宮沢賢治「シグナルとシグナレス」

漱石「行人」の合間に、賢治をチマチマ読み返している。
「カイロ団長」「ひのきとひなげし」とか、一回読んだきりでよく覚えていないのもあって新鮮。「黄いろのトマト」は「銀河鉄道」のバリエーションともいえそうな小品で、蜂雀の黒い瞳がずっと印象に残る。

gingatetsudo

で、賢治の作品でも特に好きなのが「シグナルとシグナレス」。
電線フェチとしても賢治の星空ファンとしても堪らないし、セリフが一つ一つかわいくて良い。

「ああ、シグナレスさん、僕たちたった二人だけ、遠くの遠くのみんなの居ないところに行ってしまいたいね」
「ええ、あたし行けさえするならどこへでも行きますわ」
「ねえ、ずうっとずうっと天上にあの僕たちの婚約指輪よりも、もっと天上に小さな小さな火が見えるでしょう。そら、ね、あすこは遠いですねえ」
「ええ。」
シグナレスは小さな唇でいまにもその火にキッスしたそうに空を見あげていました。

作品最後の二人の小さなため息が、それまでの星空のイメージと対称を成していて鮮やか。
絵本もいろいろ出てるみたいだけど、視覚化するのは難しいんじゃないかと思う。

宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

「銀河鉄道の夜」再読。

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賢治が描く〈りんごの匂いのする星空〉は大好きだ。この作品でも、冒頭の学校でジョバンニたちの先生が賢治に代わって説明する宇宙観が素晴らしい。

ですからもしもこの天の川がほんとうに川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒にもあたるわけです。またこれを巨きな乳の流れと考えるならもっと天の川とよく似ています。つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かにうかんでいる脂油の球にもあたるのです。そんなら何がその川の水にあたるかと云いますと、それは真空という光をある速さで伝えるもので、太陽や地球もやっぱりそのなかに浮んでいるのです。つまりは私どもも天の川の水のなかに棲んでいるわけです。そしてその川の水のなかから四方を見ると、ちょうど水が深いほど青く見えるように、天の川の底の深く遠いところほど星がたくさん集って見えしたがって白くぼんやり見えるのです。

それにしても、こんなにも哀しい物語だったかと。
夢の場面もいいが、夢に入る直前の、天気輪の柱がある丘でジョバンニが夜空を見上げてる場面がいい。
ジョバンニの独りでいる哀しさと安堵感が胸にギュンとくる。泣きそう。

それにしても、〈銀河鉄道〉という発想の凄さ。
中身が素晴らしいのはもちろんだが、〈銀河鉄道〉という響き。これだけでもう勝負あり。鮮烈なイメージの火花。賢治もまた一級のシュルレアリストに間違いない。
この題名だけで作品は永遠の生命を持ったのだ。

宇宙を満たす水のような、繊細なガラス細工のような、透明な絶対的傑作。
新潮文庫版の加山又三の表紙は完璧すぎる。