井戸まさえ「無戸籍の日本人」

この本は去年の頭、出版されてすぐに読み始めていたんだけど、読み進めるのが辛くて中断していた本。
『万引き家族』を観終わって、このタイミングで読まなきゃいけない、そんな気に駆られて読了。

様々な事情で戸籍を持てずに生活することを余儀なくされている人々を、元当事者で現在は支援団体を運営している著者が書いた、無戸籍についてのノンフィクション。
いろんな事例が載ってるが、とりあえず一番大きな問題は民法の古さだと思う。
772条の問題(離婚後300日問題)なんか絵に描いたような男尊女卑。右寄りの連中が改正に消極的なのも納得。

著者は、悪意を持った誰かではなく、普通の人々が〈善意の加害者〉として振舞ってしまうことの弊害を強く説いている。
誰もが無意識のうちに抱えている偏見。悪意を持とうとして悪意を持っている人間より余程厄介な代物。
ないこと、いないことにされていた問題を〈可視化〉していく活動の大切さと困難さがよくわかる。

巻末の著者と是枝監督の対談はページ数もあっさりしたものだが、本書が『万引き家族』にいろいろと示唆を与えていることがわかる。

阿部彩「弱者の居場所がない社会 貧困・格差と社会的包摂」

〈社会的包摂〉という言葉が気になって読んでみた。

語り口が平易で解りやすい。著者が活動のなかで出会ってきたホームレスのおっちゃん達のエピソードも(語弊はある言い方だけど)面白い。

女性、子供、高齢者など、貧困のケースごとに踏み込んで書かれているわけではなく、日本の貧困問題概論といった感じ。

帯に〈入門書〉とあるように、貧困問題に関心を持って最初に読む本としていいかもしれない。自分もいろいろ再確認するのに有用だった。
貧困率の出し方、データの読み取り方なんかは何度読んでも忘れちゃうので。

少し前の本だからデータ類が若干古いのは難点だが、読みやすい良書だ。
解りやすいぶん、著者が訴える包摂力を伴った社会を構築することがどれだけ難しいか(本書執筆時よりもさらに排他的になった今の社会では特に)もよく解って暗澹とする。

「貧困の中の子ども 希望って何ですか」「ルポ 児童虐待」

本を読んでないわけじゃない。ただ読んだからってブログに書かなきゃいけないわけでもない。
特に貧困関連の本は尋常じゃなく疲れるので何も書きたくなくなる。
とはいえ備忘録も兼ねてはいるので、とりあえず何を読んだかだけは記録しておこう。

というより、やっぱりこれらの本は一人でも多くの人に読んでほしいと思う。

下野新聞 子どもの希望取材班『貧困の中の子ども 希望って何ですか』
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朝日新聞 大阪本社編集部『ルポ 児童虐待』
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〈貧困と虐待は連鎖する〉。
貧困や虐待関係の本には、必ず書かれている言葉。フリーのライターだろうが新聞記者だろうが、取材の過程で突きつけられる現実。学校の先生や施設職員、法人や行政関係者の誰もが感じている現実。

そしてこの国には連鎖を断ち切る意志が無い。つまり子どもを助ける気がない。

貧困に苦しんでいるのはそんな環境に生まれたのが悪いから。
虐待されるのは本人に問題があるから。
充分な教育が受けられないとしてもそういう運命だから。

こんな国に未来があるはずがなく。まして誇れるはずもなく。
もちろん本の中には、児童の保護や虐待予防に成功した自治体の例なんかも書かれてはいる。でもなんかもう、そこに救いを感じられるほどの気力も残ってない。

大人が自分可愛さに子どもを殺す国。それがニッポンです。

斎藤貴男「強いられる死 自殺者三万人強の実相」

パワハラ、過重労働、リストラ、中小企業の倒産、学校や自衛隊でのいじめ、多重債務、生活苦…、様々な事情に追い込まれて命を絶った方の遺族、あるいは自殺未遂者、支援団体などを取材したルポ。

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著者が力尽きてこのボリュームになったっていうのも頷ける重い一冊。
だいぶ前に読み終わって、これは感想をブログに残しておこうと思ったものの、なんだか気が重くて結果的に一ヶ月ぐらい放置してしまった。

