水曜日のカンパネラ「ジパング」

池袋歩いてたら遠くで小さく流れていた「西玉夫」の〈隅田川〉に耳をとられた。我ながら自分のアンテナだと思う。
アルバムを聴けば「西玉夫」は例外みたいなもんだったが、どのトラックも気持ち良い。
歌詞も良い。
いまさら説得力に欠ける〈何事か〉を訴えるように歌われるより、リズムに乗るか否かでタンタカタンタンタカタンしてくれたほうが絶対正しい。

マスとは距離を置いて活動してポンと消えて欲しいもんさ。

E.M.シオラン「生誕の災厄」

古本屋で買った『BOOKMAN Vol.26』(1989)の〈秘密のベストセラー〉で取り上げられていたので購入。絶版にならずいまだに版を重ね続けているのが流石。

厭世観に満ちたアフォリズム集。基本的には、あらゆる語彙を使って〈生まれてきたくなかった〉と書いてあるだけ。
だから読んでいて愉しいが、なんとなく深みもない気がしないでもない。

疲れ切っていて、ここから議論に発展させるのも面倒臭がっているような作者の姿が浮かんでくる。
「反論があればどうぞ、そこから始まるものは何もないから俺はなにもしないよ。大体始まったとしても知ったこっちゃない」、そんな感じ。
だから読者は疲れない。(もしくはこの本を手にした時点で作者同様疲れきってる)し、そこが良い。どうでもいい。

Waterloo sunset’s fine.

国内でも海外でも、本当に嫌なことや悲しいことばかり続く。
今年の秋にはロンドンに行こうと思っていた。ウェストミンスターの事件はショックだ。
フランスにしろアメリカにしろ、自分が大好きな文化を育んだ土地で酷い事件が起こるのは悲しい。

もちろん旅行をやめるつもりはないし、自分に出来ることは何もないが、お花ぐらいは供えてこようと思う。
少しでも早く平穏が戻ってきますように。

松沢呉一「エロスの原風景 江戸時代〜昭和50年代後半のエロ出版史」

松沢呉一さんの『エロスの原風景』。手に入れたのはだいぶ前。もったいなくて少しずつ読んでいた。

ビジュアルメインのようでいて、時代風俗や印刷史にも突っ込んだ文章が面白くて、一気に読みたくなる。
あと4倍ぐらいのボリュームが欲しい。そうすれば一気に読んでただろう。

70~80年代のビニ本やスカトロ本は一見して下品で生臭そうなのに、それ以前のものになるとカストリ雑誌ですらレトロでポップに感じられるのが不思議。

特に大正~戦前に発行されたものは、エログロナンセンスが爆発していて、特別な魅力がある。それが浅薄なモダニズムだとしても、好きだ。

消えゆく紙媒体を扱う本だからして、装丁や文字組みも凝っている。
所有する悦びを充たしてくれる一冊で、しつこいけど量的に物足りない。
松沢さんの文章はWeb媒体で読めるとしても、エロ本ネタは紙媒体で続けてほしかった。

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RIP. Chuck Berry

もうなんというか、本当の、本物の、オリジネイターだ。同じ時代を生きられたことに感謝しないといけないような人だ。

とか知ったようなことを書きながら、オリジナルよりカバーで聴き馴染んでる曲のほうが多い。

チャック本人の演奏から直接影響を受けたというよりは、好きになったミュージシャンやバンドがことごとくカバーしてることから、その影響力の半端じゃないデカさを実感して、遡ってオリジナルを聴くっていうパターンがほとんどだった。
で、当然あのプリミティブな音に一発でやられるのだが。

ヴェンダースの『都会のアリス』で、フィリップが唐突にチャック・ベリーのライブを観に行くシーンが好きだ。
必然性もないし画面は裏焼きだけど、ヴェンダースが入れたいから入れた、それだけって感じが、すごく好きだ。ロックンロール。

RIP.

実相寺昭雄特撮オールナイト第2夜@新文芸坐

実相寺昭雄特撮オールナイト、第2夜。

『怪奇大作戦』を映画館で観られるんだから、迷う理由もない。
しかも仕事終わりじゃないから寝る心配もない。

まずは樋口尚文とアンヌ、三輪ひとみさんでトークショー。
トークの内容は置いといて、三輪さんとアンヌの綺麗なこと(アンヌは古稀らしい。嘘だろう〉。
三輪さんは表現も話し方も笑い方も素敵な人だった。でも出演作はひょっとしたら一本も観てないかもしれない。(子供の頃から『宇宙船』なんかで見ては綺麗な人だなぁと思ってたのに、出てるのがホラーばかりで怖くて観られなかったんです。ごめんなさい)

途中から中堀正夫さんも加わって、カメラマンから見た実相寺監督が語られる。でも技術的な話は少なくて、監督の人柄を偲ばせる楽しい話ばかり。
(フィルモグラフィによれば『幻の光』も中堀さんの撮影…個人的な悦び!)

