永井荷風「腕くらべ」

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石川淳と丸谷才一の対談を読んでいたら、夷斎先生は「荷風さんは『妾宅』と『腕くらべ』だけでたくさんだ。『濹東綺譚』はいりませんよ」と仰っていて、『濹東綺譚』についてはいくら先生の御意見でも賛同できないけど、『妾宅』はまぁそうだよねぇということで、じゃあ『腕くらべ』はどうかと言うと、確かに読んだはずなのにさっぱり覚えていない。本棚から出した岩波文庫にはページを折った跡も線引きもあるのに。

読み返してみるとやっぱり覚えていない。本の内容を忘れることはあってもここまで完璧に記憶から抜け落ちることなんて無いよなぁと思いつつ「小夜時雨」まで進むと、ここは細かい描写まで覚えていた。「小夜時雨」だけを抜き読みしたわけではないと思うのでわけがわからないし、その後の展開はやっぱり全然覚えてない。
まったく頭に入ってこないことを認めたくないから適当に線でも引きながら読んだんだろうか。でもそれなら荷風を好きになってないはずだし。
要はボケが来ただけなんだろう。悲しい。ボケる前に死にたい。

どうでもいいことは置いといて、「小夜時雨」は抜きん出て素晴らしい。「むかい火」も「きのうきょう」も良いが、「小夜時雨」だけで『妾宅』や『寺じまの記』に匹敵するぐらい好きだ。浮世絵や戯作に造詣が深ければもっと深く味わえるんだろう。それはこの章に限ったことではないけども。江戸留学の準備を始めなければ。

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永井荷風「雲」「巴里のわかれ」

岩波文庫や他の版本の編集は知らないが、枕許の新潮文庫版では、「巴里のわかれ」の後に「新嘉坡の数時間」や「西班牙料理」も含めて『ふらんす物語』という体裁。

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べつにそれらの作品が嫌いなわけじゃない。でも「巴里のわかれ」で本を閉じたほうが、心地良い余韻に浸って眠れる。
冷徹な観察眼を持ったいつもの荷風の姿はなく、二度と訪れることのない街を心底哀しみ惜しんで、恍惚としている詩人がいるだけだ。
確かに20世紀初頭のパリの写真なんかを見ると素敵な街だなぁと思う。フランスの芸術が好きで憧れていれば、滞在できるだけで夢見心地だったろうことは想像がつく。実際の治安やら住環境やらがどうだったかはわからないが、少なくとも、キナ臭くて窮屈で居心地の悪い祖国を離れた流浪の身として、この上なく幸福な時間を過ごせただろうことは一行でも文章を読めばよくわかる。

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(ブラッサイが撮ったのは荷風が訪れてから30年後のパリなのだが、『ふらんす物語』を読むとき頭に思い浮かべるのは彼のパリだ)

作品そのものでいえば、「巴里のわかれ」もいいがその前に収められている「雲」が好きだ。
「妾宅」の変奏…というか荷風の書くものはすべてそうだけれど、それはつまりここに核心があるということで、この二篇を読んで合わなければ荷風なんか読む必要がないし、この二篇にたまらなく愉悦を覚えるならたぶん一生荷風を読むことになる。そんな作品。
世間の雑事から逃れようとする煩悶。それは煩悶と呼ぶには贅沢かもしれない高等遊民(遊民じゃないけど)ゆえの悩みだが、すべてに嫌気が差しているときは刺さるように滲みる。つまりいつだって滲みる。大切な逃げ場所みたいなものだ。

ああ、これが巴里だと貞吉は思った。巌石、雑草、激流、青苔、土塊、砂礫、沼沢。そう云う不安と動揺との暗色世界からは全く隔離して、花、絹、繍取、香水、燈火の巷に放浪し、国を憂いず、身を思わず、親を捨てて、家もなく、妻もなく、一朝、歓楽極って後哀傷切なる身の上は、何と云う風情深い末路であろう。斯くして一日も早く、老年、悲痛、悔恨等の襲来せぬ中に、早く、一日も早く、自己の満足と慾情の恍惚との中に一生を終えてしまいたいものだ。頓死、自殺、これより外には、もう自分の将来を幸福ならしめるものは一ツも見当らない。