自殺の要因は複雑に絡み合っているのが普通で、ひとつの理由にまとめられるものじゃない。
過労やいじめは結果的に引き金になっただけで、そこまで人を追い詰めたのは社会全体の構造で、ということは要するに社会を構成するひとりひとりに責任があるということになる。

傍から見ればまったく無関係な第三者の微細な無意識(善意だろうが悪意だろうが)が積もり積もって、誰かを自死に追い込む。
弱者切り捨ての政策を批判はしても、批判をしたということで満足してしまっていたりする。SNSでも、記事の見出しだけでシェアなりリツイートして本文は読んでなかったり。単にアリバイを作っているようなものだ。

結局、どこまでいっても〈所詮は他人事〉な感覚が抜けないんだと思う。
自分のことを考えてみても、いくら偏見を持ち合わせてないつもりでいたところで、新宿の大ガードなんかでは知らず知らず早足になっている。
他人事な感覚を払拭するには、それこそ身内や友人から自殺者でも出ないと無理なんだろうか。そこまで想像力が衰えてしまったんだろうか。そんな気もするけど。人のことは言えない。

頭がグチャグチャしてきた。いろいろ書きたいことはあるはずなのに、書けば書くほど解らなくなりそうだから一旦引き揚げる。いやたぶんそれが逃げなのだろう。答えが出る筈がないことをとことん消耗するまで考えないといけないんだろう。

ひとりでも多くの人に読んでほしい。

飯島裕子/ビッグイシュー基金「ルポ 若者ホームレス」

何事も明日は我が身なので読み始めたが、自分と彼らとの間には薄い壁一枚あるだけで(本当にあるのか?)ほとんど同じようなものだということを再認識する。

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今時、いわゆるホームレスらしいホームレスのほうが珍しい。職も家もない若い人達は、貧困層や虐待に遭っている子供達と同じで、不可視な存在に〈させられて〉いる。
図書館やカフェで隣に座っている人が、ホームレスや被虐待児だってことが普通にあるわけで、そうなるとなんかこう、たまたま自分はスマホや身分証明書を持っているだけ、ということを突きつけられる。

読み終えたときには、福祉政策をなるべく使わせないようにしている行政とか、弱者の透明化をさらに推進しようとする政府への怒りももちろん感じている。
でもそれ以上に自分が社会的に存在していることへの不信感めいたものが湧き上がりもする。
それはたぶん散文を読むときの視線だ。正しくない。

鈴木大介「最貧困女子」

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これもまた重い、貧困関連のノンフィクション。
制度の欠陥などを議論することは少なく、フィールドワークで収集した貧困当事者の声を紹介していく構成で、貧困の最下層にいる女の子達の可視化にはじゅうぶん成功してると思う。
〈貧困〉と一括りにしても100人いれば100通りの事情がある。そんな当たり前のことをあぶり出す。
それなりに恵まれてフツーに育ってきた人間の想像力なんて、それこそ貧困なものでしかないことを思い知らされる。

人間は極度に追いつめられると、思考のパースが上手くつけられなくなるというか、するべきことの優先順位が付けられなくなるものだと思う。しかも本書で扱われているような貧困層にある人達は初等教育を受ける機会すら奪われていて、日常的に虐待される環境にいることがほとんどだから、どうしても行動が場当たり的、衝動的になってしまう。自分の身を守るためには仕方ないことなのに、そのへんもまた無理解な批判の矛先にされやすい。
でもまだこのへんまでは、時間はかかっても理解は得られる、貧困な想像力の範囲内にある事柄だ。

著者が可視化を試みた最貧困女子の実情は本当に複雑でこんがらがっていて、長い間〈見えなくされてきた〉のも頷けてしまう。
著者自身が悲鳴を挙げている。読んでいても出口の見えなさが辛い。だからといって見ずに済ますことは〈悪〉だと著者は断言するし、自分もそう思う。
とにかく知って、憂鬱になって、何日も嫌な気持ちを引きずることだ。
それでもまだスタートラインに立てるのか疑問だし、立ったとしてもゴールは無いんだけど、でもとにかくいろんな人に読んでほしいと思った。

