ジャック・タチ「ぼくの伯父さん」「家族の味見」@早稲田松竹

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「ぼくの伯父さん」
カラーを感じさせるカラー作品。自然ではないけど不自然とまでもいかない不思議な色彩感覚。その一方で画面構成やセットの配置は不自然ではないけど決して自然ではない奇妙さ。
作家性もテーマも強烈に感じるのにうるさくならずに品が良い。それでいてしっかりくだらないし、唐突に挟まれるセリフも何もないカットが妙に可笑しかったりもする。
こういう映画ってものすごく作るのが難しそうだなぁと観ていて思う。

犬までが完璧に演技しているように見える。動物が演技をしていることほど不自然なことはないわけで、演技が完璧なほど観ているのが辛くなる。だから動物が出る映画は嫌なのだが、この映画は違った。
犬が可愛くて仕方ない。タチの温かい視線が伝わってくるからというと綺麗事だが、実際そうとしか思えないからしょうがない。

社長宅の庭にあるサンマみたいなオブジェがツボだ。あの家自体も一昔前のロボットみたいで可愛い。
そして音楽。あのイントロだけでも弾くと楽しくなってくる。

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「家族の味見」
タチの娘、ソフィー・タチシェフ監督の掌編。タバコをくわえながらタルトを仕上げるママがカッコイイ。

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ジャック・タチ「ぼくの伯父さんの休暇」「ぼくの伯父さんの授業」「左側に気をつけろ」@早稲田松竹

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本当に久しぶりの早稲田松竹。ギリギリに着いたがいつもの席が空いてて良かった。

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「左側に気をつけろ」
ドタバタの小品。ドタバタよりも田園風景のなかを走る郵便屋さんが印象に残った。画になる風景だなぁ、映画を観てるなぁと至福感に包まれながら。

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「ぼくの伯父さんの授業」
ジャック・タチの独壇場。笑うというより関心してしまう。いかに自分が表層的にしか人を観察していないか少しマジに考えたりする。でも根底に人間への信頼と愛情がないと素晴らしい観察眼を持っていても醜悪な部分だけが見えてきてそれはそれで辛いだろう。
ものすごくくだらないのに知的でスタイリッシュでさえあるのが凄いと思う。映像もカッコイイ。

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「ぼくの伯父さんの休暇」
ユロ伯父さんみたいな周りに騒動を巻き起こすキャラクターは苦手なので、全編この調子だと辛いなぁと思っていたらそんなことはなくて、気持ちのいいテンポで映画ならびにバカンスは過ぎていく。一応ユロ伯父さんが主役だけどそれも形だけで、明確なストーリーもなし。ギャグと音楽と波音に身を任せる。
なんといっても良いのが人情喜劇じゃないところ。“笑いあり涙あり”の涙は個人的には鬱陶しいだけ。
砂浜での花火とか、オンボロのクルマとか、後々の映画に影響を与えてそうな笑えるけど綺麗な場面がいくつもある。
でも一番笑ったのはテニスのフォーム。なんであんなにおかしいんだろう。

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稲垣足穂「天体嗜好症」「星を売る店」「A感覚とV感覚」

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『一千一秒物語』こそ好きだったものの、新潮文庫版だと次に収録されてる『黄漠奇聞』と『チョコレット』は読んでも今一つハマらなかったので、足穂は合わないのかもしれない、と思っていたところで読んだ『天体嗜好症』。

タイトルからして素敵だし直球で好きな話だった。
星についての会話もいいし、導入部で映画のタイトルロゴについて語っているところの鮮烈さが好きだ。
“ダンディー”も足穂の形容詞としてよく分かるけど、この人は“モダニスト”とか“フェチ”と呼んだほうがしっくりくる。
例えば文章から受ける印象が小石清とか平井輝七の新興写真を見ている感覚に近い。活字でいえば瀧口修造のシュルレアリスム詩とか。そういう意味でも文壇とは少し違う場所にいた人なのが分かる気がする。とにかくやけに無機質で光学的。10年は先を行ってる。

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小石清「泥酔夢・疲労感」(1936)。彼の写真集『初夏神経』は大判の金属板の表紙からして痺れる。

『星を売る店』も視覚的な想像力を刺激する一篇。『天体嗜好症』と同じでタイトルだけで勝ちが決まったような作品だ。
星を掴めたら、流れ星が地上に落ちていたら綺麗だろうなぁ、というのは普遍的で、誰にでも簡単に共有できるイメージだ。
“それを密かに売っている店があって”っていうほうに膨らませる想像力がタルホの少年性というか、フェチな部分だと思う。

