを得ない異形のものの悲しみはここにはない。
以前はこの悲劇的要素が怪獣映画には不可欠のものだと思ってたけど、それだけでもないなと。お互いに相容れない存在でありつつも、どこかで畏怖や諦め、あるいは親しみを持って相手を許容している。
こんな世界観を伴った怪獣映画は、初代ゴジラとは別の意味で、海外では作れないだろう。

もしまた日本でゴジラが復活するなら、本作や「総進撃」のような世界観のゴジラが観たい。
ゴジラと放射能を切り離すことはあってはならないが、やたらに恐怖や悲劇性に固執すると84年の二の舞になるし、第1作を聖典扱いしてもミレニアムシリーズの二の舞になるだけだ。
いまさら第三次怪獣ブーム的な価値観を引きずることもないだろう。

他者に対してあまりにも不寛容な今の時代に、人間と怪獣が同じ世界に共存している映画は今までとは違う輝きを放って見えた。