他にも、円谷プロと成田亨先生の確執に関するいい話とか、『セブン』12話を解禁するなら今年しかないだろうって話とか。アンヌが語るのは予想外の話ばかりで楽しい。

12話は、問題は解決しているし出そうと思えば出せる、けど各所が遠慮しあってる(樋口さんの言葉を借りれば「非常に日本的な状況」)だけらしい。
あとはファンの後押しだけだよ、ということで盛り上げてくれるアンヌ隊員。
そう言われるともうすぐなんだろうな、って気持ちにこちらもなってくる。

中堀さんによれば、レストア済みの12話は全エピソード中でいちばん綺麗だそうだ。フィルムの劣化が少ないからだろう。嬉しいけどちょっと複雑だ。

で、『怪奇大作戦』。
4作とも何十回と観てるが、スクリーンで観るとやっぱり印象が違う。まったく粗の見えない作り込みの細かさは完全に35mmの映画並み。

実相寺演出ならではの細かい仕草によるボケもよく判る。
京都篇はアフレコじゃなくて同録だから、映画館のほうがセリフも聞き取りやすいし、なによりスクリーンが似合う。

ただ、今回の上映素材は(たぶん)DVDと同じ疑似ステレオだったようで、そこだけは不満。京都篇は特にリミックス作業で付け加えられたアンビエントノイズと、オリジナル音声との剥離が目立つ。

音響設計にも徹底的にこだわる実相寺昭雄の特集なんだから、第3夜ではぜひオリジナル音声で再上映してほしい。

次は『シルバー仮面』から5本。
CSで何本か観たことがある程度だったから新鮮。兄弟の絆を軸にした暑苦しい設定は苦手だが、シリアスなのに笑いが漏れるのは映画館ならでは。
実相寺演出は1本だけで、あとは大木淳や佐藤静夫が演出したエピソード。当時の日本現代企画周辺の尖りっぷりがビンビンに伝わってくる。

ただ、元を辿ればその尖った感性のスタッフ達も円谷プロにいたわけで、次の『実相寺昭雄監督作品 ウルトラマン』なんかも併せて観ると、逆説的に金城哲夫という人の凄さが感じられる。


(第3次怪獣ブームの熱は感じられる。でもそれだけ。新撮カットや再録主題歌のショボさが悲しい)

大島組にいた左翼系の人達から、TBSの飯島監督や実相寺監督みたいな個性の強いディレクター陣、東宝から来た活動屋まで、職人気質だろうが作家性が強かろうが、とにかく好き勝手にやらせて、なおかつ壊れない世界観を作ってしまった。

巨大ヒーローもののフォーマットを『ウルトラマン』一本で確立してしまったのと同時に、すでにその中でアンチテーゼもパロディも批判も行ってしまった。
後になって大江健三郎がする批判や、お笑いでネタにされるようなお約束の揶揄なんか、全部自分達でやっちゃってたのだ。
これはとんでもないことだと改めて思う。

そしてやっぱり、金城哲夫は宮沢賢治だ、との思いを強くする。
唐突だが、理想を追い求める強さと繊細さ、場を作る能力や、独特の宇宙観・生命観に、似通ったものを感じてしまうのだ。

実相寺昭雄オールナイトだったのに、早朝の池袋をブラブラしながら考えたのはそんなことだったりする。

岡本太郎「自分の中に毒を持て」

寝付けない夜ふけにマケプレを彷徨っていたら、岡本太郎の本を何冊か買っていた。

『壁を破る言葉』と『強く生きる言葉』は格言集というか、1ページにひとつドカーンと太郎の言葉が載っている。
言葉自体はカッコイイのだが、それがどういう文脈で出た言葉なのか、出典はなにか、そのへんが判らないのが不満。
敏子さんの編集だから間違いはないだろうが、なんか相田みつをの本みたい。

もう一冊、『自分の中に毒を持て』は青春出版社とかいう版元からして既に暑苦しい。
でも副題で「あなたは“常識人間”を捨てられるか」と銘打ってるわりに、そこそこ常識的なことしか書かれていない。
孤独を恐れるな、瞬間瞬間に生きろ、ダメになったほうが面白いじゃないか、etc…。言われなくてもそうやって生きてるよ。
(そんな風にしか感じられないほど自分の感受性がダメになってしまったのかもしれないけど)

かと思えば年寄りならではの自慢まじりの昔話が始まったり。パリ時代に付き合った女性達の思い出話はひとりひとり妙に具体的だったり。タロー可愛い。

いかにも一昔前の有名人エッセイ本(旧版の表紙はモロ)で、一般向けの人生論ならまぁこうなるわな、って感じ。
ちょっと期待外れで予定調和な一冊でありました。やっぱり作品を見て打ちのめされるのが一番。

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