「美少女仮面ポワトリン」第7話・第8話

第7話「アイドルじゃない…」
せっかく斉木さんメインの回なのにそんなでもない。斉木さんのお相手としては音無真喜子は役不足だと思う。コメディエンヌとして魅力がない。
斉木さんは可愛いのになぁ。斉木さん斉木さんばっかり言ってるけど斉木さんだからしょうがない。
07_1

第8話「ある代議士の陰謀」
浦沢脚本は嵌る回とそうじゃない回の差が激しい。それは多分こっちの体調とかそういうもんもあると思う。
コスチュームをクリーニングに出すヒロインとかなかなかやっつけ方がすごい回だけどあまり乗らない。
でも最後の代議士とのやりとりは良い。
「政治家に偉い人などおりません」。
偏見を偏見と認めながら言い放つ正義の味方。素晴らしい。
代議士役は大竹さんに演って欲しかった。
08_1

「夢の島少女」の深層 (21) 退行移動

佐々木は続いて、一九七五年四月二九日発行のミニコミ『FOLK ART vol.4』に、「退行移動」を発表する。
前半部はやはり孤独な少年期から青年期にかけての記憶が描かれるが、後半部では「私」と「少女」による、もうひとつの『夢の島少女』と呼べるような物語が展開する。

20_3

私の生涯の目的は、一人の少女を映画(フィルム)に撮り、彼女と永久に暮らすことであった。途方もない夢であった。しかし、これ以外に人生の目的は何もなかった…。
その少女は、私のアパートの近くにある駄菓子屋の二階に住んでいた。(中略)店の外には万年薔薇が咲いていた。その脇には水道の蛇口がひとつ、突出していた。蛇口の下には、少女がいつも足を洗うために使うポリバケツがひとつ、置いてあった。(中略)私は少女の水で体を洗い、それからコップにすくって飲む。そんな日が一ヶ月も続いた。「きみに、ほれたから、映画を撮りたい」、そんな一流作家なみのセリフを一度だけ吐いてみたいと私は想い続けていた。(中略)
毎週金曜日の夕方、少女は白いワンピースを着て外出する。少女は、私のアパートのすぐ近くを流れている、近々埋められる事になっている運河の橋の上に立つ。そこへ、白い車が迎えに来る。白い車には三十過ぎの男が乗っていて、少女を連れ去る。車は夜中の一時過ぎに、同じ橋の上で一分ほど止まる。車を下りた少女は、赤い靴をぬいで裸足、裏口から二偕へ駆け上る。これが金曜日の少女の行動だった。(中略)次の金曜日を待った。(中略)私の目的は、少女を橋から川に突落し、気絶させてアパートに運んでくる事であった。そして、その通りになった。(中略)
夢の様な日が続いた。少女は私が盗んだ牛乳を飲み、私が盗んだ浴衣を着せられ、この世のものとは思えない女に成長していった。

少女が足を洗った水を飲み、体を洗う被虐的な描写が目を引く。「私」が少女を橋から突き落としアパートに連れ込む描写は、佐々木の少女(中尾)への執着の強さを窺わせるが、ひょっとすると『夢の島少女』の初期構想にあった場面なのかもしれない。
その後、映像作品と同じように少女はアパートから逃げ出す。彼女はカメラマンによって犯され、映画監督によってラブシーンを撮影され、舞台演出家の前で裸体を披露する。そして「私」は、彼らを次々に殺していく。

深夜になった。男は少女を抱きかかえるようにしてガレージに向った。(中略)男が運転席側のドアに向きを変えたその瞬間、私は松葉杖で思いっきり男を殴り殺した。殺している自分の顔が、ドアガラスに映って、私は一層興奮した。自分の顔をみながら、私は男をメッタ打ちにした。その男の死体は、ドブの中に埋められている。

撮影が行なわれていた。私のか細い体の倍もある様なレスラーと少女のラブシーンが撮影されていた。監督がレスラーを大声で怒鳴っていた。「俺の分身がお前なんだ。俺はこの女にほれているから、映画を撮るんだ。」 私はとっさに何をしようか考えた。私は火をつけようと考えた。(中略)その監督の死体は、地下鉄工事のコンクリートのはるか下方に眠っている。

