森高千里「STEP BY STEP」

なんか唐突に思い出したCM。

細野さんが出てたローソンのCMは好きだったなーと。まだ白痴同然にTVを見てた前世紀の話。

『今年の夏はモアベター』は名盤だが、肝心の森高千里のドラミングを聴いたことがなかった。
(あ、『モアベター』でも叩いてるのかもしれない。「東京ラッシュ」のインパクトがデカくて全曲打ち込みだと思い込んでた)

で、思い出したついでに聴いてみた。


94年の『STEP BY STEP』はほとんどの曲で叩いてるらしい。「Everybody’s Got Something To Hide Except Me And My Monkey」もカバーしてる。
トリッキーなイントロも含めてほぼ完コピ。タムやスネアの音色もそれなりにリンゴ味。


ホントにストレートなカバーなので意外性は無いが、これはこれでカッコイイ。
ただ、発音をごまかすためなのか、ボーカル(特に子音)の処理が少し耳障り。80年代のデジタル録音ほどは耳に刺さらないのが救い。

美人で歌えて弾ける人って嫉妬しちゃうわね。
アルバムを流して聴いてたら「ずる休み」とか、結構いい曲もあるし。
嫉妬しちゃうわね。

里中哲彦, 遠山修司「ビートルズを聴こう 公式録音全213曲完全ガイド」

里中哲彦と遠山修司のお二方が書いた中公文庫の2冊は、やけに評判がいいので気にはなっていた。
で、『ビートルズを聴こう』を読んでみたら、うーん…驚いた。

図版は最低限。きっと文章で読ませてくれる本なんだろう…と思っていたら、本当にありふれた、そしてどちらかといえば凡庸な感想を並べただけの本だった。
目新しい解釈や著者ならではの聴き方も特に見出だせない。

なんでこの程度の本がそんなに評価されてるのか、違う意味で驚いてしまった。

しかもなんというか…、お二人のビートルズ観は、ひと昔以上前のものじゃないだろうか。

ビートルズしか聴いてこなかったオッサン二人の酒の席に付き合わされてるようで、じわじわとイヤな気持ちになってくる。
メンバーのソロアルバムにはあんまり興味なさそうだし(ジョージなんかボロクソ)、「Revolution 9」を〈音楽とか楽曲と呼ぶには抵抗がある〉って、そんなんじゃ本当に限られた範囲の音楽しか楽しめないんじゃないすか。

そんな耳でビートルズは凄いビートルズは凄いと連呼されても。

久しぶりにダンク本を掴んでしまった。すぐゴミ箱へ。

細野晴臣「HOSONO BOX 1969-2000」

嬉しい買い物。『HOSONO BOX 1969-2000』。

中身は大昔にレンタルして何百回も聴いてるが、所有する喜びはボックスの場合、格別。

シュリンクとステッカー付きの美品じゃなきゃ嫌だったので、コンディションと値段が見合うものになかなか出会えずにいた。(レンタルしちゃって中身が判ってるぶん、他に聴きたいものを優先しちゃうというのはどうしてもあったし)

それが先日、予約特典の10インチ付きでポンと目の前に。こういうときは後先考えずに買う。

10インチのジャケ裏は細野さんのマンガ。さすが絵が上手い。解説書の奥さんとツイスト踊ってる絵も好き。

まだ『はっぴいえんどBOX』と『風街図鑑』を手に入れないといけない。
気長に集めよう。

ラリー・ブキャナン「金星怪人ゾンターの襲撃」

史上最低の映画監督の一人に数えられるラリー・ブキャナン先生。
まったく異存はないが、ヘタクソでつまらないだけで、嫌いではないんだな。


(↑3倍速録画のVHSと同等かそれ以下の画質のDVDももちろん買った)

今夜は眠れなさそうだなーと思ったら、YouTubeで『ゾンター』か『火星人大襲来』を流しておく。
センスを疑われそうだが、『ゾンター』のチープな電子音を散りばめた音楽は好きだ。催眠作用がある。
いうまでもなく映画全体にも催眠作用がある。

加えてこのへんの映画には個人的なノスタルジーがあるから、音だけ聞き流してると案外眠れてたりする。


(↑当時のポスターなんだろうか。イラストで誇張したりしてないところに好感が持てる。ホントかよ)

『火星人大襲来』もね、どうしようもないバカ映画だけど、プラネタリウムのシーンには一種の詩(褒めすぎ)があって結構好き。全体がダメダメだから余計に浮いちゃってるが。


ドライブインシアターで休憩時間に流れていたスナックスタンドのCFも、YouTubeには結構UPされている。
古き良きアメリカは終わっているが、カウンターカルチャーもまだ勃興し始めたぐらいの時期。この時期特有の空気といいましょうか。まだアメリカがノーテンキでいられた最後の時代。この空気感は悪くない。

でも気分が出るからってスナックスタンドのCFを夜中に観るのは止めましょう。

ゴミについて

こんなときに限って風邪が酷くて国会前に行けず。
ずっとこんな国で暮らすわけじゃない(そうとでも考えて逃避しないと神経を壊される)からいいんだけど、ムカついてるって意思表示ぐらいはしておきたい。

自分が共謀罪なり安保法制なりに反対なのは、バカで想像力の無い連中の巻き添えを食うのが嫌だから。
なので、この国が好きで、国の行く末を考えて行動してる人達は偉いし、大変だなぁと思う。
この先、状況が良くなることなんて無いのに。

