松本俊夫「母たち」と佐々木昭一郎「マザー」

松本俊夫といえば『薔薇の葬列』の眼をブッ刺すシーンである。
10年ぐらい前、カレル・ゼマンを観に行ったイメージフォーラムで予告編を観てトラウマになった。
逆に言えばそれ以外なにも知らなかった。

最近、初期の実験映画に興味が湧いてDVDを借りた。
きっかけは円谷英二との関係。
最近読み返したKAWADE夢ムックで、宇川直宏が『銀輪』(1955)や、初期の円谷プロと松本との関係について色々憶測を巡らしていた。


↑円谷英二生誕100周年に発行された祝祭感の薄い特集本。
(祝祭感の稀薄さの多くは庵野秀明の冷め切ったインタビューに因る。『シン・ゴジラ』を経た今読み返すと面白い。あと唐沢俊一が邪魔)

で結局、『銀輪』は未ソフト化みたいだが、DVDの解説文を読むうちに、今度は『母たち』(1967)に興味が湧いてきた。
寺山修司の詩、〈母〉というモチーフ、16ミリの映像詩、くわえて制作年。どうしたって佐々木昭一郎の『マザー』を連想する。
実際、〈母=海〉の図式や、カメラが捉えた母子の表情など、『マザー』の冒頭部分に感触が似ている。
もちろんそれを抜きにしても面白い一本だったが、円谷英二から佐々木昭一郎に流れ着くとは思わなかった。

他の2本、『西陣』と『石の詩』も面白い。
特に『石の詩』。当時も干されたらしいが、こんな作品を放送してしまうような混沌が創成期のテレビ界にはあったということを改めて実感する。

孤児という神話

君野隆久さんという方が5年前の京都造形芸術大学紀要に書いた「孤児という神話」という佐々木昭一郎に関する論評がある。
本文は、論文のための断章集といった感じだが、そのタイトルに大きな示唆を受けた。
『夢の島少女』のラストシーンについてだ。

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孤児である小夜子とケンの2人が笑顔で縄跳びを回す意味。
実際に2人が回す縄に入って飛んでいるのは葛城哲郎カメラマンだが、2人は幼くして死んでいった孤児たちと冥界で遊んでいるのではないか。そんなことを夢想してしまう。
あの場面で2人が死んでいるのは脚本でも明らかだ。

大縄を上手に回すには、技術と優しさの両方が必要だ。一人一人飛び方の違う子供たちが、入りやすく飛びやすい回し方。
それは多様性を包括できる社会づくりに似ている。
そしてこの国には縄を回せる大人が殆どいない。カフカの処刑機械ばりに速く縄を回し、入れない子供は淘汰しようとする大人ばかり。

ここで、鈴木志郎康の初期台本にはあったという「こんな世の中、生きてたくないよ」という子供達の台詞が再び表層に浮かんでくる。
佐々木のドグマはその後『四季・ユートピアノ』に到る過程でポジのように反転されていくし、実際その始まりともいえる幸福感がこの場面にも充ちているが、それでもなお、この時点で佐々木は鈴木との共鳴を止めていないように思える。

「放送研究と調査 2015年6月号」

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国会図書館へ。
用事がてら、佐々木昭一郎関連で新しい論文や雑誌記事はないかチェックして、『公評 2014年12月号』から佐藤忠男の記事と、『放送研究と調査 2015年6月号』から戸田桂太の記事を読んだ。

『公評』のほうは昨年11月にBSプレミアムで再放送された際に用意された解説用の原稿の再録。『放送研究と調査』は作家論。
複写してもらったのに、帰ってきたら『放送研究と調査』のほうはPDFで公開されていた。ちょっと損した。

…でも、新しい切り口から佐々木ドラマを語る論考は少ない。特に音響面とか佐々木に影響を与えた映画なんかはもっと研究されてもいいはず。

「夢の島少女」の深層 (24) おわりに

『「夢の島少女」の深層』は、とりあえず今回で終了です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。感想などお寄せいただければ幸いです。

当初は『ミンヨン』の公開に間に合わせるつもりでしたが、結局一ヶ月程遅くなってしまいました。BSプレミアムでの佐々木ドラマ再放送と重なったので結果オーライではあります。
(リマスター版は、まだ全編通して鑑賞していませんが予想以上の画質の向上に驚きました。
ソフト化は困難でも、きちんと原版が保管され、鑑賞することも以前ほどは難しくない状況を嬉しく思います。)

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『夢の島少女』の前後に書かれた企画書、エッセイ、インタビュー等に目を通すと、本作の底に沈められた物語の層の厚さ、受け手の想像力を入り込ませる余地の広さにあらためて気付きます。

特に73年の「思いつき企画書」は、着想を得てから間もない時期に書かれたと思われるだけにイメージが鮮烈で、叶うことなら全文を読んでみたいものです。

この「思いつき企画書」でも示唆されているように、やはり少女は〈死んでいる〉存在であり、作品自体を〈少女の死体を拾った少年の妄想〉とすることも可能だと思います。

だとすれば、作品完成時に批評的だったNHK上層部や批評家は作品に沈められた危険性を感じ取っていたわけで、じつはそれほど作品を誤読していたわけではないようにも思えます。だからこそ尚のこと当時どのような批評がなされたかを詳しく知りたいと思うのですが。