で、フェチということで『A感覚とV感覚』。
昔『パタリロ!』に「A感覚の極致だ」っていうセリフがあって意味が分からなかったのだが、読んでみればそういうことだったのかと。
もちろんそういうことだったのかと簡単に納得できるような内容ではないけど、少なくともAとVの意味は分かるし、パタリロが口にするのも分かる。
パタリロはンコをした後にそれをトイレ中に塗りたくる癖がある。彼はそれをフロイトのいう肛門期と三島の『金閣寺』の関係に絡めてさも高尚なことのように語ったりしていた。それも多分ここから来ていたのだろう。さすがにミーちゃんは引き出しが豊富だ。
三島とンコといえば『仮面の告白』に、肥桶を担いだ青年の肉体美が幼心に印象に残ったとか、そんなくだりがあった。少年愛(男性愛)とそれ系の連想は避けられないものなのか。

せっかく星から始まった話がそっち系に行ってしまって残念だが、でもこの両極を一冊の中で往来できる振幅が足穂なのだろう。実際『A感覚とV感覚』にも下品な感覚は一切ない。
ダンディーだ。

「ドラえもん のび太の創世日記」@神保町シアター

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「ドラえもん映画祭2015」@神保町シアター。
「ドラえもん のび太の創世日記」。

劇場で観た最後の映画ドラえもん(だと思う)。
これは当時からわりと好きで、80年代中期の作風に戻ったような感じがして嬉しかった記憶がある。

タイトルからしてそうだが「竜の騎士」以上にSF短篇色が濃い。記憶通りというか、記憶以上に重い話でちょっと驚いた。
のび太達は創世セットで作ったもうひとつの地球でほとんど人類の歴史を追っているだけ。もうひとつの地球とはいっても本物の地球と大した変わりはないから、必然的に戦争が繰り返されることになる。
あんまり重くなりすぎないように、宗教戦争や疫病については別行動で他国へ行ったしずかちゃんが見てきたことにして済ますあたりの手腕は流石。
さらにそこで各国に必ず共通の神話体系が存在することを示唆するあたりも上手すぎるほど巧い。

メインで描かれるのは縄文〜明治ぐらいの日本(に相当するパラレルな国)で、その歴史の其処此処に昆虫から進化した地底人が顔を出す。
地底人と人間の関わりを原始宗教や民間伝承を通して描くのも上手い方法で、土俗的な怖さが滲み出してくる。
民俗学が好きなのでこのあたりの描写はツボ。ニヤニヤするしかないが、意外とこの類いの怖さは「日本誕生」ぐらいでこれまでの大長編にはなかった性質のものかも。

山中から鬼が出現するシーンがある。鬼は定番の鬼まんまだが、日本人の心性の根っこにあるところの“山の中には神様がいる”を忠実に具現化した映像なのでインパクトがすごい。
その後に現れる地底人のビジュアルも容赦しない。それまでの作品だったら人間への変身が解けるシーンはCGでワンクッション置くとかもう少しソフトな描写になっていたはずだが、直球のモーフィングで気味が悪い。(しかも傾いてるし)

南極の大穴からラストにかけて、ジャイアンとスネ夫が誘拐された理由とかエモドランとか、息抜き要素もあるのにそれが大した笑いにもならないぐらい切羽詰まった描写が続く。飛行船の爆発はモロにヒンデンブルグ号墜落の記録映像を模していて生々しい。

ただラストの解決策も結局は〈第二の神のいたずら〉であって、原始昆虫が繁栄する時代にその直接の進化形である昆虫人類が移住するのはまずいんじゃないかと思ったりもする。

もっと無粋なことを言ってしまえば、現在地球上で種の多様化と繁栄に最も成功しているのは昆虫らしい。
だから、〈昆虫類〉としての地上での生活に適応できない〈昆虫人類〉として進化しすぎて(?)しまった地底人は、昆虫のなかでも環境適応に失敗したマイノリティと言えるかもしれない。ハチ類の中で生き残れるのが地上のハチで、絶滅する運命なのが地底のホモ・ハチビリスなのだ。
…あくまでも地球に相当する別の星だからあっちじゃ違うのかもしれないが。

今作は主題歌もいいけど、しっかりエンディングロールで絵日記を眺められて楽しい。ちゃんと提出した人には優しい先生のコメント入り。

さて、「ドラえもん映画祭2015」も折り返し。F先生存命中の作品は全部観るつもりだったのに、「恐竜」「開拓史」「桃太郎」「銀河超特急」は観に行けなかった。「ねじ巻き」以降の作品はすべて未見だしこういう機会でもないとたぶん観ないので、声変わりする前の作品だけでも観ようか悩んでる。財布と時間と相談。

