石川淳「靴みがきの一日」

ここ一週間ぐらい、色々あって(何もないことが多すぎて)パーになってしまい、文章が頭に入ってこない。
手許にある本を拾っては数行読み、投げ出してまたもう一冊、を繰り返していたら、ネズミが齧ったような本が増えてしまった。


かろうじてちゃんと読めたのが石川淳の「靴みがきの一日」。

小品だが、小品と言ってしまっていいのか判らない熱が渦巻いている。
主人公の強引な主観主義によって世界を構築し、最後まで押し切ってしまう力業が、いつもながら本当に気持ちいい。

俗な言い方をすれば、読みやすい『焼跡のイエス』だ。
書かれたのは昭和三十九年だから、終戦からもうすぐ20年。作中に描かれているのも戦争ではなく交通戦争だ。
それでも、主人公の靴みがき平賀比良吉には、焼跡の少年と重なるものがあるし、もしかすると彼は戦争孤児だったのかもしれない。

まあ、一瞬でも日常を忘れさせてくれたなら、そんなことはどうでもいいのだ。
徹底的に権威をおちょくる主人公の図太さと、白昼夢のような女の脚が振りまくエロスが堪らない。

そして読み手は焚き付けられ、日常に放り出される。

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Herbie Mann & The Bill Evans Trio「Nirvana」

妙な組み合わせに惹かれて聴いてみた。
アトランティックっぽい大味な録音だなぁ…と思っていられたのも最初の数秒。なんだこの音は。
大味どころか、ピアノなんて完全に音割れしてる。


マスタリング以前に、録音の段階でダメだったらしく、その上ネットで調べてみるとマスターが消失(焼失?)してリミックスも出来ないらしい。
アルバムの内容自体は好きだったから悲しい。

特にエヴァンスが弾くサティ(ジムノペティ)は新鮮だ。マンのフルートが余計に感じられたりもするが、それもこの曲ぐらい。

しかしなんつーか、Herbie Mann絡みは面白いアルバムが多くて楽しい。
怖いジャズオヤジの皆さんに一段低く見られてたのも、解らなくはない。

でも演奏は気持ち良くて、新人を見る目もあったのに、何がいけなかったんだろう。それがいけなかったのか。

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The Esso Trinidad Steel Band「Esso」

梅雨だからカラッとしたい…わけでもないけど(雨好きだし)、スティールパンのバンドなんて気持ちいいに決まってる。
プロデュースはVan Dyke Parks。

一曲目はいきなりKinksの「Apeman」。イントロのフレーズにパンがぴったり。
ただアルバムを聴き進むとちょっと暑苦しくなってくる。
スティールパンひとつひとつの微妙な音程のズレも気になる。大所帯すぎるのかなぁ。

とはいえ「Cecilia」のAメロ前にFを連打するところとか、やけに迫力と中毒性があって好きだ。
ヘンなアルバムだけどたまに聴こう。

「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」@東京ステーションギャラリー

本当に愉しかったアドルフ・ヴェルフリの企画展。


ポスターを観た瞬間に「なんだこれは!」でガツンとやられたが、当然ながら本物の作品はそれ以上。

マッジ・ギル以来の衝撃。
こんなに愉しくて、眺めているだけで描きたくなってくる絵を描いてくれるのは、自分のなかではギル、ピカソ、マティスぐらいのもの。

鉛筆で新聞用紙一面に描き込まれたヴェルフリだけの世界。とにかくその量。
質より量ではない。量の先に現れる質を伴った量。
楽しくてしょうがない、描くしかない、その執念の過剰さに、こちらも愉しく圧倒されるしかない。

描き始めてから死ぬまで、作風は一貫して変わらないが、途中から純粋な鉛筆画に雑誌や新聞からのコラージュが混じり始める。
これがまたモダニズムっぽいというか、構成主義っぽくてツボ。愉しいだけじゃなく滅茶苦茶カッコイイ。