もしかしたら最初の90分版では、『夢の島少女』が〈少女の死体を拾った少年の妄想〉であることがはっきりとわかるような構成になっていたのかもしれませんが、カットされたフィルムがおそらく現存しない以上、想像の域を出るものではありません。

しかし、長々と論評めいたことを書いておいて言うのもなんですが、この作品は『夢の島少女』というタイトルがすべてを語っているように思います。

『夢の島少女』。
たった五文字の言葉が持つイメージ喚起力の凄さ。これだけで一篇の詩です。

タイトルを聞いた瞬間に想像力を喚起される者にとって、物語云々を論じることはほとんど意味がありません。
想像力の戯れに身を任せ、作品に沈められた作者のイメージや体験と、自身のそれとが共鳴する瞬間に喜びや痛みを覚える、そんな作品だと思います。
(だからこそ、共鳴する要素を持たない人にとっては不協和音でしかなく、それこそ独り善がりなゴミのようなものでしょう)

タイトルだけで成立してしまっている作品ということでは『銀河鉄道の夜』みたいなもので、タイトルが変更されることを認めなかった作者の確信にも、それは現れていると思います。

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『「夢の島少女」の深層』は、学生当時の自分としては全力を尽くしたものです(それこそ今後の研究者が必ず参照する文献にしようと生意気にも意気込んでいました)が、消化不良な部分も多く見られます。

また、佐々木昭一郎を語る上で欠かせない音楽・音響面には一切言及していません。
論じる対象を広げ過ぎると「卒論」として散漫なものになってしまうので、当時としては仕方なかったのですが、今後調べてみたい気もします。
その一方で、これ以上分析するような視点では作品に接したくない気持ちもあります。難しいところです。

個人的には、論文後半の強引な〈転調〉が、全体の完成度を落としている代わりに、今でも当時を思い出させてくれるので、我ながらいいキズだと思っています。

当時の指導教授や友達、そして川本三郎先生にも感謝致します。
最後に参考文献、資料を。

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〈ラジオドラマ〉
「都会の二つの顔」(作・福田善之、佐々木昭一郎 演出・佐々木昭一郎)
「おはよう、インディア」(作・寺山修司 演出・佐々木昭一郎 NHK・一九六五)
「コメット・イケヤ」(作・寺山修司 演出・佐々木昭一郎 NHK・一九六五)

〈テレビドラマ〉
『マザー』(作/演出・佐々木昭一郎 NHK・一九六九)
『さすらい』(作/演出・佐々木昭一郎 NHK・一九七一)
『夢の島少女』(作・佐々木昭一郎、鈴木志郎康 演出・佐々木昭一郎 NHK・一九七四)
『紅い花』(作・佐々木昭一郎、大野靖子 演出・佐々木昭一郎 NHK・一九七六)
『四季・ユートピアノ』(作/演出・佐々木昭一郎 NHK・一九八〇)
『川の流れはバイオリンの音』(作/演出・佐々木昭一郎 NHK・一九八一)
『アンダルシアの虹』(作/演出・佐々木昭一郎 NHK・一九八三)
『春・音の光』(作/演出・佐々木昭一郎 NHK・一九八四)
『七色村』(作/演出・佐々木昭一郎 NHK、CST・一九八九)

〈テレビドキュメンタリー〉
『現代の映像 都市と水路』(NHK・一九六三)
『現代の映像 塵芥都市』(NHK・一九六五)
『あすへの記録 夢の島~現代の貝塚~』(NHK・一九七二)
『映像の詩人 佐々木昭一郎 映像の夢、音の記憶』(演出・浅野直広 日本映画専門チャンネル・二〇〇六)

〈映画〉
『幻の光』(監督・是枝裕和 シネカノン、テレビマンユニオン・一九九五)
『誰も知らない』(監督・是枝裕和 シネカノン・二〇〇一)
『歩いても 歩いても』(監督・是枝裕和 シネカノン・二〇〇八)
『空気人形』(監督・是枝裕和 アスミックエース・二〇〇九)

〈シナリオ・企画書〉
寺山修司「おはよう、インディア」(一九六六 『寺山修司の戯曲3』思潮社・一九七〇)
寺山修司「コメット・イケヤ」(一九六九 『寺山修司の戯曲1』思潮社・一九六九)
佐々木昭一郎「さすらい」(一九七一 『テレビドラマ代表作選集・芸術祭版』日本放送作家組合・一九七九)
佐々木昭一郎「夢の島少女」(一九七四)※
佐々木昭一郎「四季(企画書)」(一九七八 『ドラマ』一九八四年十二月号・映人社)
佐々木昭一郎「四季・ユートピアノ」(一九八〇 『ドラマ』一九八四年十二月号・映人社)
佐々木昭一郎「川(企画書)」(一九八〇 『ドラマ』一九八四年十二月号・映人社)
佐々木昭一郎「川の流れはバイオリンの音」(一九八一 『ドラマ』一九八四年十二月号・映人社)
佐々木昭一郎「アンダルシアの虹」(一九八三 『ドラマ』一九八三年五月号・映人社)
佐々木昭一郎「春・音の光」(一九八四 『ドラマ』一九八四年十二月号・映人社)

