ジェームス・D・クーパー「ランバート&スタンプ」@K’s cinema

ようやく、K’s cinemaへ『ランバート&スタンプ』を観に行く。

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カッコ良すぎるポスター。

あくまでも主役はKit LambertとChris Stampの2人。だから普通の音楽ドキュメンタリー以上に演奏シーンは少ないし、曲やアルバムについてもほとんど語られない。唯一、『Tommy』はバンドと2人が分裂していく直接の原因なのでそれなりに詳しく言及される程度。
だから不満かといえば全然そんなことはなくて、The Who絡みの映画はすべてそうであるように、『ランバート&スタンプ』もまた傑作。

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やけに気合いの入った館内の展示が嬉しい。

Who絡みのフッテージでも、ピートが2人に「Glittering Girl」を弾き語って聴かせるシーンなんかは結構珍しいと思う。でも2人の当初の目論みはバンドを成功させてそのドキュメンタリー映画を作ることだったのだから、それなりにバックステージでもフィルムは回していたんだろう。ジミヘンと2人がクラブで出会うシーンになると、ある程度打ち合わせして撮っているような感じもする。もちろんそれはそれで嬉しい。

この映画が凄いのは、2人がバンドをプロデュースする以前に助監督やカメラマンとして関わった映画やニュース映像を発掘していること。アマゾン探検に参加したキットが撮影したフィルムそのもの(?)まで観られる。

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館内の展示。4人のサイン入り『Who’s Next』。

バンドと2人の関係に亀裂が入ってからの(特にキットに関する)話は重たい。
マネージメント契約を解消する書類に最後までサインせず、キットを庇うキースの繊細さが切ないが、キットにとっては結局キースよりピートとの関係のほうが重要だったというのも余計に…。

ピートとロジャーが珍しく一緒に語り合っている近年のインタビューからも相変わらず緊張感が漂ってくる。それでも老いた2人の表情は穏やかだし、それはクリスも同じ。
クリスが亡くなったのは2012年で、映画の完成が2014年。映画のためのインタビューは最晩年ということになるけど、そんなことは全然感じさせない。バンドへの憎まれ口や過去にしでかした自分の悪行を愉しそうに語ってくれる。
それでも、キットやジョン、キースを懐かしむときの目には優しさと達観が滲む。

ピートのデモを効果的に使ったり、音楽も音響設計も素晴らしい。絶対に映画館で観なきゃダメだ。

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館内の展示。ジョンのサイン入りリトグラフ『The Who By Numbers』。

ジャック・ロジエ「アデュー・フィリピーヌ」@新文芸坐

新文芸坐シネマテークでジャック・ロジエの『アデュー・フィリピーヌ』。

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新文芸坐のシネマテークやレイトショーは結構観たい作品をやってくれる。ただ、仕事終わりで遠めの映画館に行けば間違いなく眠っちゃうので、今まで行ったことは無かった。
でも今回はチラシに負けた。で、案の定睡魔にも負けた。

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60年代のヨーロッパ映画ならそれだけで気持ち良くなってしまう性分なので、あっという間に眠くなって、おそらくこの映画でいちばん美味しいところは全然覚えてない。
それでも、リリアーヌは素敵。ジュリエットとただ街を歩いてるシーンとか、ベッドでふざけてるシーンとか、それだけなのに最高だ。
とにかくもう一度ちゃんと観ましょう。

大森一樹「ゴジラVSビオランテ」「ゴジラVSキングギドラ」@神保町シアター

『ビオランテ』と『キングギドラ』で二部作。もしくは『モスラ』も含めて三部作。この3本は思い入れがあるから映画の出来云々で語れない。
でも大森一樹が監督まで手掛けた2本は映画としても良く出来てるとあらためて思った。

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第1作や『ヘドラ』ほどではないにしろ、時代や、怪獣映画というジャンルとの関わり方に自覚的な映画。内容がどれだけ破綻していても、残っていくのはこういう映画だと思う。
結局は狭いファン向けのゴジラショーになってしまったVSシリーズ後半3本やミレニアムシリーズとはそこが違う。

