ジョン・ガイガー「サードマン 奇跡の生還へ導く人」

遭難や漂流、宇宙空間、災害現場などで危機的状況に陥った者の傍らに突然「何者か」が現れて、生還へと導くー。

↑裏表紙より。
極限状態に陥った人の傍に現れる〈存在〉について、豊富な事例と学説を紹介した本。

科学ノンフィクションとしても面白いし、山岳・海洋ノンフィクションとしても面白い。
一石二鳥の一冊。
人間の生存本能はすごいと心底思わされる。

個人的に印象に残ったのはラインホルト・メスナーの事例。
メスナーの本も読みたくなった。

佐瀬稔「ヒマラヤを駆け抜けた男 山田昇の青春譜」

noboru

森田勝まではいかなくても、アルピニストには人間嫌いのイメージがつきまとう。
人間嫌いだから人間嫌いに親近感を覚えるってのもよく考えると変な理屈だが、“まともな”生活を捨てて他人から見ればなんの意味もない行為に一生を捧げる生き方はちょっと羨ましい。

山田昇はそういうアルピニスト像とは全然違う。山好きで人も好き。だから山にも大好きな仲間と登る。
それでいて繊細な人でもあったらしく、仲間や知人が日常的に死んでいく山行を繰り返すうちにだんだん死の影を伴う凄みを纏っていく。
いっそ人嫌いだったらもっと精神的に楽だったかもしれないとすら思ってしまって、結構読み進めるのが辛い。

誰からも愛される人だったようで、あくまで取材対象としての付き合い(を始めたばっかり)だった著者のあとがきまで痛ましい。

佐瀬稔「長谷川恒男 虚空の登攀者」

hasegwa

「狼は帰らず アルピニスト・森田勝の生と死」と対になる一冊。
森田勝について書かれた本を読んでいると常識人に思えた長谷川恒男も、本書を読むとなかなかクセのある人だった。逆に本書を読んでいると森田が長谷川に比べて大人しく感じられるのが面白い。

クセのある人とは言っても、あまりにも森田勝のまま死んでいった森田勝とは違って、長谷川はわりと普通の歳の取り方をしていたと思う。あまりいい言葉だとは思わないが、“丸くなった”というか、“丸くなりつつあった”というか。
おそらくどこか一つでもヒマラヤの山頂に立っていたら、もう少し穏やかな後半生があったんじゃないか。それを本人が望んでいたかどうかは分からないが。

本文ももちろん面白いのだが、長谷川恒男の奥様による文庫版解説を読むと、単行本版が発売されてから文庫版が発売されるまでの4年程度の間にも、本書に登場するクライマーが何人も亡くなっている。まさに死屍累々。
本書に登場するクライマーの言葉にも〈山屋は山で死ねれば幸せ、とかそんな単純な問題ではない〉とあるし、実際長谷川は「畳の上で死にたい」と言っていた。なのに彼らはどうしてそこまでして山に登るのか、本当に興味深い。
山岳ドキュメントに嵌りそうだ。ちょっとボルダリングやりたくなってる。

佐瀬稔「狼は帰らず アルピニスト・森田勝の生と死」

morita

山岳ノンフィクションが読みたくて買った一冊。
でもこれは山がどうこうの本じゃなかった。

あんまりにも不器用で融通が利かず生きるのが下手。
言わなくてもいいことをわざわざ言うし他人の気持ちがわからないからすぐ人を傷付ける。
周りにいる人は大変だったろうし敵も多かったはず。
そんな森田勝の生き方がどうしても他人事とは思えないというか。

我が強くて不器用な人間は不器用さを失って上手く生きられるようになったらおしまい。
そんな希望の皮を被った絶望の塊を突きつけられた気分。

ところで、森田勝が最初に所属した緑山岳会。
そのべらんめえ口調が魅力的な会長が書いた「山岳サルベージ繁盛記」がいろんな意味で面白そうなので読んでみたいと思ったら、絶版の上にほとんど稀覯本になってるそうな。残念。

ジョン・クラカワー「空へ エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか」

thinair

ガイド登山に参加する気持ちはわからない。どうせ山に登るなら独りで行ったほうが孤独になれていいのにと思う。
死と隣り合わせの場所で団体行動なんか死んでも御免だ。

1996年のエベレスト大量遭難について、遭難したロブ・ホール隊に参加したジャーナリストが当事者として書いた本。
筆力のあるライターが事故の当事者になったことは不幸中の幸い…だったのかもしれない。
いちおう事故の概要や背景、ガイド登山の問題点なんかは分かりやすく書かれているし、読んでいて8000メートル峰の空気を感じられる瞬間もある。

ただ、スコット・フィッシャー隊のアナトリ・ブクレーエフ他、一部の人物への言及に中立的かどうか疑問に感じる部分もある。
本書の基になったルポを発表した時期についても賛否両論あるようだ。確かに著者の事実誤認が犠牲者の遺族に余計な悲しみをもたらしているので、そのへんもどうかなぁと思う。
著者のスタンスもジャーナリストとツアー参加者の間を行き来してる感じがしてはっきりしない。
8000メートル峰は文字通り極限状態だろうし、それを“地上の”倫理でどうこう言うのも違うかもしれない。実際、同時期にエベレストに登頂していてインド・チベット国境警察隊を見殺しする形になった福岡チョモランマ峰登山隊もそんな意味の事を言っている。でもそれを言ったらなんでもありになりそうな気もするが。

調べてみるとブクレーエフも本書への反論として『デス・ゾーン』を著している。読んでみたいが絶版のまま。

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