〈漫画〉
つげ義春「沼」(一九六六 『つげ義春作品集 ゲンセンカン主人』双葉社・一九八四)
つげ義春「チーコ」(一九六六 『つげ義春作品集 ゲンセンカン主人』双葉社・一九八四)
つげ義春「古本と少女」(一九六六 『つげ義春作品集 ゲンセンカン主人』双葉社・一九八四)
つげ義春「山椒魚」(一九六七 『つげ義春作品集 ゲンセンカン主人』双葉社・一九八四)
つげ義春「李さん一家」(一九六七 『ねじ式・紅い花』小学館・一九八八)
つげ義春「峠の犬」(一九六七 『つげ義春作品集 ゲンセンカン主人』双葉社・一九八四)
つげ義春「海辺の叙景」(一九六七 『つげ義春作品集 ゲンセンカン主人』双葉社・一九八四)
つげ義春「紅い花」(一九六七 『ねじ式・紅い花』小学館・一九八八)
つげ義春「西部田村事件」(一九六七 『ねじ式・紅い花』小学館・一九八八)
つげ義春「長八の宿」(一九六八 『ねじ式・紅い花』小学館・一九八八)
つげ義春「オンドル小屋」(一九六八 『ねじ式・紅い花』小学館・一九八八)
つげ義春「ほんやら洞のべんさん」(一九六八 『ねじ式・紅い花』小学館・一九八八)
つげ義春「ねじ式」(一九六八 『つげ義春作品集 ゲンセンカン主人』双葉社・一九八四)
つげ義春「ゲンセンカン主人」(一九六八 『つげ義春作品集 ゲンセンカン主人』双葉社・一九八四)
つげ義春「もっきり屋の少女」(一九六八 『ねじ式・紅い花』小学館・一九八八)
つげ義春「やなぎ屋主人」(一九七〇 『つげ義春作品集 ゲンセンカン主人』双葉社・一九八四)

〈上映会パンフレット〉
『佐々木昭一郎の世界』(放送人の会・一九八四)※
『RESPECT 佐々木昭一郎』(TAMA映画フォーラム実行委員・二〇〇一)※
『佐々木昭一郎というジャンル』(映画上映専門家養成講座・二〇一〇)

〈単行本〉
マーク・トゥエイン・西田実訳『ハックルベリー・フィンの冒険(上・下)』(岩波書店・一九七七)
佐々木昭一郎『創るということ』(JICC出版局・一九八二)
佐々木昭一郎『新装増補版 創るということ』(宝島社・二〇〇六)
佐々木昭一郎『八月の叫び』(日本放送出版協会・一九九五)
鈴木志郎康『現代詩文庫22 鈴木志郎康詩集』(思潮社・一九六九)
鈴木志郎康『現代詩文庫121 続・鈴木志郎康詩集』(思潮社・一九九四)
鈴木志郎康『メディアと〈私〉の弁証』(三省堂・一九八五)
龍村仁『キャロル闘争宣言 -ロックンロールテレビジョン論-』(田畑書店・一九七五)
つげ義春『つげ義春作品集 現代漫画の発見1』(青林堂・一九六九)
つげ義春、権藤晋『つげ義春漫画術(上・下)』(ワイズ出版・一九九三)

世田谷区編『新修世田谷区史(上・下)』(世田谷区・一九六一)
岡本博『映像ジャーナリズムⅠ 偽善への自由』(現代書館・一九七七)
岡本博『映像ジャーナリズムⅡ 退廃への自由』(現代書館・一九七七)
新評社編『唐十郎の世界』(新評社・一九七九)
宇都宮信一『宮さんのピアノ調律史 -ピアノ調律一筋に歩んだ70年間の記』(東京音楽社・一九八二)
ジェームス三木『テレビドラマ紳士録 ジェームス三木対談集』(映人社・一九八二)
鳥山拡『日本テレビドラマ史』(映人社・一九八四)
地域交流センター編『東京の川 川から都市をつくる』(地域交流出版・一九八六)
鈴木理生『江戸の都市計画』(三省堂・一九八八)
陣内秀信編『水辺都市 江戸東京のウォーターフロント探検』(朝日新聞社・一九八九)
鈴木理生『江戸の川・東京の川』(井上書院・一九八九)
江東区編『江東の昭和史』(江東区・一九九一)
泉麻人『泉麻人の僕のTV日記』(文化創作出版・一九九一)
川本三郎『東京残影』(日本文芸社・一九九二)
陣内秀信編『ビジュアルブック江戸東京5 水の東京』(岩波書店・一九九三)
脇地炯『違和という自然』(思潮社・一九九五)
なぎら健壱『日本フォーク私的大全』(筑摩書房・一九九五)
町山智浩編『映画秘宝Vol.5 夕焼けTV番長』(洋泉社・一九九六)
加瀬和俊『集団就職の時代 高度成長のにない手たち』(青木書店・一九九七)
脇地炯『文学という内服薬』(砂子屋書房・一九九八)
上村忠男ほか編『歴史を問う5 歴史が書きかえられる時』(岩波書店・二〇〇一)
東京の川研究会編『「川」が語る東京 人と川の環境史』(山川出版社・二〇〇一)
NHK放送文化研究所編『テレビ視聴の50年』(日本放送出版協会・二〇〇三)