「2112年ドラえもん誕生」@神保町シアター

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「ドラえもん映画祭2015」@神保町シアター。
「2112年ドラえもん誕生」。

「ミニドラSOS」から続く未来世界もの(?)ではあるものの、ちゃんとF先生の原作がある。
でも今回観るまでそのことをすっかり忘れていて、冒頭でいきなり富山訛りのF先生の声が聞こえてきてウルッと来てしまった。
こんなに大切なことを忘れていたなんて!
でもこの映画はたぶん公開時に観て以来だから丸20年ぶり。そして前回観たときまだF先生はご存命だったのだ。そういう意味では前回と今回で作品の印象と重みが全く変わってしまった。

内容は、これまでの「ドラミちゃん」4作品で描かれた楽しい未来世界を受け継ぎつつ、F先生の原作や方倉設定を上手くアレンジしてドラえもんの設定をハッキリ固めていて手堅い作り。そこに同級生として(後の)ドラえもんズが出てきたり、いっぽうでマニアックに恐竜ハンターが再登場したり、相当に盛り沢山な内容。
作り手の側も、〈かつて子供だった世代が今度は親として子供とドラえもんを観に来ている〉ことをハッキリ意識しているのが分かる。

「ミニドラSOS」や「アララ」に負けず劣らず楽しい映画だ。F先生ご健在のうちに、本作のような映画が作られて良かった、と観終わって思った。
本作に出てくるロボットはみんな可愛くて楽しそうで、最後のクリスマスパーティーも生みの親のF先生をお祝いしているように思えた。

ドラえもんを好きで良かったと心底思える映画。

「ドラえもん のび太と夢幻三剣士」@神保町シアター

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「ドラえもん映画祭2015」@神保町シアター。
「ドラえもん のび太と夢幻三剣士」。

これも印象が薄い作品。白目のフクロウが気味悪かったことは覚えている。
今回見直してみても、正直云って失敗作だと思った。

テンポが悪くて、ガジェットをたくさん詰め込みすぎて消化し切れてない感じ。
ドラモンのホーキのキャラクターは消化不良だし、取り寄せバッグと四次元ポケットの使い分けも不明瞭。隠しボタンは相当怖い機能だと思うのにそれも伝わってこない。それを使うに到るドラえもんの心境の変化も唐突な感が否めない。
ノビタニアンとシズカールは一度死んでも生き返ることができるようになる。裏返せば一度ホントに死んでしまうのだが、大した山場にもならずに中途半端。シズカールの死なんてあってもなくてもいいような扱い。
決着も意外性というよりはヤケクソな感じがする。スネミスとジャイトスはフェイドアウトしちゃうし。
エンディングは強烈だが、そのために1時間半我慢するのはツライ。
主題歌と挿入歌もハズレ。

一番マズい気がするのはのび太が救いようのない本物のダメ人間に堕している点。
現実が辛いからずっと夢を見ていたい、その気持ちは痛いほど分かるけど、そのためにドラえもんに高いお金を使わせて一日中ずっと寝てるってのはどうなんだろう。なかなか凄い展開だが、のび太が弁護の余地がない人間になってしまっているのはちょっと悲しい。

ただ、“映画になるとカッコ良くなるのび太像に対するアンチテーゼ”とか、“映画ドラえもんのフォーマットを破壊する試み”と捉えればパンクで面白い。
F先生も芝山監督もあまり気に入ってない様子なのは承知の上で、意図的な誤読も鑑賞の手段だ。
好きな人は大好きな世界だろうし、何十本もあるんだからこんな作品も一本ぐらいないとつまらない。

「ドラミちゃん 青いストローハット」「ウメ星デンカ 宇宙の果てからパン・パロ・パン!」@神保町シアター

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「ドラえもん映画祭2015」@神保町シアター。
「ドラミちゃん 青いストローハット」
「ウメ星デンカ 宇宙の果てからパン・パロ・パン!」

特に感想がない2本といいますか…。公開時に観たのに印象に残ってないし、今回再見しても残念ながら退屈だった。
勝ち気でいて最後に女の子らしさを見せるドラミちゃんは可愛いけど、作品の舞台設定がなんか曖昧でイマイチ入り込めないまま終わってしまった。「ハロー!ドラミちゃん」も流れない(大好きなのに)。
試行錯誤した感じはいろいろ伝わってくる。

ウメ星デンカは原作もあんまり好きじゃない。居候して迷惑をかけるキャラクターなんてデンカに限らず藤子作品にいくらでも出てくるが、デンカ達だけはなぜか苦手。
なんでこの時期の劇場作品にデンカが選ばれたんだろう。コロコロ文庫の売り上げでも良かったんだろうか。