石川結貴「ルポ 居所不明児童 —消えた子どもたち」

「居所不明」は学校基本調査で用いられている名称で、ものすごく大雑把にいうと居所不明児童の定義は、
・現在住んでいる場所がわからず、
・就学が確認できず、
・行政支援を受けられない境遇にある
子供達、ということになるらしい。

正式には居所不明児童生徒と言い、義務教育期間にありながら不就学となっている小学生(児童)と中学生(生徒)を指す。

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母親と義父から虐待されながらのホームレス生活を強いられ続けた果てに強盗殺人を犯してしまった少年を筆頭に、実際の事例も多く書かれている。
児童相談所や教育委員会、学校の先生への聞き取りも豊富。
ツライのは、おそらくどの現場でも子供達を助けようと必死にはなっているはずなのに、それがほとんど機能していないこと。
子どもが学校に来なくなったり、家庭訪問しても親が子どもに会わせてくれなくなったり。教師や児童相談所ではわりと早い段階で問題に気づけていると思う。
しかし、そうと気づいていても制度の欠陥や個人情報保護が足枷になって動くに動けない。「なぜ気づけなかったのか」ではなく「気づいているのにどうして動けないのか」。
DVが原因で母親と一緒に逃げていたり、下手に動くと事態が悪化しかねない場合もあるんだろうけど、現場の先生や福祉士からすれば気が気でないだろうし、実際にそんなこんなで対応策が浮かばないうちに行方をくらましてしまった子どもも多いという。

いったん行方をくらましてある程度の期間が経ってしまうと、捜索は難しくなる。
住民票だけは残したまま、行政機関との接触を絶って行方をくらまされると、児童相談所ではもう探しようがないという。もちろん事件性がないうちは警察も捜査できない。
社会から姿を消すなんて容易なことではないと思ってたが、そうでもないらしい。毎年一万人以上の子どもが消えていっている。普通にゲーセンや公園で時間を潰しているように見える子のなかに、公的書類から抹消された、この世にいないことになっている子がいても不思議じゃない。
帯文の通り、闇を見せつけられた感じ。

山野良一「子どもに貧困を押しつける国・日本」 / 阿部彩「子どもの貧困」

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タイトル通り、日本は「子どもに貧困を押しつける国」だということを畳み掛けるように見せつけられる。
〈貧困は甘え〉なんて想像力の欠片もない考え方を持つ人間が少なからず(っつーか多数派なんだろう)いるけど、本当に甘えてるのはそんな人間や国の側だということを、著者の経験やデータを用いて丁寧に解説してくれる。良書だと思う。

相当に気が滅入る本ではある。それは題材以外の部分でも。
著者の語り口は、読者に問題への関心を深めてもらおうという気持ちから、客観性を失わずとても丁寧で感情的に激することもない。
しかし、子供達の境遇を語るために何度も繰り返される〈しんどい〉という言葉の裏に、著者の怒りや絶望や失望の深さが感じられてしまって、辛い。
しかも読んでる自分だって最近までほとんど無関心だったわけで、それもまた申し訳ないというか情けないというか、辛い。


阿部彩の『子どもの貧困』は山野氏の本と比べて多少専門的になるし出版されたのも少し前だが、これも良書。
副題は「日本の不公平を考える」。

統計やアンケートの結果なんかを見てとにかく嫌な気持ちにさせられるのは、〈生まれた環境によって受けられる教育に差が出るのは仕方ない〉と考えている人が少なからずいることだ。
もちろん、何もかも平等な環境に生まれるなんてことはあり得ない。でも、お小遣いが多かったり少なかったり、おもちゃや服を買ってもらえたりもらえなかったり、そういうことじゃないのだ。
義務教育しか受けられないことが本人の意思とは別のところで不可避的に決まってしまうこと、生まれた時点で人生の選択肢を狭められてしまうことを、「仕方ない」で終わらせちゃいけないだろう。
少なくともそれは大人が取る態度じゃないと思う。

繰り返しになるが、2冊とも良書だ。
貧困率の算出方法や支援制度の問題点が、とてもわかりやすく書かれている。
気は滅入るけど、気が滅入ることを避けているのは卑怯以外のなにものでもない。「大人」としての役割を避けている大人は「大人」じゃない。単に歳だけは重ねたクソガキが多すぎるのがこの国の不幸だろう。