〈雑誌〉
佐々木昭一郎「空想錯誤 -なぜあのようなものを作ってしまったのか-」(『放送批評』一九七四年二、三月合併号)
佐々木昭一郎「カノンが永遠の幸世を流し出す」(『FOLK ART Vol.3』一九七四年八月)※
佐々木昭一郎「夢の島の少女」(『シナリオ』一九七五年一月号)
佐々木昭一郎「退行移動」(「FOLK ART Vol.4」一九七五年三月)※
佐々木昭一郎「深い川 -川底の少年の死体はバラバラとなりカオスをまきちらした-」(『放送批評』一九七五年十二月号)
佐々木昭一郎「脈らくなく流れる川を見ながら つげ義春と私 ―劇画シリーズ『紅い花』への出発―」(『放送批評』一九七六年三月号)
佐々木昭一郎・つげ義春・鈴木志郎康「対談①『テレビと劇画』」(『ガロ』一九七六年五月号)
佐々木昭一郎「無季 -持続する川の移動ショットから-」(『放送批評』一九七七年二月号)
佐々木昭一郎「七色村字七色」(『放送批評』一九七七年二、三月合併号)
佐々木昭一郎「作家の眼 ~ユートピア~ひとの望みのよろこびよ」(『シナリオ』一九七七年三月号)
佐々木昭一郎「書評『萬歳岬の虹』 -ディティールのモザイク-」(『放送批評』一九七七年十二月号)
佐々木昭一郎「時の持続と循環の中で -創作ノート-」(『調査情報』一九七八年六号)
佐々木昭一郎「連載■director’s Note」(『調査情報』一九七八年十月号~八十年三月号)
佐々木昭一郎「四季のてがみ」(『放送批評』一九八〇年六月号)
佐々木昭一郎「受賞のあとで」(『ドラマ』一九八〇年一二月号)
佐々木昭一郎「演技の日常性」(『悲劇喜劇』一九八一年九月号)
佐々木昭一郎「NOTES」(『ユリイカ』一九八二年三月号)
佐々木昭一郎「連載■脚本と真実の周辺」(『ドラマ』一九八三年十月号~一九八五年十月号)
佐々木昭一郎「エヴリデイ・ピープル -『春・音の光』」(『悲劇喜劇』一九八四年四月号)
佐々木昭一郎「映像表現・私の方法論」(『ドラマ』一九八四年十二月号)
佐々木昭一郎「『春・音の光』で毎日芸術賞受賞 佐々木昭一郎インタビュー」(『ドラマ』一九八五年三月号)
佐々木昭一郎「昭和59年度芸術選奨文部大臣賞インタビュー」(『ドラマ』一九八五年五月号)
佐々木昭一郎「ギヴィング・ハート 中尾幸世」(『悲劇喜劇』一九八八年三月号)
佐々木昭一郎「音について気付いていることの断章 -『SWANS』(二羽の白鳥)-」(『悲劇喜劇』一九八九年一月号)
佐々木昭一郎「世界の是枝裕和!」(『シナリオ』一九九六年一月号)
佐々木昭一郎「カンヌ国際映画祭カメラドール賞『萌の朱雀』・河瀬直美式リアリズム」(『シナリオ』一九九七年十一月号)
佐々木昭一郎「『マザー』『さすらい』を語る -類のない映像ドラマの世界-」(『ドラマ』二〇〇〇年十月号)

鳥山拡「ドラマ『さすらい』における方法としての即興性の問題」(『放送批評』一九七二年一月号)
白井佳夫「番組評『さすらい』」(『放送批評』一九七二年一月号)
鈴木志郎康「テレビの表現 個人の表現」(『放送批評』一九七二年十一月号)
森川時久「テレビドラマと嘘」(『放送批評』一九七四年六月号)
石橋多聞「廃棄物にうづもれる都市」(『土木学会誌』一九七四年八月号)
鈴木志郎康「初めてNHKのことを書いてみた」(『放送批評』一九七四年十、十一月合併号)
青木貞伸、井口泰子、斉藤正治、松雄羊一「座談会■現場報告を読んで 番組表現の構造と『私的なるもの』 サラリーマンを武器とせよ」(『放送批評』一九七四年十、十一月合併号)
鳥山拡「“愛の狩人”佐々木昭一郎 -『夢の島少女』(NHK)に寄せて-」(『放送批評』一九七四年十二月号)
斉藤正治「海鳴り -セピア色の世界」(『シナリオ』一九七五年一月号)
鳥山拡「暗転の時代」(『シナリオ』一九七五年一月号)
大山勝美、森川時久、和田勉、松雄羊一、斉藤正治「座談会■テレビドラマ演出家が語る 日本近代最終の具現者、テレビマン」(『放送批評』一九七五年一月号)
龍村仁「ノーカット・オフセット版妄想性風景ドキュメンタリー 海鳴り(上)」(『放送批評』一九七五年一月号)
龍村仁「ノーカット・オフセット版妄想性風景ドキュメンタリー 海鳴り(下)」(『放送批評』一九七五年二月号)
鳥山拡「テレビジョン同時代者群1 イメージの姦淫者・佐々木昭一郎」(『放送批評』一九七五年四月号)
葛城哲郎「瞬間の私有 -私はカメラを回す」(『放送批評』一九七五年四月号)
鳥山拡「テレビジョン同時代者群3 ペーパーテレビジョン・日曜日にはTVを消せ」(『放送批評』一九七五年六月号)
葛城哲郎「フィクション・テレビ・フィルム ドラマ『夢の島少女』制作メモから」(『映画テレビ技術』一九七五年八月号)※
和田勉「私のNHK -ぼくがNHKであることの理由-」(『放送批評』一九七五年十二月号)
「匿名座談会■放送評論家・マスコミ研究者四氏は放談する NHKへの批判・呪詛・オマージュ・改造論」(『放送批評』一九七五年十二月号)
鈴木志郎康「番組評『紅い花』」(『放送批評』一九七六年五月号)
林静一・和田勉「対談②『テレビと劇画』(『ガロ』・一九七六年五月号)
上野昂志「目安箱127 廃棄物の廃棄物」(『ガロ』・一九七六年五月号)
織田晃之祐「佐々木昭一郎 小論」(『日本大学芸術学部・佐々木作品上映会』パンフレット・一九七七年頃)※
中津涼「佐々木昭一郎の世界」(『放送批評』一九八〇年三、四月合併号)
村川英「佐々木昭一郎と神代辰巳」(『放送批評』一九八〇年三、四月合併号)
新藤兼人「私は何ものか」(『ドラマ』一九八四年三月号)