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永井荷風「おもかげ」「再会」

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『ふらんす物語』中の小品二篇。

「おもかげ」は絶品。こういう零落した女性の美しさを書かせたら荷風の右に出るものなんかいない。
フランスで娼婦を見る眼差しも、日本で娼婦を見る眼差しも変わらない。
暖かさはあるけど安易な共感や同情はしない。その背後にあるものを想像することに悦びを見出している。
だから冷徹でもある。常に観察者でいる姿勢を崩さない。

「再会」は、フランスにいることを意外なほど素直に楽しんでいる“自分”と、久しぶりに再会した友人の画家が抱える苦悩や諦観とのギャップが描かれる。
“自分”を荷風だと思って読み進めていったのですごく意外だったのだが、荷風の内面は友人のほうに投影されてるのかもしれない。
アメリカにいた頃はフランスでの暮らしを夢見ていたのに、いざ来てしまうと、この先には閉塞感しか感じない。
ありきたりといえばそれまでだが、普遍的な苦悩。

この友人を待つのは自殺しかない気がする。

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永井荷風「祭の夜がたり」

荷風を読んでいると気持ちよく眠れることが多い。
最近は『ふらんす物語』。

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「祭の夜がたり」を読んだ。
友人から聞いた話という体裁で、荷風はフランスに行っても娼婦が好き。
軽いオチがつく綺麗な小品。しかも舞台はアヴィニョン。
この街は本当に好き。もう一度行ってから死にたい。

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教皇庁。“青い”空。

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サン・ベネゼ橋より、ローヌ川。セーヌ川より断然、ローヌ川。

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永井荷風「妾宅」

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何度読んでも完璧な書き出し。荷風のような一生をおくることは叶わない夢だ。
一生をまるごと真似るのが不可能なら、せめて荷風のように命の洗濯をする隠れ処が欲しい。

どうしても心から満足して世間一般の趨勢に伴って行くことが出来ないと知ったその日から、彼はとある堀割のほとりなる妾宅にのみ、一人倦みがちなる空想の日を送る事が多くなった。今の世の中には面白い事がなくなったというばかりならまだしもの事、見たくでもない物の限りを見せつけられるのに堪えられなくなったからである。進んでそれらのものを打壊そうとするよりもむしろ退いて隠れるに如くはないと思ったからである。

生きるのってこんなに鬱陶しい。

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「生誕120年 木村荘八展」@東京ステーションギャラリー

東京ステーションギャラリーにて、木村荘八展を観てきた。

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目当ては「濹東綺譚」挿絵の原画。
サイズは思ってたより小さくて、だいたいハガキぐらいの大きさ。
繊細な線。密度が濃くて、観ていて飽きない。作家の入れ込み具合が伝わってくる。
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画家本人は挿絵よりも油絵が本分だと自負していたらしい。当時の風俗を描いた油絵も確かに良かったけど、やっぱり挿絵のほうが好きだなぁ。
「東京繁昌記」の挿絵は初めて見たけど素晴らしかった。岩波文庫に入ってるけど今は絶版になってるようだ。残念。
ミュージアムショップでポストカードを買って帰りました。

永井荷風「銀座」

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『荷風随筆集(上)』には都市生活者としての荷風の真骨頂とも言える作品が多く収められている。これもそんな小品で、荷風の観察眼が冴えている。
そして一際印象深いのがいかにも荷風らしい次の文章。

新橋の待合所にぼんやり腰をかけて、急しそうな下駄の響と鋭い汽笛の声を聞いていると、いながらにして旅に出たような、自由な淋しい好い心持がする。

〈自由な淋しい好い心持〉。荷風を読むのはこの〈自由な淋しい好い心持〉を味わいたいがためだ。今度は駅のベンチに座って時間を無駄にしながら読んでみよう。

自分は動いている生活の物音の中に、淋しい心持を漂わせるため、停車場の待合室に腰をかける機会の多い事を望んでいる。何のために茲に来るのかと駅夫に訊問された時の用意にと自分は見送りの入場券か品川行の切符を無益に買い込む事を辞さないのである。

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