遠藤賢司「niyago」

エンケンのアルバムは、やっぱりベタだけど『満足できるかな』が一番好きで、「寝図美よこれが太平洋だ」がとにかく好きで。

それに較べればファーストの『niyago』を聴く頻度はそこまででもない。「雨上がりのビル街」はそれこそ雨上がりの朝によく聴くけど。

訃報を知って、久しぶりに『niyago』を夜中に聴いた。
エンケンは最初からエンケン以外の何者でもないが、ストレートにティム・バックリーな瞬間も多くて少し意外だった。

ロックなエンケンはもちろん最高だけど、アシッドフォークなエンケンが自分にはしっくりくる。
晩年(こんな書き方したくない)のアルバムも名盤だらけ。

あらためて、ありがとうエンケン。

大滝詠一「DEBUT AGAIN」

今年の3月21日は何も出ないだろうと思っていたら、他人への提供曲集。
嬉しいことは嬉しいけど、ミュージシャンの死後に音源を蔵出ししてきて〈新譜〉と謳って売ることにはどうしても抵抗がある。
せめて〈デモ〉とか〈没テイク〉ときちんと表記するのが墓暴きの最低条件じゃないの。(本作はデモの類いではないけど)
もっとも大瀧さん自身、エルヴィスの墓暴きなんか大好きだったんだろうな。

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どうしても『風街で逢いませう』の続きとして聴いてしまうから、とにかく「Tシャツに口紅」が嬉しい。
「熱き心に」は「さらばシベリア鉄道」ほどじゃないけど、新旧世代の歌詞への意識の違いの好サンプル。アキラは言葉の意味、役割までは分解しないが、大滝さんは意味よりも母音と子音の響きに重きを置いてる。

ヘッドフォンコンサートの「風立ちぬ」も凄い。ただ、コンサート完全版の予告編的な小出し商法だったらイヤだな。
薬師丸ひろ子の2曲はミックスがちょっと不満。

E.W.サイード「知識人とは何か」〈第三章〉

『知識人とは何か』読了。第三章と第四章は特に面白かった。長くなりそうなのでとりあえず第三章だけ。

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亡命など経験せず、一つの社会で一生暮らす知識人たちも、いうなればインサイダーとアウトサイダーにわけられる。いっぽうには現状の社会そのものにどっぷりと浸かり、そこで栄耀栄華な暮らしを送り、反抗とか異議申し立てだのという意識にとりつかれることもない人びと、いうなればイエスマン。もういっぽうにはノーマン、すなわち社会と角突きあわせ、それゆえ特権や名誉に関するかぎり、アウトサイダーとも亡命者ともいえる個人。知識人をアウトサイダーたらしめるパターンの最たるものは、亡命者の状態である。

あまりにも二項対立的に過ぎないかとも思うけど、その後に続く〈亡命者の状態〉についての記述が説得力に満ちていて、なんというかこうありたいと思わせてくれる。。

つまり、けっして完全に適応せず、その土地で生まれた人びとから成るうちとけた親密な世界の外側にとどまりつづけ、順応とか裕福な暮らしという虚飾に背をむけ、むしろ嫌悪するような生きかたである。

文学や映画の良さは、未知の認識とか不安へと読者(観客)を連れていって放り出すことにあると思う。
予定調和のカタルシスもあるが、自分はそういうわけのわからないもの、不安にさせてくれるものが好きだ。
絶えず揺さぶって欲しいし、多少の悪意も込めて、他人の認識も破壊したい。

↓ (参考: 安部公房の講演。文学の本質について)

また、亡命者はある対象を、〈あとに残してきたもの〉と〈現実にいまここにあるもの〉の二つの視点から眺めることができ、そこにパースペクティヴが生まれるという。
ある対象を把握するとき、複数の視点を持つのは大切だ。というか持たないと危ない。拠って立つはずの普遍性を見失ってしまう。そういう意味でも亡命者的な視点は重要だとサイードは言っている。

たとえほんとうに移民でなくとも、故国喪失者でなくとも、自分のことを移民であり故国喪失者であると考えることはできるし、数々の障壁にもめげることなく想像をはたらかせ探求することもできる。すべてを中心化する権威的体制から離れて周辺へとおもむくこともできる。おそらく周辺では、これまで伝統的なものや心地よいものの境界を乗り越えて旅をしたことのない人間にはみえないものが、かならずやみえてくるはずである。

自己欺瞞的な読み方になっていないか自問してみる。でも、知識人にしても表現者にしても、響いてくる人には必ず亡命者的な資質があるという確信もある。少し前に書いた松本隆についてのツイートにも通じること。