『都市開発』一九七二年二月号
『都市問題研究』一九七二年四月号
『朝日ジャーナル』一九七三年六月八日号
『港湾』一九七四年八月号
『レコード・コレクターズ』二〇〇三年四月号

〈新聞記事〉
「〈さすらい〉の世界」(『読売新聞夕刊』一九七二年三月二九日)
「『夢の島の少女』佐々木ディレクターに聞く」(『毎日新聞夕刊』一九七四年七月九日)
「映像時評 記録の“一回性”ということ -『夢の島少女』の試み-」(『毎日新聞夕刊』一九七四年十月三十一日)

〈事典・その他〉
日外アソシエーツ編『映像メディア作家人名事典』日外アソシエーツ・一九九一
キネマ旬報社編『日本映画人名事典・監督篇』キネマ旬報社・一九九七

『東京港埋立地の開発及び埋立事業の経営について -都民のための新しい臨海部形成をめざして-』(東京都港湾審議会「埋立地開発経営部会」最終報告・一九七三年一二月)

※が付いているものは、次のHPにて公開されているものを参照させて頂きました。
日曜日にはTVを消せ

「夢の島少女」の深層 (23) 無季

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最初、ぼくはどういう戦略を持ったかというと、今の怒りを持ってやってると、「私は怒ってます」っていう生のドラマしかない、これを乗り越えようと思った、大変だったけど。『四季』を採択する時、川口さんっていう名部長が、どうも、「私は怒っています」っていうの、ぼくの目のうちに感じたらしいんだ。で、それがあるうちは、ものは創れないだろうってことをあとになって言った。
(「四季・ユートピアノ」『創るということ』)

「今の怒り」の「今」は、『四季』が採択される一九七八年のことを指す。佐々木は企画採択に至っても、『夢の島少女』の雪辱戦という意識が強かったのだろう。しかし、『夢の島少女』以降の佐々木のエッセイを見てみると、それが怒りを静める過程だったかのように思える。『四季』の企画に込められた「怒り」という負のエネルギーを、創作に向けて正のエネルギーに転化する過程と言い換えることも出来る。

『紅い花』から『四季』のあいだに書かれた三つのエッセイには、人々との連環のモチーフが戻ってくる。それぞれ殆ど同一の内容を持つことから、佐々木が当時このモチーフに強い自信を持ち、創作に取りつかれていたことが想像される。
三つのエッセイに共通しているのは、冬の夜、「私」あるいは「少年」が歩いていると、川の流れに乗って佐々木が今までに出会った人々が現れてくるというモチーフである。これは佐々木の実体験に基づいている。

1977年の冬、私は何か強い力によって動かされ、冬の東京の街を歩いて東京湾まで行った。朝になっていた。深夜の道路のひびく私の足音を聴いているうちに、「夢の島少女」(1974年)を創った時、それを見たあるレコード店の女店員さんが、私にバッハの「主よ、人の望みの歓びよ」のレコードを送ってくれたことを想い出していた。それから、藤田真男さんという豊橋市の学生さんと、札幌の池田博明さんという北大学生が作ったミニコミ誌を思い出し、大川義行さんが発刊した「フォーク・アート」というミニコミ新聞を思い出していた。藤田さんと池田さんは「夢の島少女」を見て感動し、そしてミニコミ誌を作った人たちだった。私は、作品でこたえなければならない。
東京湾へ行ったのは1月の真冬だった。音がよくひびいていたのを覚えている。
(『佐々木昭一郎の世界』パンフレット・一九八四)

まず「無季 -持続する川の移動ショットから-」(『放送批評第一〇三号』一九七七年二月号)を発表する。

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―∞。私は夢を見ながら歩いた。夢を見る時間が歩く時間を上まわっていた(中略)
私は唯、夢を反すうし、噛み、そして脚を見ながら歩いた。私は確かに自分の脚で歩いていた。私は歩く即興脚本の道路の上を歩いていた。(中略)森への路地を垂直に歩いてゆくと、道は川へつながっていた。