それは置いといて、劇場で観ると伊福部音楽の低音部の厚さがよく分かる。他の作曲家の作品と併用されていると尚更。『ギドラ』でも『OSTINATO』から流用された「ラドン追撃せよ」は編成が違うから仕方ないけど明らかに音が軽い。
『ミレニアム』とか『メガギラス』でも印象的なのは伊福部音楽が流れて空気が変わる一瞬だけだったりする。大島ミチルのゴジラテーマも好きだけど、その他の曲はまるで印象に無い。

クラウス・ウィボニー「オープン・ユニバース」「想像の美術館」@アテネ・フランセ文化センター

アテネフランセのホームページでなんとなく惹かれた特集。
いちばん観たかった『西洋の没落のためのエチュード』は神戸だけの上映だったのが悲しいが、アテネフランセ上映の2本も充分面白そう。

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予定を変更して上映前に監督から映画の内容や制作経緯についての説明。
これがとてもわかりやすかったのに、実際に映し出された『オープン・ユニバース』は難しくて一度観るだけじゃ理解できないシロモノだった。
途中までは心地良かったが、フランクがサメに喰われて死んだあたりから内容についていけなくなったので内容を追うのは諦めて、時折挿まれるピアノに合わせた工場や廃墟のカットバックを楽しんでいた。
監督自身も「あんまりシリアスに捉えないで」と言ってたので、まあいいか。

『想像の美術館』は『オープン・ユニバース』に比べれば遥かに解りやすい。モネが描いたプールヴィルと現在のプールヴィルを比較する様子が延々と映し出される。
後半になるとデュシャンの『与えられたとせよ』の形式を引用して、フレームに開いた覗き穴から海辺の景色を覗くような画面にもなる。
面白いとかどうとかじゃなくて、100分間ほとんど海辺の音だけが続くので気持ち良くて眠ってしまった。あんなに硬いアテネフランセの椅子で。

2本ともクラウス監督が隣の席に座って自作を観ていた(パンとか食べつつ)。
作品と作家を同時に観ることはいかにも〈デュシャン以降の行為〉な感じがして面白かった。

大河原孝夫「ゴジラVSメカゴジラ」@神保町シアター

たぶんリアルタイム以来の『ゴジラVSメカゴジラ』。

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三村渉脚本と大河原演出どっちが悪いのか、ウソがウソにしか見えなくてあんまり引き込まれない。

Gフォースの描写ひとつ取っても、人事も勤怠管理もいいかげんそうだし、あれだけデータを蓄積してシミュレーションを重ねてるのに、いざゴジラが出現しても幹部に連絡が行くのが遅かったりで全然強そうに見えない。かといって昔のSFみたいに活劇っぽくしたいわけでもなさそう。いちおうはリアル志向なんだろうけど、メカゴジラのクルーが“簡単な英語”と日本語で話すので余計にアホっぽく見える。
デザインの問題じゃなくて、そもそも中尾彬とか原田大二郎が操ってるロボットに魅力を感じるのは難しい。あれだけカッコイイ音楽がついてるのに、普通の戦車隊とメーサー車のほうが格好良く見えるのはどうなんだろう。

特撮はこのへんからマンネリ化が激しくなって、同じようなシーンが延々と続くので正直云ってダレる。せめて脚本だけでもVSシリーズはすべて大森一樹に書いてほしかった。そうすればテンポは改善されたはず。(『デストロイア』はダメだったけど)
単純な実景合成もますます増える。新幹線の上を飛ぶメカゴジラ…あれはもうコントだよ。このへんの凄まじいセンスは当時助監督の鈴木健二にもしっかり受け継がれていくのが悲しい。

ラドンやベビーはジュラシックパークの影響が感じられて子供の頃から嫌いだった。特にラドン。
デザインや動きが格好悪いし、熱戦を吐くのは演出ミスだと思う。メカゴジラの熱線を浴びても翼を丸めるのが精一杯の〈大きくなり過ぎただけの翼竜〉として、ベビーから離れずにいたほうが、〈命あるものとないものの戦い〉っていうテーマを描くことが出来たはず。(このテーマもエンディングに取って付けたようなセリフがあるだけだが)

