是枝裕和「万引き家族」@キネマ旬報シアター

映画館に行く気力すら無く、映画を一本おしまいまで観る集中力すら無い時期が一年ぐらい続いていた。
最近ようやく復調してきたので、やっと『万引き家族』を観ることが出来た。

リリー・フランキーが出てくる邦画はもういいよって感じだが、監督と相性がいいんだから仕方ない。
安藤サクラが凄い。是枝作品で子供を差し置いて大人が一番印象に残ることってなかなか無い。
決してハッピーエンドではないけど、面会室で彼女が放つ「楽しかったからさ」っていうセリフに救われた気になる。

とはいっても一番好きなシーンは、髪を切ったじゅりが〈りん〉になって、亜紀と一緒に鏡台に向かうシーン。

この国に蔓延する〈家族はかくあらねばならない〉という数々の偏狭かつ胡散臭い思考への、もっと言えば伝統的(とされている)家制度を盲目的にありがたがるような人々への、鮮やかなカウンターのような映画。
少なくとも自分はそのように捉えた。血縁がなんだっていうんだ。

細野さんの音楽もいい。目立ちすぎず、それでいてグリッサンドがずっと耳に残る。
パンフレットが売り切れだったのが悲しい。

余談。
実は本作のエキストラ募集に応募していて、体調を崩さなければ商店街の客か警官の役で出演していたはずだった。
インフルエンザだったから仕方ないのだけど、出たかった。
一瞬でも自分が映っている作品がパルムドールだなんて、夢みたいな話じゃありませんか。
体調管理が一番です。

田中優子「江戸の想像力」

〈江戸の想像力〉は、江戸時代に生きた人々の想像力であると同時に、縦横無尽に近世の世界を描く田中優子さんの想像力でもある。

馬鹿孤ならず、必ず隣有り。

第二章冒頭に引用された、平賀源内による大田南畝『寝惚先生文集』の序からの一文。
著者の視点も、絶えず〈隣〉を求めて、一箇所に留まることがない。
中心となるのは平賀源内だが、彼はあくまでも狂言回しに過ぎないと言ってもいい。
源内を入口にして、著者の分析は江戸時代の江戸から近世の世界へと駆け巡る。

様々な角度から照らし出される近世の人々とその世界像。
筆は対象との絶妙な距離感を保ちつつ、乾いた笑いを忘れない。これを戯作精神というのだろうか。

個人的には、本草学から狂歌、落語までを俳諧のネットワークを軸に語る第二章が突出して面白かった。
近代とは根本的に異なる、〈連〉が持つ完結を拒むシステム。
石川淳「江戸人の発想法について」と併せて読むべし。
そしてナイアガラのクレジットに名を連ねる珍奇な名前の数々は、天明狂歌人の狂名だったのだ。

文学研究(そんな狭い領域に押し込むのも間違いかもしれないが)の醍醐味を味わわせてくれる名著。
これ一冊では足りない。絶えず流動している著者の思考を追って、本書の〈隣〉を読みたくなる。
なんだか大学の図書館に行きたくなった。

白石雅彦「『怪奇大作戦』の挑戦」

『怪奇大作戦』肝心のBlu-rayは金欠でまだ買っていない。
続いてこれからムック本、サントラと出るようなので嬉しい悲鳴。

そんな中、先鞭を切ったこの本だけはとりあえず買った。
8時間弱で読み終えた。

どこを読んでも面白いが、特に序盤、『マイティジャック』の失敗から『怪奇大作戦』放送に到るまでの紆余曲折は面白い。
円谷英二の日記(これもそれこそ岩波文庫に入れるべきだと個人的には思う)からは、社長としてプロ内部を憂慮する気持ちが痛いほど伝わってきて辛くなる。

図版がないのは淋しいし、すでに亡くなられたスタッフの証言は過去のものに依らざるを得ないから新味がない、という恨みもあるにはある。でもそれは大した問題じゃない。主眼はその先の考察なのだから。
そういう意味で、24話に一切触れてないのはどうかと思う。
せめて満田、山浦両氏が番組に参加することになった経緯ぐらいは書いてもいいはずだ。

とはいえ良書には間違いない。

上原善広「発掘狂騒史 『岩宿』から『神の手』まで」

旧石器捏造事件については、記者会見の様子がおぼろげに記憶にある。
なんか見てるほうも胃が痛くなるような会見だった。
やったことがやったことだけに、叩かれても仕方ないとは本書を読み終わっても思う。

捏造事件だけを扱っているわけではなく、学閥やら権威やら、泥臭くて閉鎖的な戦後の考古学界の歩みを丹念に追っていく。
この泥臭い部分が、よくも悪くも人間的で面白い。

『フェルマーの最終定理』を読んだ直後なのもあって、閉鎖的な日本の考古学界は、あけっぴろげでいながら厳密な証明を重んじる数学者達の世界とはすごく対照的に感じられた。
そもそも比べちゃいけないものなのかもしれない。

読後感はそんなに良くはないが、読み応えはあった。

サイモン・シン「フェルマーの最終定理」

フェルマーの最終定理は、Beach Boysの『Smile』に似ていると思う。
いちおうはブライアンが04年に完成させたけども、それはあくまでも現在のブライアンがツアーバンドと共に作り上げたものであって、67年当時、ブライアンの頭のなかに響いていた完成形がどんなものだったかは謎のままだ。
フェルマーの最終定理も、ワイルズが証明こそしたものの、それがフェルマーの証明と同じだったはずがなく、オリジナルの証明は謎のままだ。

数学はもちろん算数さえ怪しい自分にも楽しめた数学ノンフィクション。
解説で訳者が書いてるように、難解な計算をひとつも読者にさせず、それでいてワイルズをはじめとする数学者達の仕事がいかに凄いかを伝えてくれるサイモン・シンの筆力はすごい。

数学の歴史を紀元前から一気に読まされてしまった。
圧巻。

水野稔「黄表紙・洒落本の世界」

大学時代の戯作文学の授業を思い出したくて、要は現実逃避したくて読んだ本。

もう少し図版が欲しかったとは思うものの、江戸後期の戯作文学が、現実とどのように関わり、どのように変遷していったかがよくわかる。
寛政初期、弾圧を加えられた山東京伝の身の処し方に、江戸庶民、というか日本人の順応体質が垣間見れて、なかなか嫌な気分になったりもするが、表向きは体制に迎合しながらも心理描写を深めることは止めなかったのが、京伝の凄さでもあるんだろう。

知的好奇心も満たせたし懐かしい気分にもなれたし、損はなかった一冊。

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中屋敷均「ウイルスは生きている」

帯文の『生物と無生物のあいだ』以来の傑作、に反応して読みたくなった本。
そこまでではなかったかな、と。
割と専門的な部分もあってちと難しかった。急いで読み過ぎたのかもしれない。

生命の分類は所詮人間が考えたものに過ぎないし、それに当てはまらないウイルスや細胞の営みが発見されたからといって、そんなに驚くようなことだとも思えない。
『ワンダフルライフ』なんかもそうだったが、この手の本を読んでもイマイチ感動が薄いのはそのへんが原因か。

ただ、著者はリチャード・ドーキンスの〈生物は遺伝子の乗り物に過ぎない〉という捉え方を引き継いで、〈ヒトとしての生に比べれば、人としての生のほうが傍流なのかもしれない〉と説く。
この考え方は個人的にしっくりきた。