「無季」の前半部は、例によって疎開体験の記述が主だが、そこにドノヴァンが登場し、「The River Song」を歌う。狐のお面を被った少年たちが「タンタンタヌキ」を合唱するなど、『紅い花』からのモチーフが「無季」に特徴的な記述である。やがて「私」が母親のお腹の中にいた頃の記憶が語られる。これが『四季』の栄子のモノローグの原形になる。
このエッセイに登場するのは、ドノヴァン、葛城哲郎、友川かずき、川本三郎の四人のみである。

次に発表された「七色村字七色」(『放送批評第一〇四号』一九七七年三、四月合併号)は、佐々木が疎開した村をタイトルに冠している。
その名前からの発想なのか、虹を連想させる七本のカラーマーカーが登場する。またピアノもモチーフとして初めて描かれる。
三つのエッセイのなかで、名前が挙げられる人の数では本作が最多の三十八人である。ここに描かれる人々は、佐々木が共に作品を創ったスタッフ、彼の作品を批評したファンや評論家、さらに彼が影響を受けた作家など、多岐に渡る。「少年」が川を歩いていくと、彼らは少年の姿をして現れ、かつて佐々木に送った言葉を再び語りかける。佐々木「少年」は出会いの回想をそのまま書き留めている。
最後に現れるのは、ハックルベリー・フィンとマーク・トゥエインの二人である。

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「~ユートピア~ ひとの望みのよろこびを」は、『シナリオ』(一九七七年三月号)に、リレー連載「作家の眼」の第三十二回として発表された。
バッハの曲名をタイトルに冠した本作も、「七色村字七色」とほぼ構成を取っているが、疎開体験は語られず、『夢の島少女』放送後にドノヴァンのレコードを佐々木に送ってきたレコード店の少女と、当時美大を目指す受験生だった中尾幸世について語られる。『夢の島少女』以降に知り合った人々の、それぞれの時間の流れに、佐々木は思いを馳せている。

「記憶」の箱が、ひっくり返る。私は、創ることを考え続けて歩いた。一日24時。ひょっとすると240時の深度。幾尋、両手伸ばして、川哩測る。有限の川、下って、無限の川、遡って、考える時間が今で、今の時間が夢の尋。少年の掌。掌の線に汽車。掌の川に河蒸気船、掌の原に人。水先案内少年は、夜空を見張った。ひっくり返って映る水面の星群。抜けた空気の乾燥、彼は川面が確かに唄うのを聴いた、川面を回転するレコード盤が川蒸気の水車とそっくりのスピードで唄うのを見た。川は、無限の蛇行を持続していた。私は作る事を考えつづけて歩いた、歩いて考えて、考えて歩いて、二本の脚。交互に、ピアノペダル、考えて歩いて、歩いて考えて、川潅木にしがみついた。羅列、羅列。

溢れ出るイメージの連鎖を抑え切れないような、ほとんど散文詩といっていいような筆致で、かつて出会った人々との記憶が語られる。
レコードの溝を「有限の川」に例えたのは音響効果の織田晃之祐だったが、そのイメージを借りて、レコード盤の上に佐々木なりの『ハックルベリー・フィンの冒険』を展開させたのが、本作ではないだろうか。
佐々木の高揚感が読み手にも伝わってくる。一部だけを引用するには忍びない、名文である。

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有限の川を下り、無限の川遡り、大きな川へ出た。川はミシシッピー川とそっくりだった、見た事もないはずが。いくつもの路地の、曲り角を廻って、大通り。正月。川の水面はふくらんでいた。私は、大通りの向うから、車輪の音をきいた。音はみるみる接近した。真正面にピアノが走って来るのを私は見た。何人かの人影がピアノの上に立っていた。確認する間もなくピアノは私の頭上をこえた。ふり返ると、一台の大型トラックだった。私は、大通りの歩道橋の階段を上った。左右の脚で、階段の数は、八音階だった。八音階の単純なリフレインはバッハのピアノだった。シンプルだ、しかし、その深度。見果てぬ大通りの向うに、またピアノが見えていた。私は憶え帳の中の辞書を繰った…ユートピアノ…見果てぬ国、見果てぬ夢、しかし、あり得る国、あり得る夢…「ユートピアノ」と、声を発した時、後から声をかけられた。一人の「少年」が立っていた。少年は、後を付けて来たのだ。私はケンジントン公園か、ミシシッピー河畔に本当に立っている錯覚にとらわれた。「少年」は言葉を発した「今まで、川に沿って、いろんな人が出てきたけど、ぜんぶ本当?」「本当だよ、ぜんぶ、これからなんだ、物語は。冒険は」「少年」はにっこり笑った。その眼は、ハックルベリ、フィンそっくりだった。否、レコード販売店の、モリエール描く、受験少女と、ケンジントン公園の、川の流域の出合って来た人の全てだった。

「川の流域の出合って来た人の全て」によって「これから」描かれる「物語」は、夢の島で佐々木が頭に思い描いた、「スタッフ全員、これまで出会った人間全部が、夢の島の稜線から手をつないで走って来」る光景が、四年の歳月によって純化されたものである。ここに怒りの感情を見出すことはできない。『夢の島少女』の雪辱戦という意識も、佐々木の内面奥深くに沈められたのだろう。だが、彼の激しさが失われていないことは、溢れ出るイメージを書き留める彼の筆致に明らかである。
「これから」描かれる「物語」が、『四季・ユートピアノ』を指すことはいうまでもない。