その劇場は阿佐ヶ谷にあった。このセリフをきっかけに、少女は舞台中央の巨木の前で立止まり、動きを止め、裸になった上半身を客席に向ける。幕。スポットを当てているのは舞台演出家だった。(中略)演出家は、五十才位の男だった。(中略)私は握りしめた果物ナイフを男の下腹に突きさした。舞台は暗転した。男の死体はゴミの島に埋められている。

20_2

「私のか細い体の倍もある様なレスラー」や、「五十才位の男」によって「私」の少女が犯されてしまう。ただ傍観するしかない「私」の姿には、佐々木の劣等感や社会への憎悪が滲み出ている。
また、彼らが埋葬される「ドブ」、「地下鉄工事のコンクリートのはるか下方」、「ゴミの島」といった場所は、『夢の島少女』以降の佐々木の意識が、依然として東京の地下に埋められた川や夢の島に注がれていることを示している。この「イメージの蓄積」が、次項に取り上げる「深い川」を経て、『紅い花』の川のショットに結実するように思われる。

その後、少女は一旦、「私」のもとに戻ってくるが、やはり他の男たちの許へ去ってしまう。激しい憎悪に駆られた「私」は、公演中の少女を舞台上で刺し殺す。そして「生れて初めて記憶した風景」そっくりの海岸に向かい、自殺する。

このエッセイは『夢の島少女』の変奏のように思える。
あのドラマの底にも間違いなくこのようなドグマは流れているし、だとすればNHK上層部や評論家も直感的にその暴力性を感じ取って作品を非難したのだろう。素人の演技云々は非難のための口実に過ぎないのではなかったか。

〈2014〜2015年の追記〉
ドラマからのキャプチャ画像は本文とは直接関係がない。特に(19)以降は作品放映以後のエッセイを扱っているので、文字だけだと味気ないので挿んでいるだけである。

今回の、ケンが松葉杖を白く塗装しているシーンも、なんとなく本文の雰囲気に合いそうなので選んだだけだ。
しかし、この松葉杖は重要なモチーフではなかったかと今になって思う。

なぜ彼は松葉杖をわざわざ“白く”塗ったのだろう。

『夢の島少女』を色彩面から見ると、まず眼につくのは小夜子のワンピースの色だろう。劇中では白、赤、黒を着用している。
いつかちゃんと考察してみたいが、とりあえず思いついたままに書けば、
・白=処女性(聖性)
・赤=血(性)
・黒=死(社会性)
あたりを表していると考えるのが、ありきたりだが妥当かなと思う。
松葉杖の色もここに準じているとすれば、やはり少年の無垢さや無害さの比喩だろうか。

男は赤い車に乗っている。直接は描かれない性的行為が強烈に暗示されるのも車内のシーンだ。小夜子は白いワンピース。
その後、男のマンションでカノンを弾くシーンまでは白いワンピースだが、男の肩に手をかけて仕事ぶりを眺めるシーンでは黒いワンピースを着ている。
そして、ケンは自分のアパートから逃げ出した小夜子を夢に見る。彼女は、”赤いワンピースを着て”男の車に乗っている。

red

だとすればこれ以上の悪意はない。

ケンは松葉杖で怪我人を装って、男の車を停め、夢の島へ乗せていってくれるように頼む。
小夜子の“白”を汚した男。彼の善意を“白い”松葉杖で利用し、自ら埋葬されることになる夢の島まで連行する。

tsuiki1

白い杖には真っ黒なドグマが込められていたのだ。

tsuiki2

「美少女仮面ポワトリン」第5話・第6話

坂本太郎監督2作品。どっちもテンション高い傑作。

第5話「犯罪者ドクター・ブー」
凄い脚本である。アバンタイトルの2人の会話で状況設定を全部説明してさっさと本題。
ドクター・ブーの執拗な誘いを丁寧に断るモモコちゃんが可愛い。
どうでもいいがドクター・ブーは〈怪人〉じゃなくて〈犯罪者〉。本田警部メインの刑事ドラマ篇でもあるからなのか。
変身も前回の婦警さんに続いて警官。一応ヒロインの成長譚でもある。
5_1

