The Who新曲「Be Lucky!」

50周年ツアーに合わせたベスト盤に収録の新曲。
「新曲のレコーディングもしたい」っていうのはお約束のリップサービスだと思っていたので驚いた。

ロジャー主導な感じのタイトルが新鮮。サウンドはきっちりThe Who。新味もそんなに無いけど、古臭くもなくスマートなのはさすが。ドラムがザックなのも嬉しい。
ジョンのソロ活動が結果的に90年代後半の復活劇に繋がったように、ロジャーとウィルコの共演がバンド本体に素敵なフィードバックをもたらした。
最近ウィルコは観光で来日中だったそうな。元気になったらフーのステージに殴り込んでほしい。

「夢の島少女」の深層 (18 1/2) 2014年の追記

umauma

(1)でも書きましたが、この〈「夢の島少女」の深層〉は大学の卒論を基にしています。極端に意味が取りにくい箇所は加筆なり訂正なりしていますが、基本的にはほぼ原文のままです。
原文のままですが、訂正しようがない論文としての大きな欠陥があるのです。前回までは、“『夢の島少女』の深層にあるもの”を考察してきましたが、次回以降は“『夢の島少女』から『四季・ユートピアノ』に至る創作の過程”を見ていくものになり、論の中身が途中から全く変わってしまっているのです。

言い訳にしかならないのは承知の上で、これには卒論執筆当時の状況が強く影響しています。

佐々木ドラマで卒論を書くことに決めたのは2010年の6月頃だったと思いますが、その翌日に特集上映『佐々木昭一郎というジャンル』開催のニュースが飛び込んできました。偶然と言えばそれまでですが、偶然以上のものに思い込もうとしていました。
その特集上映では佐々木・中尾両氏にお会いすることもでき、大感激しました。ただのミーハーです。
さらに、制作当時の台本やエッセイなど、佐々木監督自身が書いた資料を探して読み込んでいく過程で、思いもよらなかった高揚感を感じることになります。
70年代後半〜『四季・ユートピアノ』放送までに書かれたエッセイ群は、読み手の感性に強く訴えてくるもので、とにかく素晴らしかったのです。大袈裟でなく『四季・ユートピアノ』を初めて観た時のような一種の興奮状態になってしまいました。
(さらにいくつか偶然の出会いもありました。)

結果として、対象とする作品との距離感を見失っていくことになります。本来なら前章までの内容を踏まえて、“『夢の島少女』論の”結部を書かなければならなかったのですが、それとは別に70年代後半のエッセイに触れた興奮も記しておきたくなってしまい、強引に論にねじ込みました。それが次回以降の部分です。
佐々木作品が持つ、誰かに伝えたくなる魔力といえなくもありません。
本文では、『四季・ユートピアノ』が『夢の島少女』終盤の撮影から出発していることを傍証するための引用ということにして、〈『夢の島少女』論〉としての体裁を繕っています。

しかし、それはそれとして、『調査情報』誌に連載された「director’s note」と、『ドラマ』誌に連載された「脚本と真実の周辺」は、佐々木作品が好きな方には必読だと思います。機会があればぜひ一度読んでみて下さい。

では次回から、本論に戻ります。