R.I.P. John Renbourn

ツイッターは訃報だけはよく教えてくれる。
ジョンまで逝っちゃうとは…寂しいね。
プレイスタイルで言えばバートのほうが好きだけど、ジョンも名盤が多い。というかこの2人は水準以下の作品が一切無い。
『Faro Annie』『The Hermit』は特に眠り際に聴くととても気持ちいい。


それにしても一度は2人のプレイを生で観たかった。
R.I.P.

スウィフト「ガリヴァ旅行記」

gulliver

ガリヴァが訪れたのは小人の国だけじゃないことは一応知っていたし、漱石がスウィフトを高く買っていたのも漱石自身の言葉で読んだ。

それにしても…だ。
それにしてもここまで厭世的で悪意に満ちた作品だとは思わなかった。
前半の二章(小人国と大人国)だけを抜粋して子供向けに翻案しちゃうのも、よく考えるとなかなかすごい話だ。
どう考えても後半の悪意に充ち満ちた二章を読まないと「ガリヴァ旅行記」を読んだことにはならない。

とはいえ前半だって毒まみれである。
大人国での描写は特にリアリティー重視というか過剰なデフォルメというか。
身体が大きいぶん、肌の汚なさや悪臭も凄まじいし、ガリヴァを大人のおもちゃ扱いする婦人までいる。
人体縮小(巨大化)ものでは省略されがちな、臭いや排泄行為まで細かく説明される。

実際に巨大な人間がいれば体臭もキツイだろうし、人形サイズの人間がいればおもちゃにするかもしれない。
肝心なのはそれがSFとしてのリアリティーを高めるために描かれてるんじゃなくて、すべてスウィフトの人間への嫌悪感に由来しているだろう点。人の尊厳を貶めようという悪意と、読者を不愉快にしてやろうという悪意の産物に違いない。

人間嫌いは、人間を観察する能力がありすぎて人間嫌いになるんだと思う。スウィフトも然り。
ただスウィフトの人間嫌いは普通のレベルを超えている。人類史上いちばん人間を嫌った人間じゃなかろうか。

最後に訪れるのはフウイヌム(馬)の国。
フウイヌムの話し方とか思考体系も、それはそれで当時のイギリス上流階級を諷刺したものではあるらしい。でもそんなことが霞んでしまうほど、ガリヴァと彼の主人になったフウイヌムの会話からは人間一般への嫌悪が噴出している。
(ガリヴァが丸め込まれてる面もあるんだろうけど)

フウイヌムの国を追い出されてガリヴァはイギリスに帰ってくる。
すっかりヤフー(人間)を侮蔑の目でしか見られなくなったガリヴァ(しかも自分自身もヤフーだ)にとって、ここからの余生は地獄じみたものでしかなかったろうし、それはスウィフトにとっての現実だった。

ちゃんとした注釈書とつき合わせて読んだら相当面白くなるんだろうなぁと思う。勉強したい。

フェディリコ・フェリーニ「甘い生活」@早稲田松竹

Ladolcevita

『甘い生活』
『道』が不完全燃焼だったぶん、こっちはオープニングからフェリーニに望んでいるものそのものといった感じで盛り上がる。
冒頭のキリスト像とかラストの魚とか、いろいろと象徴的なモチーフが出てくるし、細部までは分からなくても、こう考えれば収まりがいいんだろうなっていう解釈はそれなりに思いつく。 でもただひたすら退廃的で狂躁的なシーンの連続に身を委ねてるほうが(そういったものへの批判的な側面もあるけど)、“人間なんてそんなもの”という諦観を、もっと言えば『8 1/2』の〈人生は祭だ〉というセリフに通じるものを感じさせてくれて気持ちいい。
自分にとってのフェリーニの魅力はどこか退廃的なところ。
結局人間なんて騒いでたと思ったら急に死にたくなって本当に死んじゃったり、近しい人が死んだら落ち込むけど他人が死のうが平気だったり、セックスさえ出来ればそれでよかったり、その程度のものなんだと思う。

『道』も『甘い生活』も人間に対する視線は肯定的だけど、肯定の仕方が若干違っているように思える。
〈誰だって生きているだけで何かしらの役には立っている、だから生きよう〉なのか、〈もともと生きていることに大した意味はない、だから生きるも死ぬも自由〉なのか。
個人的には後者のほうに救われる。

そういえばニコが出てた。そういえばで済む端役ぐらいの印象しかないけど。
それよりもアヌーク・エーメが好きなので、出番が少なく感じられたのが残念。サングラスでクルマを飛ばす彼女の格好良さ!いきなり娼婦の家に行ってマストロヤンニと寝る飛び方も素敵。

ニーノ・ロータの音楽もエレピが効いてていかにも60sな感じで凄まじくカッコいい。

フェディリコ・フェリーニ「道」@早稲田松竹

早稲田松竹でフェリーニの2本立て。なぜかヨーロッパ映画は早稲田松竹で観たくなる。

LaStrada

『道』
名作中の名作、ということで期待しすぎたのか観ている最中も上映後もピンと来なかった。でも家に帰ってからもずっと引きずってるのは楽しめた「甘い生活」じゃなくてこっちだったりする。
ジェルソミーナの表情が魅力的で、その変化を観ているだけで楽しいことは楽しいのだが、主要な登場人物3人の内面がイマイチ掴めなくて歯痒かった。
有名な「なんだってなにかの役に立ってる」というセリフのシーンも、言葉は素敵だがキ印があまり好きになれないので大して響かなかった。
余分なものをほとんど削ぎ落とした、映画のお手本みたいな映画だとは思う。
ただ好きな映画かというとよく分からない。名作だから響かないといけないなんて法はないけど。

シュペルヴィエル「海に住む少女」「セーヌ河の名なし娘」「空のふたり」

umishojo

ロブ=グリエ「消しゴム」の帯に載っていたタイトルに惹かれて、光文社古典新訳文庫版を購入。

「海に住む少女」
死んだ娘への船員の想いが生んだ、生きても死んでもいない少女。透明感溢れる描写が切ない。
でも最後の種明かしは不要か。もっと曖昧で不明瞭な話にしてもそれはそれで面白かったかも。

「セーヌ河の名なし娘」
身を投げた少女の溺死体は川から海へ流れ着く。そこには他の溺死体たちが暮らしている。死臭が漂ってくるような設定なのに、この話も不思議な哀感がある。微妙な矛盾に引っかかったりしなくもないけど、読まされてしまう。
最後に少女は本当に死ねるのだが、安部公房「第四間氷期」のブループリントとか、「箱男」の貝殻草と贋魚の話が思い起こされる。あと「死んだ娘が歌った…」とか。
透き通った絶望感が好きだ。

「空のふたり」
これもやっぱり死者達の話。舞台は海じゃなくて天上。「セーヌ河の名なし娘」の静かな変奏という感じもあって、いいなぁと思いながら読み進めていったら最後の一行の訳でズッコケた。“新訳”ならではというか現代風の単語が出てくるのだが、それで一気に作品の格が落ちてる。別の訳で読みたかった。
松本隆とかユーミンの、時代性は保ちつつ古くはならない言葉選びのセンスのスゴさとかについて思わず考えてしまう。

訳者と相性が悪かったのか、他にもピンと来ない作品が何作かあったのが残念。
いままで海外文学を読んでてもそんなになかった感覚だ。できれば良い訳で作品と出会いたい。