第6話「清く正しいバリカン婆々」
浦沢義雄に完全にスイッチが入った回、という印象。
前回に続きアバンタイトルでストーリーの背景をパンクな兄ちゃんが全部説明。パンクな脚本。
「お母ちゃん助けて」と叫びながらバリカン婆々の犠牲になる兄ちゃん。お母ちゃんのために買った大福に刈られた髪の毛が落ちてくるソフトな残酷描写あり。
punk_2

ユウコがパンクな若者に変装し囮になる。モモコに嘲笑される。展開が速い速い。いつもは過度に饒舌な浦沢脚本だが、こういう場面で唐突に無言。
punk
少し岸田今日子入ってるパンクなユウコ。

とはいえ今回の主役はシンスケ君で、ふて寝してママを追い払う様は堂に入った内弁慶ぶりだ。

ss1
ポワトリンと会うため、粉石けんを手土産に正装。

ss_4
ユウコの変装を見抜いて三白眼。

ss3
ポワトリンと握手して満面の笑顔。(そのままエンディング)
小松方正さん並の役者っぷりだ。

ポワトリンがバリカン婆々に「完全に病気です!」と言い放つのも身も蓋もなくていい。オチも酷い。
2本とも「ごきげんよう!」の後に一切フォローなしでエンドクレジットのリズムが素晴らしい。ノってきたね。なんだかこんな町内に住みたいよ。
ごきげんよう。

坂口安吾『堕落論』

安吾は読まず嫌いというわけでもないのに、なぜか最近まで読まないまま来てしまった。
もったいない気がしたので、新潮文庫版の『堕落論』を読んでみた。

darakuron

最初に収録されている「今後の寺院生活に対する私考」については何がなんだかだが、「FARCEに就いて」「文学のふるさと」は大杉栄じゃないが“炸裂”している。なるほど無頼派って呼ばれるのも納得。

それならば、生存の孤独とか、我々のふるさとというものは、このようにむごたらしく、救いのないものでありましょうか。私は、いかにも、そのように、むごたらしく、救いのないものだと思います。この暗黒の孤独には、どうしても救いがない。我々の現身は、道に迷えば、救いの家を予期して歩くことができる。けれども、この孤独は、いつも曠野を迷うだけで、救いの家を予期すらもできない。そうして、最後に、むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。
(「文学のふるさと」)

「日本文化私観」では、汽車(常磐線)から見える小菅刑務所の見張塔から、佃島のドライアイス工場の記憶へと話が移る。ふたつに共通するのは〈やむべからざる実質〉だという。つまり機能美だ。無骨な鉄骨や煙突に惹かれている作者が荷風とどこかダブって面白い。荷風はガスタンクや火葬場の煙突について「日乗」に書いていたはず。

さて「堕落論」である。それこそ「金閣寺」なんかと読み比べたいが、刹那的・享楽的な人間にとって戦時下は理想郷なのかもしれない。簡単に英雄的に死ねるんだから確かに魅力的だ。

人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。(略)
戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。(略)
堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。

堕ちることを堕ちきるってのはつまり自分の本性に常に忠実でいることを指すのか。そんな単純でもないだろう。難しい。
難しいと思っていたら、「続堕落論」を読んで軽く拍子抜けした。拍子抜けっていうか意外に読めてたんだというか。
堕落とはつまり自分の本性に忠実でいろという、ただそれだけのことらしい。それだけのことがどれだけ大変かは承知しています。
正編よりこっちのほうが読みやすいし日本人の湿った精神論を罵倒してくれていて痺れる。