ステーションギャラリーの空間が彼の作品に不思議とマッチしていて、それがまた良かった。
ここは作品が飾られているレンガの壁を眺めているだけでも愉しいから好き。
次の作品の人だかりがいなくなるのを待ちながら、目の前の壁をボーッと観ていると、レンガのテクスチャーが面白くて、壁を描きたくなってくるぐらい。

すべての絵に描かれている音符と五線譜(六線譜だったりする)のモチーフから、ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』を思い出したりした。
〈絵画は音楽や踊りに比べて純粋な遊戯とは距離がある〉、そんな感じのことをホイジンガは書いていた気がするが、ヴェルフリの絵を観たことはあったのだろうか。


居ても立ってもいられず、ショップで図録と色鉛筆を買ってしまった。
真っ暗な日常を吹き飛ばしてくれたヴェルフリに感謝。

共謀罪、に限らず

秘密保護法も戦争法案も共謀罪も、とにかく姑息に事を進める点で何も変わらない。その度にうんざりさせられる自分にもうんざりする。


昨日は仕事終わりで国会前に行った。
こんな国はとっくに見捨ててるが、意思表示だけはしたい。黙ってバカの巻き添えを食うほどお人好しではない。

で、今回もやっぱり、抗議コールの真ん中にいながら、ここにいる人達のこともまた信じていない。
野党議員が議場の進捗報告を兼ねて挨拶に来ると、歓声と拍手で迎える。それは違うだろうと思う。どうしても違和感が消えない。
迷いもなく声をあげている人や、ノッてコールしている人を見ていても怖い。いつ、この人たちがあっち側にまわるかわかったもんじゃない。


安倍と与党連中はもちろん、自分を含めて長い間政治に無関心だったすべての人間が憎い。

311後の日本は、それまで見て見ぬふりをしてきたものが全部見えてきただけで、むしろ良い傾向だと云う人もいる。
理屈は解るし、311が無くてそれまでの日本がダラダラ続いていたよりマシだとは思う。

それでも、自分がどれだけ阿呆だったかを直視させられるのはツラい。そして自分以上に阿呆な連中が威張る世の中が、さらにエスカレートしてずっと続くと思うと、憂鬱以外の何物でもない。

なんでこんな国に生まれたんだろ。最悪。
誰も彼も憎い。

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ウルトラセブン青森ねぶた祭に出陣プロジェクト

青森ねぶたウルトラノ會のみなさんがクラウドファンディングで資金を募っていた、「ウルトラセブン青森ねぶた祭に出陣プロジェクト」が見事に目標額を達成。


凄い数字。

そのリターン品が昨日届いた。
感謝状、青森ねぶたウルトラノ會會員証、福巾着、怪獣跳人うちわ。


うちわのデザインも、福巾着もカッコイイ。

本番のねぶた祭りを観に行けないのは残念だけど、とにかく目標額達成おめでとうございます。
このプロジェクトをRTとオールナイトで教えてくれたアンヌ隊員、ありがとう&お誕生日おめでとう。
そしてなによりも成田亨先生の素晴らしい業績に、あらためて感謝致します。

「Strawberry Fields Forever」と「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」

『Sgt. Pepper’s』は凄いアルバムだったんだなぁと、Super Deluxe Editionを聴いてようやく実感できた気がする。
もちろん好きなアルバムではあった、でも「過大評価じゃない?」って印象は初めて聴いたときからずーっと付きまとっていた。(まだ少しある)

それは他でもなく「Strawberry Fields Forever」のせいだ。


自分もそうだが、後追いでビートルズを聴いた人間にとって、「Strawberry Fields Forever」は『Magical Mystery Tour』の中の1曲だ。
だからなんで『Sgt』ごときが『MMT』より高く評価されているのか解らない。

