「現代思想 2019年11月号 反出生主義を考える」

基本的に、人にとって最上の幸せは生まれてこないことだと思う。
つまり人は皆不幸であり、出産は一種の暴力だ。
だからといって、自殺は肯定できるものではないと思うし、中絶についての考えもまとまらないままだ。

子供はみんな、〈最上の幸せ〉を逃してこの世に生まれてくるのだから、無償の愛を無条件に注がれるべきで、またそうすることが親の最低限の責任であり、社会の義務だと思う。

それでもやっぱり、「生まれてきたくなかった」と思ってしまう瞬間は(性格のせいもあるが)数限りなく訪れるわけで、自殺する勇気があれば…と思ってしまうこともある。

感情的にならずに〈反出生主義〉を考えてみたかったので、大学時代以来の『現代思想』なんぞを買ってみた。
毎晩眠りに就く前に、答えのない問いから何かを見出だせれば満足。

星野概念×いとうせいこう「ラブという薬」

感想は発酵させたいので書かない。

でもいい本だったことだけは書いておかなくちゃ、と思う。
生きにくさや社会的包摂を考える上でいろいろと示唆を得られる。
良い薬です。

アンリ・アルヴォン「アナーキズム」

アナーキズムについての本を読もうと思ったが、意外なほど数が少ない。
どの新書にも一冊ぐらい概略書が入ってそうなもんだが、ちくま新書に入ってるだけ。
アルヴォンのこの本も定番らしいが35年も前のもの。いちおう10年前ぐらいまで重版されてたようだ。


この本を読むと、アナーキズムの概略書が少ない理由もなんとなく解る。
アナーキズムはフランス革命で樹立された自由主義へのアンチテーゼとして登場し、社会主義や共産主義と距離をとったり協調したりしつつ淘汰されていく。

すごく雑な見方だが、常に別の大衆運動との関係性によって成立していたのがアナーキズム、と読めなくもない。
そのうえ提唱者によってその中身が全く違う。便宜的に〈アナーキズム〉と括られてるだけで、それぞれ思想はバラバラだ。
こうなると専門書はともかく、うまく新書一冊にわかりやすくまとめるのは難しそう。

本書も、扱われるのはほぼ19世紀に限られるし、クロポトキンについては思いっきり割愛されて何も語られていない。
ただコンパクトにまとまってるので、読みやすいのは◎。不満を感じないのは勉強不足のせいだろう。

『白頭吟』作中のバクーニン全集の役割が一層明瞭になったのは嬉しい。
21世紀現在までの(日本を含めた)アナーキズム通史も読みたくなってくる。いい本はないだろうか。

ショウペンハウエル「自殺について 他四篇」

まことに世界は、したがってまた人間は、もともと在るべきではなかったところの何物かなのであるという確信は、相互に対する寛容の念を以て我々を充たしてくれるに充分である。

岩波文庫版の書名が『自殺について 他四篇』なのは、単に文字数の問題じゃなかろうか。
それくらい、「現存在の虚無性に関する教説によせる補遺」「世界の苦悩に関する教説によせる補遺」の二篇がいい。

suicide
人生は牢獄みたいなもので、生まれてしまった罪への償いであり、意味も価値も何も無い。
子供をこの世界に産み落とす行為が、性欲ではなく純粋に理性の結果だとしたら、人間は阿呆以外の何物でもない。

…そんなこんなが勿体ぶった文章で延々と書かれていて心地がいい。眠れない夜に、もう二度と目覚めないことを願いながら読むにはぴったり。

大いなる羨望に価いする人間は誰もいない。大いなる憐憫に価いする人間は数知れずいる。

とにかく迎合する前に批判せよが、簡にして要を得た回答となる。

公房「そこで国家は、かつて辺境の「異端」と闘い、国境線を守り抜いたように、こんどは内なる辺境(移動社会)の「異端」にむかって、正統擁護の闘いを開始しなければならなくなった。非国民…排外主義者…秩序破壊者…外国の手先…アカ…全学連…等々」

サイード「集団が信奉する公式見解をくりかえすだけなら、なんとたやすいことだろう」

散人「今の世を見るに、世人は飲食物を初めとして学術文芸に至るまで、各人個有の趣味と見解とを持っていることを認めない。十人十色の諺のあることは知っているらしいが、各自の趣味と見識とはその場合場合に臨んでは、忍んでこれを棄てべきものと思っているらしい」

夷斎「それにしても、ああ、益々御風流……いよいよ、きちがいじみて来た」

K「われわれの救いは死である。しかし〈この〉死ではない」

公房「絶望するのはまだ早い。都市の広場が暗ければ、国境の闇はさらに深いはずなのだ。越境者に必要なのは何も光ばかりとは限るまい」

アレント「最も暗い時代においてさえ、人は何かしら光明を期待する権利を持つこと、こうした光明は理論や概念からというよりはむしろ少数の人々がともす不確かでちらちらとゆれる、多くは弱い光から発すること…」