で、今回観たらベビーが可愛く感じられたのには自分でも驚いた。
単に歳くったせいなのか、佐野量子が上手いのか。本来ならゴジラもベビーも幸せなまま、ここでシリーズが完結していたのを知っちゃったからなのか。伊福部音楽のおかげもあって重厚なエンディング。

オープニングだけ観れば充分な駄作って認識だったけど、そこまでは悪くなかった。

大河原孝夫「ゴジラVSモスラ」@神保町シアター

神保町シアターでゴジラ特集。前回から2年しか経ってないんだから同じ企画やらなくてもとは思うけど(次の企画もまた天地茂だし)、観ることは観るので文句は言わない。

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『ゴジラVSモスラ』は初めて映画館で観たゴジラ。
でもLD-BOXまで持っていたわりに何度も観た記憶が無い。だからすごく懐かしかった。

なにひとつ新しいことはしてない。ほとんどお約束だけを繋げて作ったような映画だが、作り手も観客もそれをわかって楽しんでいるような空気が画面からも漂ってくる。それはシリーズ物の特権みたいなもので悪いことではないはず。

聡美さんや大竹さんが出てくると、特撮モノのパロディを見てるような気分になって面白い。小林聡美をゴジラで見られるだけで嬉しいが、もう少し見せ場があっても良かったような気もする。後半はただの傍観者になっちゃうし。聡美さんと別所さんが子役嫌いで意気投合してたのを知ってると、ラストシーンなんか笑ってしまう。

醒めた目で観れば前二作と比べると勢いがないし、物語のテンポも悪い。テーマを直接セリフで訴えるシーンも多くて鬱陶しく感じるときもある。

でもお馴染みの怪獣が出てきて、お馴染みの音楽が流れていればそれだけで満足。華がある。贔屓目で見ちゃうのも分かってるが、お正月映画らしいお正月映画だ。それで何が悪い。
伊福部先生の音楽に乗って、富士山から姿を現すギドゴジの姿を見ていると、いまでも幸せな気持ちになれる。

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神保町シアター特製のゴジラ。手ぬぐいが似合う。

鈴井貴之「ダメダメ人間」/ 藤村忠寿・嬉野雅道「腹を割って話した」

『ダメ人間』に続いて『ダメダメ人間 それでも走りつづけた半世紀』を。

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こっちはミスターが文字通りミスターになってから、要は『どうでしょう』が始まって、オフィスCUEも軌道に乗ってからの話が主なので、前作ほどの深刻さはない。社長業ならではの苦労とか、韓国への映画留学に際しての悩みも、「悲惨」とは違うし。

個々の番組の裏話はあっさり描かれていて、そういう意味では物足りない。後追い(しかも本州住み)にとっては、初期の『どうでしょう』にその匂いを嗅ぎ取るぐらいしか知る術がない『モザイクな夜』あたりの話はもっと読みたい。

『水曜どうでしょう』の裏話なら、一緒に買ったディレクター陣の『腹を割って話した』のほうが面白かった。

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内輪のスタッフ同士の話は、ヘタすると寒い褒め合いになることが往々にしてある(つまんない映画のメイキングとか)。そのあたりはオーディオコメンタリーでパロディとして演じてしまうぐらいに大人なお二人なので心配無用。

ミスターの本と続けて読むと、よくこのディレクター陣(特に藤村D)とミスターが一緒に番組をやれたもんだと思う。
たぶん97〜98年頃にはぶつかることも多かったんじゃないだろうか(想像に過ぎませんが)。あの頃のミスターは、悩んでいるような寂しそうな、時には露骨に不機嫌そうな表情を、一瞬だけふっと見せることがある。
どんどん自分の意志とは違うほうに転がっていく番組を続けるのは不本意な部分もあったはず。勝手に「ミスター」のパブリックイメージも膨らんでいくし。
そのへんが吹っ切れたぶん(?)、99〜01年頃はハズレが無いどころか神懸かり的に面白いんじゃないかと個人的には思う。

D陣の本も続篇が出てるから読みたいが、まだいちばん肝心な人の本を読んでないんだよねぇ。