Steve Marcus「Tomorrow Never Knows」

大学生の頃、高野悦子さんの『二十歳の原点』を読んだら、彼女がジャズ喫茶でこのレコードに夢中になったことが書かれていた。

tnk
いかにもサイケなジャケがイイ感じ。むかーしレココレの『Bitches Brew』特集で酷評されてたので、その頃も記憶の片隅にはあった。

でも縁がないのか、なかなか中古で巡り会えないまま、そのうち忘れてしまった。
んで、最近1000円シリーズで再発されてたのを知ってやっと購入。5年越しだ。

これがなかなか。音色もアレンジもB級な感じで味がある。選曲も好き…だけど全体的に単調。特に「Tomorrow Never Knows」は長すぎて、最初のうちはいいんだけど飽きてくる。エディットして3分ぐらいにしたら気持ちいいかもしれない。
サラッと終わる「Listen People」が個人的なベストトラック。原曲はハーマンズ・ハーミッツらしいので聴いたことがない。
逆説的に当時のマイルスほか一流どころがどんだけ凄かったのかを感じさせてくれる一枚。

…それにしても『二十歳の原点』をまた読みたくなった。あんな風に全力で生きられてないな自分は。

ジョルジュ・バタイユ「眼球譚」

madame

「マダム・エドワルダ」と「死者」の感想だけ書いて肝心の「眼球譚」の感想を忘れてた。
イメージの飛び具合が凄い。卵で満たした浴槽に沈められるマルセル、便器の底に沈んでいく卵。その他諸々。
いろいろ書きたいことがあったはずなのに忘れてしまった。
とはいえラストシーンのインパクトは凄い。やっぱりシュルレアリスム小説だと思う。
それと第二章はいらない。せめて題名を「あとがき」とかにしておいてくれれば。種明しを本編と同じテンションで読まされたらちょっとね…。

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Ruthann Friedman「Constant Companion」

constant

Associationの「Windy」を書いたシンガーソングライターの唯一のアルバム。
YouTubeで「Windy」のデモを聴いたらすごく良くて、アルバムも聴いてみたくなったので買ってみた。
そんなにキャッチーでもないし、アシッドフォーク色も強くないので、ちょっと拍子抜け。
でも聴き込めば味が出てきそうな佇まいなのでまだ真価は分からない。
いくらなんでもJudee SillとかVashti Bunyanみたいな特異な個性がそこらじゅうにいるはずないもんね。

ハンナ・アレント「暗い時代の人間性」

darktimes

暗い時代が来る、というか5、6年前からとっくに暗い時代なのは間違いない。だからアレントを読んだ。

スラスラ読める文章ではないので、とりあえず『暗い時代の人々』の最初に収録されている「暗い時代の人間性」を精読。
強い知的興奮を起こしてくれる文章なので、たとえば〈内的亡命〉や〈人間性〉について安部公房の『内なる辺境』と結びつけて考えてみたくなったり、いろいろと考えが浮かんで頭の中がとっ散らかっている。

frontier

ブログも書くと長くなりそうで億劫だから手を着けないで逃げてたのだが、今日もまた腹立たしいことが行われているので、何度も反芻したい文章を抜粋しておく。

権力は人々が協同して行動するところにのみ生まれ、人々が個人として強靭になっていくところには生まれません。強靭さは権力に代るほどの偉力を持ちません。強靭さが権力に直面する場合はいつでも、強靭さが圧倒されることでしょう。

しかし、逃亡することと逃げながら抵抗するための本当の強靭さも、現実が無視されたり忘れられたりするところでは実現されえません。(略)
ある時点における世界の状態を支配している絶対的な「否定性」に個人が直面できない場合、それは実現されえないのです。

たとえば、耐えがたく愚かなナチスの密告者を単純に無視するということは確かに魅惑的なことでしょう。しかし、こうした誘惑に屈して、自分自身の精神の隠れ家に閉じこもることがいかに魅力的であるとしても、その結果は常に現実を見捨てることであるとともに人間性を喪失することでもありましょう。

「Strawberry Fields Forever」の歌詞を初めてじっくり読んだとき、“Living is easy with eyes closed”というラインが本当に好きになった。
でも目を瞑る場面を選ばないと、その態度は単なる責任の放棄になる。すなわち“人間性の喪失”。
だから現実から目を逸らさないように心がけたいし、〈恩送り〉を忘れないで生きていきたい、と思う。

とりあえず今日はここまで。嫌になってしまう。

ジョルジュ・バタイユ「マダム・エドワルダ」「死者」

madame

戸川純ちゃんの「眼球奇譚」の元ネタを読みたくて角川文庫版の『マダム・エドワルダ』を購入。
バタイユはポストモダンの本とかブルトンの本のどこかで目にしたような気もする。どっちにしろちゃんと読むのは初めて。