農村の美徳は耐乏、忍苦の精神だという。乏しきに耐える精神などがなんで美徳であるものか。必要は発明の母と言う。乏しきに耐えず、不便に耐え得ず、必要を求めるところに発明が起り、文化が起り、進歩というものが行われてくるのである。日本の兵隊は耐乏の兵隊で、便利の機械は渇望されず、肉体の酷使耐乏が謳歌せられて、兵器は発達せず、根柢的に作戦の基礎が欠けてしまって、今日の無残極まる大敗北となっている。あに兵隊のみならんや。日本の精神そのものが耐乏の精神であり、変化を欲せず、進歩を欲せず、憧憬讃美が過去へむけられ、たまさかに現れいでる進歩的精神はこの耐乏的反動精神の一撃を受けて常に過去へ引き戻されてしまうのである。
必要は発明の母という。その必要をもとめる精神を、日本ではナマクラの精神などと云い、耐乏を美徳と称す。一里二里は歩けという。五階六階はエレベータアなどとはナマクラ千万の根性だという。機械に頼って勤労精神を忘れるのは亡国のもとだという。すべてがあべこべなのだ。真理は偽らぬものである。即ち真理によって復讐せられ、肉体の勤労にたより、耐乏の精神にたよって今日亡国の悲運をまねいたではないか。
ボタン一つ押し、ハンドルを廻すだけですむことを、一日中エイエイ苦労して、汗の結晶だの勤労のよろこびなどと、馬鹿げた話である。しかも日本全体が、日本の根柢そのものが、かくの如く馬鹿げきっているのだ。

天皇制だの、武士道だの、耐乏の精神だの、五十銭を三十銭にねぎる美徳だの、かかる諸々のニセの着物をはぎとり、裸となり、ともかく人間となって出発し直す必要がある。さもなければ、我々は再び昔日の欺瞞の国へ逆戻りするばかりではないか。

さて、着々と〈昔日の欺瞞の国〉へと逆戻りをしている現状に容赦なく突き刺さってくるのが「戦争論」だ。
タイトルこそ「戦争論」で実質は政治論だが、安吾の頭脳の明晰さに驚かされる。
人々の生活に関わってくる〈政治〉と、人間一般の歴史に関わってくる〈歴史〉を、鮮やかに、簡潔に論じる。
政治における長期的視野と短期的視野について、こんなに分かりやすく書いてくれた文章にはなかなかお目にかかれない。

人間というものは、五十年しか生きられないものだ。二度と生れるわけにはいかない。人間の歴史は尚無限に続き、常に人間は絶えなくとも、五十年しか生きられない人間と、歴史的に存在する人間一般とは違う。
政治というものは、歴史的な人類に関係があるわけではなく、常に現実の、五十年しか生きられない人間の生活安定にのみ関係しているものである。
政治というものは、常に現実をより良くしよう、然し、急速に、無理をして良くするのではなく、誰にも被害の少い方法を選んで、少しずつ、少しずつ、良くしようとすることで、こう変えれば、かなり理想的な社会になる、ということが分っていても、いきなりそれを実現すると、多数の人々に甚大な迷惑がかゝる、急いでは、ムリだ、と判断された時には、理想を抑えて、そこに近づく小さな変化、改良で満足すべきものである。
我々の後なる時代に、各々の時代の人が、各々の時代を少しずつ住み良くして行く。人類永遠の平和などゝいうものを、我々が自分の手で完成しようなどゝは、後なる時代の人々、未来に対するボートクというもので、各時代に、各時代の人々が、その適当の向上改良を選定して行くところに、政治の正しい意味があると考える。

他にも今だからこそ刺さってくる文章だらけで、現政権に関わっている連中にもぜひ読んで頂きたい。読んで頂きたいが連中の腐った脳では悲しいかな理解できないだろう。
引用ばかりになってしまうが、これ以上要略しようもないので仕方がない。

現実に即して、今までには無かったが、然し、必要なる当然の組織や方策を、工夫し、発明して行かねばならぬ。文化とは、そういうものだ。政治とは、そういうものだ。現実に即して、工夫と発明の努力がなければならない。新しい工夫を欲しない蒙昧な保守性、こりることを知らず、虫の如く勤勉な、日本的反文化的性格をくずすことを知らねばならぬ。