とりあえず第三章で紹介されたアドルノの『ミニマ・モラリア』はすぐに買った。序文だけでも面倒臭い文章だが、面倒で嬉しくなる。
もうひとつ、アウトサイダーといえばコリン・ウィルソンだが、あれも難しくて途中で挫折した。正続持っているので、そのうち再チャレンジしてみるつもり。

風街レジェンド2015@東京国際フォーラム

21日の〈風街レジェンド2015〉に行った。

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公演発表の瞬間に、絶対に行くと決めた。
メンバーがすごいのはもちろん、やっぱり“はっぴいえんど”。
細野さんは何度か観たし、茂さんとの絡みもTINPANでこれからも観る機会はあるだろう。でも松本さんがドラムとなると…。
〈All Together Now〉が最後のチャンスだったんだろうと思いながらずっと生きてきた(その翌年生まれ)ので、今回はなにがなんでも行くしかない。
もちろん大瀧さんがいないのは寂しい。でも3人揃うことだけですでに奇蹟なのだ。

だから当日、『風街ろまん』のジャケットが映し出されたスクリーンが上がり、そこにあの3人が立っているのを目の当たりにした瞬間、本当に鳥肌が立った。(出来れば立ち上がりたかった)
一曲目は「夏なんです」。はっぴいえんどでいちばん好きな詩。写真で見る猫背とまったく同じ姿でドラムを叩く松本隆を生で観ている!!!!
途中少し不安定になったりするものの、逆に緊張感を感じさせていい。
次はかなりヘヴィになった「花いちもんめ」。オリジナルより良かったかもしれない。
そして「はいからはくち」のボーカルは大滝さんに代わって佐野元春。あらためて文字にすると豪華すぎて意味が分からない。
「ソロだ!」で松本さんのドラムソロ。凄い!

その後のセットリストはまさに生で観る『風街図鑑』。風街ばんども鉄壁。
まずは太田裕美「木綿のハンカチーフ」。裕美さんの曲は松本さんの歌謡曲仕事のなかでも、松田聖子と並んで特別な位置にあると思う。シングルだけじゃなくてアルバムも作り込まれてて名盤が多い。
それにしても、裕美さんって全然変わらない。なんであんなに可愛いんだろう。

原田真二「てぃーんずぶるーす」。てっきり作曲も茂さんだと思ってたけど編曲だけだった。ピアノを弾く姿はカッコイイが、「タイムトラベル」でサビを合唱するように会場をけしかけるのはちょっと。ああいうのは好きじゃない。ごめんね。

大橋純子、石川ひとみ、美勇士あたりはそれほど思い入れがないので平静を取り戻す時間。当たり前だけど歌が上手い人ってのはすごいなと。

「東京ららばい」を歌うのは中川翔子。しょこたんにも思い入れはない。でも結構アウェイな中で熱唱する姿は滅茶苦茶カッコイイと思った。好きなものを「好き」って言い続けてきたことの強さを見せつけてくれる。曲も好きなので文句なし。

再結成イモ欽トリオは再結成はっぴいえんどと同じくらいの奇蹟、かもしれない。ベタだけど笑わせてくれるし、これは聴くというより観る曲なんだなと思った。スターボーも再結成すれば良かったのに。

山下久美子「赤道小町ドキッ」、早見優「誘惑光線・クラッ!」。このへんはちょっと順番が曖昧。
シューベルト「冬の旅」の現代日本語訳を鈴木准テノール、河野紘子ピアノで。まったく毛色が違うとはいえ、あからさまに席を立つ人達にイラッ。

永井博さんのイラストを思い起こさせる情景がスクリーンに映し出されて、ここから予想外にして怒濤のナイアガラ・タイム!

ちゃんとチューニングのA音から始まる「君は天然色」。風街ばんどの音圧がまさにナイアガラ・サウンド。なんたってバンマスは井上鑑さんだ。
銀次さんと杉さんが並ぶと、銀次さんがギター低めのジョン・レノン立ち、杉さんがポール立ちに見えてきて無意味に嬉しくなる。

杉さんのMCにグッと来つつ、元春さんが再度登場して、トライアングルVol.1と2の「A面で恋をして」。
“シリアスな気持ち 横において”っていう歌詞が、大瀧さんを楽しく偲ぶ当日の雰囲気そのまま。

鈴木雅之は「Tシャツに口紅」と「冬のリヴィエラ」、渋い。
なによりも“ナイアガラの一員として”歌ってくれたことの喜び。

稲垣潤一が「バチェラー・ガール」と「恋するカレン」。
稲垣さんも声が変わらない。「カレン」の歌詞は正直言ってそんなに好きじゃないけど、歌の説得力に持っていかれた。