「眼球譚」の前に「マダム・エドワルダ」だが、自分には難しすぎた。
文章自体は難解じゃない。でもここに描かれた悪意をちゃんと読み取るのは、キリスト教信仰が隅々まで染み込んでいる歴史とか生活を理解してないと難しい。ラヴクラフトの常套句〈冒涜的〉を本当に理解できてるか疑わしいのと同じで。
断片的と言ってもいいぐらいひとつひとつの章が短いので、暗い画を想像しながら詩的なポルノとして読むぶんには面白い。ただそれじゃちゃんと読んだことにはならないだろうなとも思う。
解説によれば、底本の関係で、作品を理解するために重要な「序文」が割愛されているらしい。少し抜粋された文が紹介されてはいるが、確かに「序文」があればもう少し見通しはよくなるかもしれない。これはよく調べないで買ったのがいけないんだけど。

「死者」もやっぱり難しいが、強烈なスカトロ大会をふたつの死で挟んだこちらのほうが、死が描かれているぶん少しだけ分かりやすい…気がしないでもない。
「エロティシズムに関する逆説」には次のような一文がある。

もっとも始末に負えないのは、エロティシズムには消滅が緊密に結びついているために、消滅の勝利ともいえる勝利のあとにそれは生き延びられないことだ。

“消滅の勝利ともいえる勝利”は「死者」のラストそのものだ。死がエロティシズムを伴うのも両者が常に“消滅の勝利”を孕んでいるから。「エロティシズムに関する逆説」自体がこれまた難しいので今のところこんな感じにしか捉えられないが、読み込めばもう少しよく見えてくるはず…?

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The Who「The Brunswick Singles」

brunswicksingles

04年にシングルボックスが出た時は、しっかり「Vol.1」と銘打っていたのにそれっきり打ち止めになって、きちんと完結したストーンズが羨ましかったが、今度はレーベルごとに4つのボックスが発売されるらしい。
各国盤のジャケットだと眺めていて楽しい反面、なんでこれ選んだの…?ってことになりかねないので、UKオリジナルに準じているのは嬉しい。全部Brunswickのカンパニースリーブなので味気ないといえば味気ないけど。

次は「Reaction Singles」で、Amazonの情報だと5枚組。たぶん、
・Substitute
・Substitute (US version)
・I’m A Boy
・Happy Jack
・Ready Steady Who!
みたいな感じだろうか。
Substituteのバージョン違いは何種類あるのか厳密に知らないので、Ready〜は無しでSubstituteが3枚かもしれない。そんなにいらないな…。

未発売のInstant Party MixtureとFontanaレーベルのデビューシングルとか、そもそも今回のボックスから反則技を使ってるわけで、どうせなら70年に未発売に終わったEPなんかも「Track Singles」には入れてほしい。I Don’t Even Know MyselfとPostcardの初期ミックスはまだアナログではリリースされていないはず。

どうせなら、同じフォーマットで日本盤シングルのボックスを出してくれたら嬉しい。オリジナルで揃えたら7桁は確実だし、ジャケもヘンなの多くて面白いし。
ユニバーサルはボッタクリ再発が多いいっぽうで、The Whoに関しては丁寧なイイ仕事をしてくれてると思うので、ちょっと期待。

whojapnesesinglesbox

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スティーヴン・ジェイ・グールド「ワンダフル・ライフ バージェス頁岩と生物進化の物語」

wonderfullife

カンブリア紀の生き物は恐竜図鑑の頭のほうのページでお馴染み。
いつまでも恐竜の前座みたいなイメージでも申し訳ないので、勉強しようと思ってこの本を買ったのだがギブアップ。

題材も内容も面白い、はずなのにどうしてもこの人の文章とフィーリングが合わなかった。
ホブスンの「夢に迷う脳」もそうだったが、難解な内容を一般の読者にも楽しんでもらおうってサービス精神が裏目に出ちゃってるというか、凝った比喩とか詩的な文章を翻訳で読むと疲れる。

バージェス頁岩から発見されたカンブリア紀の化石をあらためて調べ直すことで、それまでの分類が覆されていく。
その重要性を繰り返し、熱く熱く暑苦しくグールドさんは述べてくれるのだが、その熱についていけない。
分類なんて人間が便宜上付けているだけで案外いい加減なものだと個人的には思うので、それが根底から覆されたとしても、まぁそんなこともあるだろうぐらいにしか思えない。
あとバージェス生物群を発見したチャールズ・ウォルコットへの批判が行き過ぎな気がする。私怨とまでは言わないけど、そのせいで脱線気味に感じるところが結構ある。

第一章の進歩史観に関する部分は面白い。ただ本題の前置きみたいなものなのですぐ終わってしまう。
引用されてるマーク・トゥエインの文章が印象的。彼の晩年の作品を読んでみたくなった。

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