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「夢の島少女」の深層 (22) 深い川

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『放送批評第九十一号』(一九七五年一二月号)に発表された「深い河 -川底の少年の死体はバラバラとなりカオスをまきちらした-」は、副題通り、川の底に沈んだ少年の死体が、年月をかけて五体を失っていく様子を文字通り支離滅裂な筆致で描いている。
残酷だがシュールな描写は突き抜けていてコミカルである。斬り落とされた少年の部位は東京の隅々に散っていく。

夢の島で、その首は微塵に斬られ、一つ一つの大きさは8ミリフィルムのコマとほぼ同一だったといわれている。二つ合わすと、丁度16になるサイズで、今では近くの川底に霧散して悪臭を放ち、ハエの発生源となっているということだった。

足首は、多分、現像液の猛毒が流れるドブ川に落下したらしく、それを食べたネズミが、東京湾に三万匹も浮上したのだった。

斬り落とされた男根には、顔があった。顔には目があった。目は、200度以上の視力があり町の眼鏡屋は、何処ぞ、と東京中を探し廻った末、これも東京湾で発見された。

佐々木の想像力が暴発したような内容だが、東京湾とそこに注ぐ川のモチーフは一貫している。
そしてこのエッセイで重要なのは、透明感や空間の広がりを感じさせる描写が顔を出していることである。

脳味噌には、数億光年彼方の星の数よりも多いシワがあって、そこにその分だけの川が流れていた。その分だけの川は、この東京のどの川よりも深かった。

その記憶の川をたどってゆくと、大きな海につき当り、海をたどってゆくと、再び元来た川に出会う事になっていた。

少年の眼球は、水面に向って浮いて空を見ている。水面からはすぐ首がだせるはづなのだが、水面はガラス張りのように見え、眼球感触によればそれは数億マイルに及ぶ透明な氷なのであった。

私は川から街へ歩き出した。
そこはまた川だった。
ドーッと、いくつもの川が、私の眼の穴から、入って来た。
私はまた、深い川底を見ようとした。眼球がないというのに、泥色の深い川の底は、よく見えるのであった。

空や星などに関連する描写は、『紅い花』以降、『四季』までに発表されるエッセイや、『四季』のシノプシス、制作ノートに頻繁に見られるモチーフだが、その萌芽がこの「深い川」にも見て取れる。抑うつ的な形を取っていた『夢の島少女』酷評への怒りが、ゆっくりと純化されてきたかのような気配がある。

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翌一九七六年、『紅い花』が制作される。佐々木にとって『紅い花』は、『四季』を制作するための局内での足場固めのような作品だったのだろう。『創るということ』の記述からもそれを窺うことができる。

続いて『紅い花』の時は、いろいろあったから、ますます自分が磨かれていった。今度はVTR使ってセット使わなきゃ演出家じゃないの、なんて言う非常に女性的な人たちもいたわけ。あのシリーズ、劇画シリーズね、ぼくが企画した。(中略)三本考えたわけだ。(中略)ぼくが三本ともやればよかったけど、情勢がそうじゃなかったからね。本当は、あのドラマにも全部実生活者に出てもらいたかった。(中略)
で、『紅い花』は、あまり売れない役者使って、嵐寛さんは出てたけど、マチエールとしてね、それだから芸術祭の大賞とった時は、ビックリ仰天した。エミー賞も入賞したし。これで、言われたことに対して、やることはやって証明した。次は『四季』にかかると。再度、『夢の島少女』の雪辱戦というわけじゃないけど、挑戦だね。で、『四季』にとりかかったんだ。
(「紅い花」『創るということ』)

「いろいろあった」、「情勢がそうじゃなかった」という言葉から、当時の佐々木の苦闘ぶりを想像することは難しくない。創作意欲を抑えなければならない理不尽さは、どれほどの苦痛であっただろう。
そして彼は『四季』に取り掛かる。

「夢の島少女」の深層 (21) 退行移動

佐々木は続いて、一九七五年四月二九日発行のミニコミ『FOLK ART vol.4』に、「退行移動」を発表する。
前半部はやはり孤独な少年期から青年期にかけての記憶が描かれるが、後半部では「私」と「少女」による、もうひとつの『夢の島少女』と呼べるような物語が展開する。

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私の生涯の目的は、一人の少女を映画(フィルム)に撮り、彼女と永久に暮らすことであった。途方もない夢であった。しかし、これ以外に人生の目的は何もなかった…。
その少女は、私のアパートの近くにある駄菓子屋の二階に住んでいた。(中略)店の外には万年薔薇が咲いていた。その脇には水道の蛇口がひとつ、突出していた。蛇口の下には、少女がいつも足を洗うために使うポリバケツがひとつ、置いてあった。(中略)私は少女の水で体を洗い、それからコップにすくって飲む。そんな日が一ヶ月も続いた。「きみに、ほれたから、映画を撮りたい」、そんな一流作家なみのセリフを一度だけ吐いてみたいと私は想い続けていた。(中略)
毎週金曜日の夕方、少女は白いワンピースを着て外出する。少女は、私のアパートのすぐ近くを流れている、近々埋められる事になっている運河の橋の上に立つ。そこへ、白い車が迎えに来る。白い車には三十過ぎの男が乗っていて、少女を連れ去る。車は夜中の一時過ぎに、同じ橋の上で一分ほど止まる。車を下りた少女は、赤い靴をぬいで裸足、裏口から二偕へ駆け上る。これが金曜日の少女の行動だった。(中略)次の金曜日を待った。(中略)私の目的は、少女を橋から川に突落し、気絶させてアパートに運んでくる事であった。そして、その通りになった。(中略)
夢の様な日が続いた。少女は私が盗んだ牛乳を飲み、私が盗んだ浴衣を着せられ、この世のものとは思えない女に成長していった。