そうは言いながら、採決の様子やら政権に肯定的な意見を目にするとムカつくのは、まだどこかでこの国がそこまでバカじゃないと思ってるからなんだろうか。

だとしたらそこにいちばんムカついてしまう。中途半端なお人好し。どっち付かずは良くない。一度ゴミと決めたものはゴミなんだよ。

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大島渚「夏の妹」@早稲田松竹

大島渚は苦手。そう言い切れるほど本数を観てないが、どうも合わない。
『夏の妹』は『さすらい』の翌年の栗田ひろみ目当てで、あとはまぁ寝てもいいかぐらいに思っていたら、いい意味で裏切られた。

だいたいATG×創造社の映画なのにアイドル映画なのが凄い。いや、アイドル映画として“成立”してるのが凄い。
ただそこは大島渚の力じゃなくて栗田ひろみとりりィさんのおかげな気もする。

『さすらい』の赤いワンピースの少女の面影はまったく無く、もうここにはアイドルらしくヘタクソなアイドルがいるだけ。
多分それでいいんだろう。実際いま観ても可愛いし。
ヘタに芝居が巧かったらりりィさんとのコンビネーションが破綻してるはず。

そう、とにかくりりィさんだ。無条件にさん付けしたくなるぐらい魅力的。
すっぴん(たぶん)のアップショットはソバカスがあるんじゃないかと思うぐらい若々しいのに、人生に疲れてそうな陰がある。
こんな先生にピアノ習ってみたかった。

あとはいつものメンツ。
殿山泰司や小松方正は本土の人間だからいいとして、佐藤慶や戸浦六宏が〈琉球人〉だと言われても無理がある。日本人にしか見えない…つーか佐藤慶と戸浦六宏にしか見えない。
出てくるだけで笑ってしまうのもいつも通り。

『ウンタマギルー』を観た直後だから余計に違和感を感じる。
ギルーを演じる小林薫にそこまでの違和感は無かったのに、こっちは違和感しか感じないのは、俳優さんが小林薫なんかより何倍も濃いからってのは勿論あるが、彼ら自身が琉球人をどう演じたらいいのかを掴んでないからってのもあると思う。

ただそれも怪我の功名なのか、重くなりすぎずに笑って観ていられる。
後半ディスカッションドラマになって〈琉球〉〈沖縄〉がどうのこうのと言われても、〈いつもの大島組〉そのまんまなので説得力がない。彼らの関係性は日米と沖縄の関係性を暗喩してるのに、ガハハオヤジのエロ話としか印象に残らない。

だからこそ、これでいいんだろう。日本が琉球や蝦夷地に対してとってきた態度は〈ガハハオヤジ〉のそれそのものだから。
ここは日本のガハハオヤジがもっともらしく沖縄を語ることで皮肉が利く。

で、そんな彼らを「嘘つき」と罵るのは若くて素人同然の栗田ひろみじゃなきゃダメなのだ。

ただどこまでが監督の計算通りだったのか、となるとよく判らない。
沖縄市内を観光バスで走るシーンやガマを観に行くシーンは、対象との距離感を掴みかねてる感じが、やけに生々しい。
それもいま観ると効果的(時代の記録としても有用)だが、当時どこまで意識して撮っていたのかが判らない。面白いからいいんだけど。

武満徹の音楽はもちろんいい。
エレピが優しいテーマ曲が無かったら、確実に作品の質が一段落ちる。

高嶺剛「ウンタマギルー」@早稲田松竹

久しぶりに映画館に来られた。それだけでもう嬉しい。ロビーのチラシ漁りまくり。
春が死んでしまえば情緒は安定してくるが、仕事はもっと忙しくなりそうなので、これからは観たい映画の1割も観られないだろう(T_T)

高嶺剛の映画も、少し前にイメージフォーラムで特集があったときにまとめて観たかったのに一本も観られなかったので、早稲田松竹に感謝。


(↑ポスターは小林薫じゃなくて本木雅弘似)

沖縄の伝承が基になっているそうな。
マレー(ブタの化身)と交わる禁忌を犯してしまいミイラになるところを、運玉森の妖精に助けられて不思議な力を得るギルー、さらにはその力を使って義賊ウンタマギルーになるギルー。

返還前の沖縄が舞台だし、シリアスな話だと思ってたからブッ飛んだ。
もちろん、客を取っている(いた)ギルーの妹チルーに、日米から虐げられる沖縄の比喩を見ることは容易い。監督の意図がそこに無かったとしても連想してしまう。
また、ギルーの母親の過食症や、去勢された親方も気になる。

しかしそんな隠喩の嵐を考える隙は与えず、それでいて南国の湿度や気怠さを感じさせるテンポが絶妙なので、過度に重くはならない。

狂言回し的に登場する照屋林助の音楽も楽しい。
オープニングで歌われる「これから世の中は変わっていくよ。あなたも私も、冷たい人になっていくよ」という言葉にギクリとさせられもするのだが。

いろいろあって、ギルーは生死不明になる。ここからタイトルバックのシーンに繋がるのか…と思っていると、冒頭と同じように、仕事の合間にマレーを抱く夢を見るギルー。
「夢オチか!?」と混乱していると、彼はギルーとは別人で、今は本土復帰後であることが判る。さらに混乱したところに、間髪入れず『気狂いピエロ』みたいなラストシーン。

ずーっと沈めておいた政治的主張が一気に浮上してきたような、それまでとははっきり異質なトーンが強烈。

沖縄の望みは日本への“復帰”でも、アメリカによる“統治”でもない、ということなのか。複雑な余韻を引きずったままエンドクレジット。
照屋林助の三線とは対照的に、沖縄音階は取り入れても神秘的で重たい上野耕路さんの音楽がいい。

観ている最中は単純に面白いし、それでいていくらでも深読みが出来そう。いい映画だ。はやく『パラダイスビュー』も観たい。

ウチナーグチを操る戸川純ちゃんの違和感のなさが凄い。多才な人だ。