エロ・グロの禁止、弾圧。禁止ぐらい、安易簡便な法はない。そして、禁止というものには、工夫と努力がミジンも必要とされず、禁止から、進歩発展が生れるということは、有り得ない。
軍人たちは、戦争中、弾圧、禁止を乱用したものだが、目に一丁字なき軍人がこれを行うのは、ともかく、文化国家と自称するものが、禁止の安易につくとは言語道断と云わねばならぬ。

各人の自由と責任が確立すれば、戦争などは、この世から当然なくなる性質のものである。すべて文化の精神は、各人の自由ならびに責任の自覚の確立に向って進むべきものであるが、日本の文化運動には、その明確な地盤が自覚され、確立されておらない。文化団体の如きものに於てすら、官僚性や陰謀政治家性は横溢しているが、自由を愛する公正なる魂は失われているのである。
宗教も、言論も、自由でなければならぬ。排他的、禁止弾圧の精神は、暴力に異ならず、すでに戦争の精神である。共産主義に於ける経済理論はともかくとして、それに附随する排他的、独善的強圧精神は、それ自体反文化的暴力に異ならず、かゝる暴力性は、進歩的の反対で、最も原始的なものである。

古きものを、古きが故に正しとみる蒙昧の失われんことを。まことに、まことに、そうあれかし。

他にも小林秀雄をぶった切る「教祖の文学」とか、“芸道は常時に於て戦争だから”なんて必殺フレーズが出てくる「太宰治情死考」なんかは特に面白い。逆に「天皇小論」「特攻隊に捧ぐ」あたりは生理的に受け付けない。振れ幅が広いのでなかなか疲れるが、ひたすら読みごたえのある一冊だ。

坂口安吾『堕落論』 はコメントを受け付けていません。 カテゴリー: 坂口安吾 タグ

「美少女仮面ポワトリン」第3話・第4話

第3話「進学塾の秘密」
うーん、特に面白くはなかった。変身は前回に続いて店屋物でピザ屋さん。
03

第4話「ナポレオンの亡霊」
マイク・ロジャース演じるナポレオンの亡霊に尽きる。独特のテンポの芝居がスローモーション映像と相まってシュール。
結局見終わっても「不可能という文字を返せ」というセリフしか頭に残らない。
ごきげんよう。
04

「成人用組織的英会話五週間 基礎編 Lesson 14-21」

久しぶりに変なレコードを買ってしまった。
54年前に出た10インチLP。リード・マイルスが手掛けたようなジャケがイカす。

engishadult1

物語の終りのようなレーベル下段もイカす。
19.受身 Passive Voice
20.お金と値段 Money & Price
21.私の家 My House

englishadult2

検索してみたらやっぱりテキストもあるようで、こっちはロトチェンコのような色使いでイカす。

englishadultbook

当然Lesson1から13までの2枚もあったのだがさすがに買わなかった。

「成人用組織的英会話五週間 基礎編 Lesson 14-21」 はコメントを受け付けていません。 カテゴリー: Mondo タグ ,

「美少女仮面ポワトリン」第1話・第2話

YouTubeの東映公式chで「美少女仮面ポワトリン」の配信開始。
嬉しい。もったいないので全話観ない程度に観る。

01b

第1話「神様の贈り物」
シュシュトリアンはポワトリンのバリエーションだったんだと再確認する。やっぱりお正月に観たい。
神様にしか見えない鈴木清順がいい。中古ゲーム屋の親父の小型草野大悟感もいい。
01a

胃カタルに効く温泉がイタリアにあるそうな。「8 1/2」。

第2話「警視庁の女敏腕刑事」
ゲストは笹野高史。満男くんに夜這いをかけたりしてた頃だろう。快調な怪演ぶり。その奥さんの鬱陶しさもやけにリアル。副社とか呼ばれてそうな女。太田プロか。
モモコちゃんは演技が上手い子役なのにそれほど憎たらしくない。なかなか貴重だと思う。
変装は一心太助。大した必然性がないのが素晴らしい。

01c

オープニングやアイキャッチも凝ってて可愛い。「17の頃」は秀逸な歌詞の名曲。
ごきげんよう。