ナイアガラタイムが終わって、次は誰かと思ったら、摩天楼のヒロイン、南佳孝!
もちろん「スローなブギにしてくれ (I Want You)」。演奏も歌もコクがあって最高。これもスタジオ版より良かったかもしれない。
佳孝さんが茂さんを呼び込んで「ソバカスのある少女」。地味だけど嬉しい選曲。立夫さんのドラムも美味。ティンパンよりもキャラメルって呼びたい気分。

続いて茂さんのソロ「砂の女」。松原正樹、今剛と3人でギターバトル。凄かったよ。椅子揺らしすぎて隣の人は迷惑だったかもしれないけど、圧巻のグルーヴ。ホントにギター弾きたくなる演奏。

余韻に浸っていると、スクリーンには「しらけちまうぜ」の歌詞が! 客席で一番早く拍手した自信があります。
忠さんもカムバックしてからどんどん渋くてダンディになってる。滅茶苦茶カッコイイ。ここでも立夫さんのドラムが最高。
(スタジオ版のエンディングでシンバルを連打してピシッと止めるところも、曲の主人公が背中を向けた瞬間を表してるようで最高にカッコイイ)
忠さんは意外にも1曲だけ。もったいないよー。「流星都市」とか、どうせなら「暗い日曜日」でも演ってくれたら面白かったのに。

スクリーンにでっかく「矢野顕子」! 別格。ティンパンタイムだったのか。
アッコちゃんが歌うならはっぴいえんどか細野さん絡みの曲かと思ってたら、アグネスの「想い出の散歩道」と「ポケットいっぱいの秘密」だった。
「想い出の散歩道」は『風街図鑑』で聴いて本当に好きになった名曲で、今回もとびきりの名演。次のアルバムにでも入れてくれないかな。
「ポケットいっぱいの秘密」はいつも通りのアッコちゃんというか、ブッ飛んだジャズアレンジが最高。原曲のメロディの良さは消えない。そこは筒美京平さんの凄さでもある。

アッコちゃんと来たらミナちゃんだ。
美奈子のほうが何を歌うのか予想がつかなかったけど、薬師丸ひろ子「Woman “Wの悲劇”より」と松田聖子「ガラスの林檎」。
あまりにも意表を突きすぎ。そして歌が凄すぎ。神懸かってるとしか言いようがない。
どうせならター坊とアッコちゃん美奈子のティンパンのディーヴァ3人で、75〜76年頃の曲を演ってほしかった。贅沢言い出すとキリがない。

風街ばんどの演奏で「カナリア諸島にて」と「スピーチ・バルーン」。『NIAGARA SONG BOOK』な趣が嬉しい。
(演奏とは関係ないが、21日はスクリーンの映像とテロップの切り替えがイマイチでそこが少し残念。)

一息入れてスクリーンに「卒業」の歌詞。というか歌詞が映し出されるだけで観客がどよめくってのもよく考えると凄い。そんな曲だけで4時間。
斉藤由貴は鬼気迫るというと変だけど、なんだか神々しくてひたすら怖いぐらい綺麗だった。「初戀」も歌って欲しかったなぁ。

EPOは「September」。演奏も最高であらためて良い曲だなぁと。彼女については全然知らないのでアルバムを借りよう。

裕美さん再登場で「さらばシベリア鉄道」。なんとなく終わりが近いことを感じさせる。
それにしても裕美さんは可愛い。それしか言ってない気もするけど。友達でも従姉妹でも彼女でも奥さんでも不倫相手でも母親でもいいなぁと思えるのは香川京子さんと裕美さんだけ。

で「ルビーの指環」。正直言ってピンと来ない曲なんだけど、寺尾聦は絵に描いたようなダンディで格好良かった。なるほどこれが寺尾聦かと思った。

最後は再びはっぴいえんどで、「驟雨の街」。
イントロで細野さんのマイクがオフになってるというアクシデントはあったものの、淡々と演奏を進める3人にもう少しで泣きそうになった。(涙腺が硬直してるので泣けない)

細野さんのMC「はっぴいえんどって地味だよね」。笑ったけど、メインストリームではないところでこれだけのものを作ってきたことへの矜持が垣間見えた気もした。「はっぴいえんどは最後まで天の邪鬼なんだよ、悪い?」と。

その細野さんが柄にもなく全員を呼び込んで、「風をあつめて」。
アッコちゃんと裕美さんが楽しそうにしててこっちまで楽しくなったり、忠さんと美奈子さんが並んでてティンパンのツアー映像を思い出したり。思わず歌い出す。至福の時間。

最後に松本さんの挨拶。ちょっと泣きそうになってたようにも見えた。どうしても尖ってて不敵なイメージがあるからちょっと意外だった。
とか言いつつこっちも泣きそうになってたんだけど。(涙腺が硬直してるので泣けない)