サイード「たとえほんとうに移民でなくとも、故国喪失者でなくとも、自分のことを移民であり故国喪失者であると考えることはできるし、数々の障壁にもめげることなく想像をはたらかせ探求することもできる。すべてを中心化する権威的体制から離れて周辺へとおもむくこともできる」

ブルトン「いとしい想像力よ、私がおまえのなかでなによりも愛しているのは、おまえが容赦しないということなのだ」

サイード「おそらく周辺では、これまで伝統的なものや心地よいものの境界を乗り越えて旅をしたことのない人間にはみえないものが、かならずやみえてくるはずである」

苦沙弥「個人主義は人を目標として向背を決する前に、まず理非を明らめて、去就を定めるのだから、或場合にはたった一人ぼっちになって、淋しい心持がするのです。それはそのはずです。槙雑木でも束になっていれば心丈夫ですから」

安吾「だが堕落者は常にそこからハミだして、ただ一人曠野を歩いて行くのである」

詩人「人のいやがるものこそ、僕の好物。とりわけ嫌ひは、気の揃ふといふことだ」

ツァラ「自由、自由。ぼくは菜食主義者ではないから、レシピを提供することはできない」

ママ「すべて楽しいことは、お腹にいいのですよ!」

網野善彦「増補 無縁・公界・楽」

『すばる』の石川淳追悼記念号に、野口武彦が『狂風記』論を寄せていて、いろいろとイマジネーションを喚起してくれる。

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そのなかでちょこっと触れられていたので『無縁・公界・楽』を読む。

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増補部分を読んでもわかるが、網野史観への批判はいろいろあるらしい。歴史に対して興味がない自分でも強引過ぎないかと思うような関連づけも多い。
ただ、視点の転換によって風景が一変するのは快楽以外の何物でもないので、たとえば縁切寺や(著者の定義に依るところの)職人に対する見方が変わるのは素直に面白い。

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遊女や職人の聖性に興味が出てきて網野氏の『中世の非人と遊女』とか、宮田登の『ヒメの民俗学』とか本田和子の『少女浮遊』(面白い)とか、いろいろ読んでみた。もちろん柳田國男の『妹の力』も。
一通り読み終わった今はいったん寝かせて発酵させてる状態で、これから何か作るときに滲み出てくるのを楽しみにしている。

ただ、『夢の島少女』を〈妹の力〉=〈少女の聖性〉の観点からもう一度考察してみたくなっている。そもそもの発端、小夜子が倒れていた川を〈河原〉と捉えてみたり…面白そうだ。それがまた論文みたいなものになるのか、別のものになるかはわからないけど。

中野純「『闇学』入門」

アンテナは常時張っていたいと思うのだが、あまりにもノイズが多く、ノイズとして聴くことの出来るノイズならまだしも、ノイズにすらなれない質の低いノイズ以下のノイズばかりで疲れてしまうので、ここ数年各方面のアンテナは畳んでいる。畳んでいても本当に必要なことは飛び込んでくるし、それをキャッチ出来なくなるようなら、終るしかない。

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それでもたまにはラジオを聴く。いとうせいこう兄貴の『GREEN FESTA』はゲストの話も面白い。この番組きっかけで興味を持った事柄もいろいろと。
光害もそのひとつ。過度な照明が人体や生態系に与える悪影響を指す言葉だ。
ダークスカイ協会主催の講演会にも行ってみたかったが時間が合わなかったので、そこで講演した中野純さんの本を読んでみた。

光害の他に、日本人と暗闇(灯り)との関わりが民俗学的な視点も交えて語られる。面白い。
しかし一番面白いのが、ナイトハイクなど自身の経験から得られた、世界を見る新しい視点。

もっといえば、昼間は太陽の光が大気に散乱して空が明るく青くなり、ほかの星の光を見えなくしてしまう。太陽自体もまぶしくてふつう見られないから、地球以外なにも見えない。果てしない宇宙が全然見えないのだ。それが夜になると、満天の星が見え、広大な宇宙が姿を現す。

見慣れた風景がまるで違って見える視点を示唆されるとワクワクする。昼間は明るすぎるゆえにもうひとつの闇なのだ。なんて素敵な視点転換だろう。
311以後に出された本なので、当然原発と電気の関係についても言及されている。
章題が素晴らしい。「明るい未来から、美しく暗い未来へ」。


2011年に制作された光害についてのドキュメンタリー、『ザ・シティ・ダーク 眠らない惑星の夜を探して』。
予告編だけで魅了される。ソフト化されていないようなので、どこかがリバイバルしてくれるのを熱望しています。