フェディリコ・フェリーニ「甘い生活」@早稲田松竹

Ladolcevita

『甘い生活』
『道』が不完全燃焼だったぶん、こっちはオープニングからフェリーニに望んでいるものそのものといった感じで盛り上がる。
冒頭のキリスト像とかラストの魚とか、いろいろと象徴的なモチーフが出てくるし、細部までは分からなくても、こう考えれば収まりがいいんだろうなっていう解釈はそれなりに思いつく。 でもただひたすら退廃的で狂躁的なシーンの連続に身を委ねてるほうが(そういったものへの批判的な側面もあるけど)、“人間なんてそんなもの”という諦観を、もっと言えば『8 1/2』の〈人生は祭だ〉というセリフに通じるものを感じさせてくれて気持ちいい。
自分にとってのフェリーニの魅力はどこか退廃的なところ。
結局人間なんて騒いでたと思ったら急に死にたくなって本当に死んじゃったり、近しい人が死んだら落ち込むけど他人が死のうが平気だったり、セックスさえ出来ればそれでよかったり、その程度のものなんだと思う。

『道』も『甘い生活』も人間に対する視線は肯定的だけど、肯定の仕方が若干違っているように思える。
〈誰だって生きているだけで何かしらの役には立っている、だから生きよう〉なのか、〈もともと生きていることに大した意味はない、だから生きるも死ぬも自由〉なのか。
個人的には後者のほうに救われる。

そういえばニコが出てた。そういえばで済む端役ぐらいの印象しかないけど。
それよりもアヌーク・エーメが好きなので、出番が少なく感じられたのが残念。サングラスでクルマを飛ばす彼女の格好良さ!いきなり娼婦の家に行ってマストロヤンニと寝る飛び方も素敵。

ニーノ・ロータの音楽もエレピが効いてていかにも60sな感じで凄まじくカッコいい。

フェディリコ・フェリーニ「道」@早稲田松竹

早稲田松竹でフェリーニの2本立て。なぜかヨーロッパ映画は早稲田松竹で観たくなる。

LaStrada

『道』
名作中の名作、ということで期待しすぎたのか観ている最中も上映後もピンと来なかった。でも家に帰ってからもずっと引きずってるのは楽しめた「甘い生活」じゃなくてこっちだったりする。
ジェルソミーナの表情が魅力的で、その変化を観ているだけで楽しいことは楽しいのだが、主要な登場人物3人の内面がイマイチ掴めなくて歯痒かった。
有名な「なんだってなにかの役に立ってる」というセリフのシーンも、言葉は素敵だがキ印があまり好きになれないので大して響かなかった。
余分なものをほとんど削ぎ落とした、映画のお手本みたいな映画だとは思う。
ただ好きな映画かというとよく分からない。名作だから響かないといけないなんて法はないけど。

フェディリコ・フェリ—ニ「8 1/2」@早稲田松竹

全然映画を観ていない。映画を観ないと感性がダメになる。
ダメになるのはもともとダメ人間なので構わないが、感性がダメになるのは辛い。
どうせあと2〜3年で感受性なんか枯れてしまうんだから、今のうちに観るものは観ておきたいのだ。

今日は多少時間が空いたのと精神状態も良好だったので、久々の早稲田松竹。
フェリーニ!「8 1/2」!

初めて観たのは3〜4年前に吉祥寺で。今日が2回目。初めて観たときより今日のほうが映画の中に入り込めたのは、今のほうが疲れてるからだろうか。
<ひらめきの一時的な涸渇か? それとも一時的じゃないとしたら…>
映画監督の不安感に素直に共鳴してしまう。不安だよね。不安じゃないわけがないんだよ。

あとは女性の描き方。あんな風に優柔不断に美人に甘えられたらいいね。甘えたいね。
アヌーク・エーメの知的美人っぷりが素晴らしい。「男と女」よりこっちだな。

<この混沌こそ私なんだ>
グイドが悟って(開き直って)から、ラストの名セリフに至る一連の流れはどうしようもなく快感。前よりもさらに甘美な体験。本当にいい映画だな。たぶん落ち込んでるときほど素敵になるに違いない。

<人生は祭りだ。一緒に騒ごう>