『シン・ウルトラマン』なんて作る意味があるのかと思っていた。
『シン・ゴジラ』は作る意味があった。というより、フクシマを経験した以上、〈作らなければいけない〉映画だったし、どうでもいいことを言えば、ゴジラファンですらゴジラを口に出すことが無くなっていた冬の時代を終わらせる副次的な効果もあった。
でもウルトラマンは。どこまで堕落しようとも一応は認知され、良し悪しは別としてシリーズも続いているし。
『シン・ゴジラ』の便乗企画程度にしか捉えていなかった。
で、雛型を見て、ほんのちょっとだが納得できた。
これは円谷プロから成田亨先生への贖罪なのかもしれない、と。
成田先生が円谷プロへの複雑な思いを抱いたまま鬼籍に入られたことは、とても残念なことだと思う。
しかも円谷プロはいまでも、成田先生や金城さんの遺産で糊口を凌いでいる。
それでも、今の円谷プロにも良心の呵責が無いでもないことは、ウルトラセブンねぶたのときに窺えた。
(それだってわからない。結局は自社キャラクターのPRのためだと言われればそれまでだ)
まあ、そういう泥臭い話は抜きにしても、ファン以外の一般層が成田先生を認知するきっかけになればいいなと思う。
〈第一次ウルトラ〉以外認めないとは言わないまでも、自分もやっぱりエースぐらいまでしか許せない人間なので、余計にそう思う。
来年は円谷英二監督没後50年だ。