少女が足を洗った水を飲み、体を洗う被虐的な描写が目を引く。「私」が少女を橋から突き落としアパートに連れ込む描写は、佐々木の少女(中尾)への執着の強さを窺わせるが、ひょっとすると『夢の島少女』の初期構想にあった場面なのかもしれない。
その後、映像作品と同じように少女はアパートから逃げ出す。彼女はカメラマンによって犯され、映画監督によってラブシーンを撮影され、舞台演出家の前で裸体を披露する。そして「私」は、彼らを次々に殺していく。

深夜になった。男は少女を抱きかかえるようにしてガレージに向った。(中略)男が運転席側のドアに向きを変えたその瞬間、私は松葉杖で思いっきり男を殴り殺した。殺している自分の顔が、ドアガラスに映って、私は一層興奮した。自分の顔をみながら、私は男をメッタ打ちにした。その男の死体は、ドブの中に埋められている。

撮影が行なわれていた。私のか細い体の倍もある様なレスラーと少女のラブシーンが撮影されていた。監督がレスラーを大声で怒鳴っていた。「俺の分身がお前なんだ。俺はこの女にほれているから、映画を撮るんだ。」 私はとっさに何をしようか考えた。私は火をつけようと考えた。(中略)その監督の死体は、地下鉄工事のコンクリートのはるか下方に眠っている。

その劇場は阿佐ヶ谷にあった。このセリフをきっかけに、少女は舞台中央の巨木の前で立止まり、動きを止め、裸になった上半身を客席に向ける。幕。スポットを当てているのは舞台演出家だった。(中略)演出家は、五十才位の男だった。(中略)私は握りしめた果物ナイフを男の下腹に突きさした。舞台は暗転した。男の死体はゴミの島に埋められている。

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「私のか細い体の倍もある様なレスラー」や、「五十才位の男」によって「私」の少女が犯されてしまう。ただ傍観するしかない「私」の姿には、佐々木の劣等感や社会への憎悪が滲み出ている。
また、彼らが埋葬される「ドブ」、「地下鉄工事のコンクリートのはるか下方」、「ゴミの島」といった場所は、『夢の島少女』以降の佐々木の意識が、依然として東京の地下に埋められた川や夢の島に注がれていることを示している。この「イメージの蓄積」が、次項に取り上げる「深い川」を経て、『紅い花』の川のショットに結実するように思われる。

その後、少女は一旦、「私」のもとに戻ってくるが、やはり他の男たちの許へ去ってしまう。激しい憎悪に駆られた「私」は、公演中の少女を舞台上で刺し殺す。そして「生れて初めて記憶した風景」そっくりの海岸に向かい、自殺する。

このエッセイは『夢の島少女』の変奏のように思える。
あのドラマの底にも間違いなくこのようなドグマは流れているし、だとすればNHK上層部や評論家も直感的にその暴力性を感じ取って作品を非難したのだろう。素人の演技云々は非難のための口実に過ぎないのではなかったか。

〈2014〜2015年の追記〉
ドラマからのキャプチャ画像は本文とは直接関係がない。特に(19)以降は作品放映以後のエッセイを扱っているので、文字だけだと味気ないので挿んでいるだけである。

今回の、ケンが松葉杖を白く塗装しているシーンも、なんとなく本文の雰囲気に合いそうなので選んだだけだ。
しかし、この松葉杖は重要なモチーフではなかったかと今になって思う。

なぜ彼は松葉杖をわざわざ“白く”塗ったのだろう。

『夢の島少女』を色彩面から見ると、まず眼につくのは小夜子のワンピースの色だろう。劇中では白、赤、黒を着用している。
いつかちゃんと考察してみたいが、とりあえず思いついたままに書けば、
・白=処女性(聖性)
・赤=血(性)
・黒=死(社会性)
あたりを表していると考えるのが、ありきたりだが妥当かなと思う。
松葉杖の色もここに準じているとすれば、やはり少年の無垢さや無害さの比喩だろうか。

男は赤い車に乗っている。直接は描かれない性的行為が強烈に暗示されるのも車内のシーンだ。小夜子は白いワンピース。
その後、男のマンションでカノンを弾くシーンまでは白いワンピースだが、男の肩に手をかけて仕事ぶりを眺めるシーンでは黒いワンピースを着ている。
そして、ケンは自分のアパートから逃げ出した小夜子を夢に見る。彼女は、”赤いワンピースを着て”男の車に乗っている。

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だとすればこれ以上の悪意はない。

ケンは松葉杖で怪我人を装って、男の車を停め、夢の島へ乗せていってくれるように頼む。
小夜子の“白”を汚した男。彼の善意を“白い”松葉杖で利用し、自ら埋葬されることになる夢の島まで連行する。

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白い杖には真っ黒なドグマが込められていたのだ。

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