でもこうやって時系列に沿ってセッション音源がまとめられると、「Strawberry〜」が「Tomorrow Never Knows」のようにアルバムの端緒を開いた曲だったという当たり前の(はずだった)事実が、ようやく実感として迫ってくる。
『Anthology 2』でも感じられないことはなかったが、今回のボックスのほうが意図がよくわかる。
(だからこそ「Only A Northern Song」を外したのはどうなの?と思う)

『Sgt』なんてそれほど大したアルバムじゃないとジョンが考えてしまうのも当然だ。「Strawberry〜」は入っていないし、当初のコンセプト(幼少時代の4人をテーマにする)も活きてないんだから。


「Strawberry Fields Forever」と『Sgt. Pepper’s』のジャケットを並べてみると面白い。
シングルとアルバムという意識を取っ払って、純粋に2枚のジャケット写真として見較べてみよう。
そうすると、ジョンの内省的な色を保ったままバンドが活動した場合と、ポールが自ら思いついたコンセプトに則って主導した場合の1967年のビートルズの違いを、写真が表しているように見えてくる。

過去の記憶に沈潜していくジョンと、同時代のバンドに影響された大風呂敷を広げるポール。
個人的にはもちろん、ジョンが主導権を取ったまま、当初のコンセプトを活かしたアルバムを作って欲しかった。(そのコンセプトがジョンによるものかは知らないけど)

でも面白いのは、これまでと同じように、ジョンがセッションの最初に示した音像だけは、コンセプトが反故にされた後も最後まで深化しつつ残り続けたことで、そこにも『Sgt』の重層的な面白さの一端はある。マーティンの功績でもあるだろう。

ただ、「Strawberry Fields」は他の『Sgt』収録曲ほどにはリヴァーブが使われていない。
(演奏は混沌としていてもミックスは分離が良いから、『MMT』に収められてもそれほど違和感がなかったのだと思う)

おそらく、『Sgt』セッションの方向性を決定付けたのは、「Strawberry Fields」のデモテープか、ジョンがメンバーの前で披露した弾き語りだったのだろう。
あの曲想、もっと言えばあのジョンの声をスタジオで再現するためのマーティンやエメリックの試行錯誤が、「Strawberry Fields」完成後の曲にも影響していく。

「レココレ」でサエキけんぞうさんが書いていたが、67年のアビーロードのリヴァーブやエコーは絶品だ。そしてこれはジョンの曲想に合っていたと思う。
合っていたというか、ジョンの場合はスタジオ作業も作曲行為の一環になっていたから、当然、スタジオの音響特性も曲に影響を与えてしまう。

ポールの曲(特に「Getting Better」や「Lovely Rita」)は、もっとデッドな音像でも成立すると思うが、「Lucy In The Sky With Diamonds」や「A Day In The Life」は、あの音像でないと成立しない。
「A Day In The Life」のJohnの声は、絶対にあの声でないといけないのだ。

英国らしい湿り気と奥行きのあるリヴァーブ。これはモノもステレオも変わらない。
4トラックのマルチに記録された残響成分を後から変えることは出来ないから当然だが、このアルバムはステレオでも〈拡がり〉より〈奥行き〉を感じる。

そこを、後出しのポールのコンセプトに沿って〈拡がり〉のある音像に変えてしまったように思えるところが、今回のリミックスのマイナスポイントだ。
ミックス自体はよく出来てると思うし、大音量で聴けばそれなりに快感(ベースとドラム!)だが、やっぱり『Sgt』にアッパーなステレオサウンドは似合わない。
もっとダウナーで、鬱々とした方向の(どんな方向だ)リミックスが聴いてみたかった。


要はこのアルバム、やっぱりカラーじゃなくてセピア色なのだ。
ポールの色が徹底されていれば、原色キラキラのさらにドギツイ色に染まっていたかもしれないが、ジョンの〈声〉がそれを許さない。そこがバンドの面白さで、原色はくすむ。

逆に言えば今回みたいに祝祭的な音像は、『MMT』の躁鬱的な楽曲にはよく似合うと思うので、今からそっちが待ち遠しい。