客電が上がると、「スピーチ・バルーン」。余韻。
ライブ中、ここに大瀧さんがいたらと何度も考えたし、これからも何度も考えると思う。
でも〈いない〉ことによって〈いる〉ことはすごく大瀧さんらしいし、多分ご本人もムフフと笑っていることでしょう。
〈終わり〉は〈始まり〉なのだ。大瀧さんは風を起こして松本隆をけしかけただけで、充分満足してるはず。

kazemachi

「BRUTUS 2015年7月号」

brutus

『海街diary』に行く前に是枝監督特集の「SWITCH」と一緒に買った松本隆特集の「BRUTUS」。
正直言ってどっちもあんまり好きじゃない雑誌だけど特集が特集なので。

風街は幻影の街。ただ一曲「風をあつめて」だけは昔から少し位相を異にする気がしていて、それは他の曲と違って風街を幻視する瞬間を描いてるからじゃないかと思う。風街を外から眺めた曲、限りなく松本隆の私小説に近い曲、と捉えてみる。

ついでに最近ご本人にRTされたツイートを再録。

松本隆が描く東京はエキゾチックだ。それは異邦の眼を持っているからで、荷風が東京を江戸に、賢治が岩手をイーハトーブに見立てたことや、もちろん細野さんやあがたさん、アッコちゃんの76年頃のアルバムとも通底する。
大切なのはいったん自分を外部に置くこと、つまり孤独になることで、異邦人になることだ。それはあまりにも内向きすぎる最近の風潮の対極にある。だから余計に大切にしたいし、なにより実践すると日常が変化して愉しい。
この街で朝を迎えるのは初めてだと想像してみよう。

もっとも最近は内向きって言葉じゃ甘くて、どうしても日本が世界の中心だと思いたい人が多いらしい。
球体の表面に中心があるわけがない。軸を通せば極点は出来る。しかし反対側に対極点が出来るから、ハイ対立の一丁上がり。
いいかげん大人になれよ。地球上はどこだって辺境で誰だって異端なんだよ。

…「SWITCH」に続いて糸井重里のインタビューもあり。邪魔。
なんだかここ数年で急にこの人が嫌いになってきた。

はっぴいえんど「はっぴいえんどマスターピース」

買ったら買ったでそんなに聴かないのがボックスセットというもので、去年買った『はっぴいえんど マスターピース』もアナログを1回聴いただけ。


ボックスの作りは丁寧でいい仕事だと思う。

聴くのはもっぱらCDをリッピングしたロスレス。ハイレゾもダウンロードしたけど再生環境を整えてないからフリーソフトでちょろっと聴いただけ。
どのフォーマットでも音質はとんでもなく良いのに、CDの中途半端な紙ジャケとか松本隆の作詞ノートレプリカで裏切られた感が強い。あんなチャチな作りでレプリカを謳われても。
ジャケに封入されてるLPの巻き帯は、斜めに入れられてるので端っこが折れていた。最初から巻いておいてほしかった。

でもまあ、『ゆでめん』と『風街ろまん』に関してはこれさえ持ってれば今後買い替える必要も無さそうなので、そういう意味では買ってよかったかなと思う。

はっぴいな海

前からこの4枚のジャケがどことなく似ているのが気になっていた。

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はっぴいえんどの「風をあつめて」の歌詞にある、〈防波堤越しに見えた碇泊してる都市〉もこんな風に見えたんじゃないだろうか。
その後〈風をあつめて…〉に繋がるが、風は凪いでいてほとんど吹いていないような気がする。

どのジャケットからも動的なイメージは喚起されない。むしろあの世のような静かな海のイメージ。
細野さんの『はらいそ』はそういうイメージのアルバムだし、後年のインタビュー本『エンドレス・トーキング』でも現実逃避願望と絡めて補陀落渡海のことなどを語っていた。

『ロンバケ』もそうだ。一般的にはリゾートそのものみたいなイメージのジャケかもしれないが、虚無的な印象が付きまとう。絵本版なら人物の絵もあるからそうでもないが、誰もいないプール、その向こうにはやっぱり誰もいない砂浜。核戦争後の世界と言ったら言い過ぎかもしれないが、どこか終末的な印象。
「カナリア諸島にて」の歌詞とも無縁ではないし、レココレで湯浅学が同曲をレビューしていた文章のせいもあるかもしれない。大滝さんが震災後に釜石の海について語ったインタビューの印象もある。

大滝さんが言葉も、かつての恋人の面影も忘れて生きていくと歌ったカナリア諸島も、細野さんがハリケーンドロシーに誘惑されてボレロを踊る熱帯の海も、すぐ近くにある。
音楽はいつでも思わぬところで繋がっている。二人が教えてくれたこと。