金子光晴「絶望の精神史」

説明不要。詩人の名随筆。

despair

なぜ21世紀にもなって、明治大正の知識人のような苛立ちや悩みに曝されなきゃいけないのか。
ここ5年くらいはずっとそんなことを考えている。
「それは当然、僕も貴方も馬鹿だからでしょう」

要は日本人に生まれたことを悔やむしかないんだろう。

第1章の章題は〈絶望の風土・日本〉。

長い年月日本人は、海の彼方に、国々のあることを忘れていた。(略)
「民をして知らしむべからず」の政策の、それも一つのあらわれである。江戸時代は、この政策で、三百年の平安の夢を見たが、日本人の性格はそのためゆがめられた。「見ざる。聞かざる。言わざる」の消極的な小天地のなかで、よそへは通用しない、横柄で小心、悟りすましているようで勘定高い、ちぐはぐな性格ができあがった。(略)

詩人の看破。
もし日本人を説明する必要に迫られたら、この一文を引用するだけでいい。
本書が執筆されてから、まだ50年ちょっと。数百年に渡って醸成されたこの歪な国民性が矯正されるわけもなく。(むしろさらに歪んでいるから安心してください)
そしてもちろん、江戸に幕府が開かれる以前の日本人が真っ当だったというつもりも、毛頭ありません。

日本人として生まれてきたことは、はたして、祝福してよいだろうか、悲運なことなのだろうか。その答えは、だれにもできないことであろう。

悲運なことだと思う。でも、それはどの国に生まれても同じだろう。どこにもその国特有の〈絶望の精神史〉があって、それはたぶん、他国から見ることは出来ない。

しかし、僕が、防波堤や、虫食った岩礁の上に立って、黒潮の渦巻くのをながめながら、「とうてい、逃げられない」と感じたことは、日本がむかしのままの鎖国状態とあまり変わりがないことへの絶望とみて、まちがいはないだろう。

そして諸国を放浪した詩人をして書かせたこの一文に、完膚なきまでに打ちのめされる。
異邦人に、亡命者にならなければ。

とにかく迎合する前に批判せよが、簡にして要を得た回答となる。

公房「そこで国家は、かつて辺境の「異端」と闘い、国境線を守り抜いたように、こんどは内なる辺境(移動社会)の「異端」にむかって、正統擁護の闘いを開始しなければならなくなった。非国民…排外主義者…秩序破壊者…外国の手先…アカ…全学連…等々」

サイード「集団が信奉する公式見解をくりかえすだけなら、なんとたやすいことだろう」

散人「今の世を見るに、世人は飲食物を初めとして学術文芸に至るまで、各人個有の趣味と見解とを持っていることを認めない。十人十色の諺のあることは知っているらしいが、各自の趣味と見識とはその場合場合に臨んでは、忍んでこれを棄てべきものと思っているらしい」

夷斎「それにしても、ああ、益々御風流……いよいよ、きちがいじみて来た」

K「われわれの救いは死である。しかし〈この〉死ではない」

公房「絶望するのはまだ早い。都市の広場が暗ければ、国境の闇はさらに深いはずなのだ。越境者に必要なのは何も光ばかりとは限るまい」

アレント「最も暗い時代においてさえ、人は何かしら光明を期待する権利を持つこと、こうした光明は理論や概念からというよりはむしろ少数の人々がともす不確かでちらちらとゆれる、多くは弱い光から発すること…」

サイード「たとえほんとうに移民でなくとも、故国喪失者でなくとも、自分のことを移民であり故国喪失者であると考えることはできるし、数々の障壁にもめげることなく想像をはたらかせ探求することもできる。すべてを中心化する権威的体制から離れて周辺へとおもむくこともできる」

ブルトン「いとしい想像力よ、私がおまえのなかでなによりも愛しているのは、おまえが容赦しないということなのだ」

サイード「おそらく周辺では、これまで伝統的なものや心地よいものの境界を乗り越えて旅をしたことのない人間にはみえないものが、かならずやみえてくるはずである」

苦沙弥「個人主義は人を目標として向背を決する前に、まず理非を明らめて、去就を定めるのだから、或場合にはたった一人ぼっちになって、淋しい心持がするのです。それはそのはずです。槙雑木でも束になっていれば心丈夫ですから」

安吾「だが堕落者は常にそこからハミだして、ただ一人曠野を歩いて行くのである」

詩人「人のいやがるものこそ、僕の好物。とりわけ嫌ひは、気の揃ふといふことだ」

ツァラ「自由、自由。ぼくは菜食主義者ではないから、レシピを提供することはできない」

ママ「すべて楽しいことは、お腹にいいのですよ!」

金子光晴『鮫』

『絶望の精神史』もちょっと手を着けただけで全然読み進めていないのに、金子光晴の詩集を買った。どうしても読まなきゃいけないような気がして。

mitsuharuworks

読めばスッと入ってくる平易な詩にもそれはそれで良さがある。
よくわからなくてもなんだか引っ張られる詩を読むとこれはこれで嬉しくなる。
金子光晴の詩は(時期にもよるんだろうけど)後者。

岩波文庫の『金子光晴詩集』には詩集『鮫』がまるまる収録されている。
まるまる収録されているからには凄い詩集なんだろうと、よくわからないまま読み進める。
まだよくわからないが、作者の強烈な日本人への嫌悪を嗅ぎ取ることは出来る。
嫌悪は日本人だけに向けられたものではないはずだけど、戦争体験で目の当たりにした日本人の醜悪さが底部にあることは疑いようもなく。

これは掘り進めないといけない。初読の印象がどこまで合っているのか、的外れなのか、見極めないといけない。
すごい詩にブチあたると駆り立てられる。

結局なにも書いてないエントリーだ。