石川淳「虚構について」 – 雑感

疲れた。

たれでも承知してゐる通り、ある藝術作品がどんなによいかといふことを、それにふれたことのない他人にことばで傳へることはむつかしい。(略)
しかし、ありやうは、ある藝術作品から受けた感動を再現するとは、そんな傳達とか限界とかに氣をつかつて、該作品のまはりをうろうろすることではない。逆に、そんな程度の振幅にとどまる感動しかあたへないやうな作品ならば、そもそも大したしろものではなかつたといへる。

石川淳「虚構について」より。至言だ。

ブログのためにグチャグチャと言葉を捏ねくりまわしていると、あらためて作品の感想を言葉にするのは難しいと感じる。
簡単に言葉に出来ないからこそ、面白いし何回も鑑賞したくなるのであって、言葉にすればするほど作品の印象が全部ウソになっていくようで空しくなってきた。

だいたいブログなんて後で読み返すために書いてるようなもんなんだから、そもそも書く必要が無い。
鑑賞日と簡単な印象だけメモしとけば充分だ。
もう嘘を書くのはやめよう。

祝JOC会長の竹田起訴

いちおう新年一発目だから、めでたいネタはないかと探していたら、こんなにおめでたいネタが飛び込んできた。

JOCの竹田会長が贈賄で起訴。めでたい。
国内ではろくすっぽ報道されてないが、ニッポンの皆さんには報道してあげても意味がわからないだろう。

電通や安倍周辺にもきちんと捜査が及んで、オリンピックが中止になりますように。
いや、中止じゃつまらないな。
世界中からバカにされボイコットされますように(^^)

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共謀罪、に限らず

秘密保護法も戦争法案も共謀罪も、とにかく姑息に事を進める点で何も変わらない。その度にうんざりさせられる自分にもうんざりする。


昨日は仕事終わりで国会前に行った。
こんな国はとっくに見捨ててるが、意思表示だけはしたい。黙ってバカの巻き添えを食うほどお人好しではない。

で、今回もやっぱり、抗議コールの真ん中にいながら、ここにいる人達のこともまた信じていない。
野党議員が議場の進捗報告を兼ねて挨拶に来ると、歓声と拍手で迎える。それは違うだろうと思う。どうしても違和感が消えない。
迷いもなく声をあげている人や、ノッてコールしている人を見ていても怖い。いつ、この人たちがあっち側にまわるかわかったもんじゃない。


安倍と与党連中はもちろん、自分を含めて長い間政治に無関心だったすべての人間が憎い。

311後の日本は、それまで見て見ぬふりをしてきたものが全部見えてきただけで、むしろ良い傾向だと云う人もいる。
理屈は解るし、311が無くてそれまでの日本がダラダラ続いていたよりマシだとは思う。

それでも、自分がどれだけ阿呆だったかを直視させられるのはツラい。そして自分以上に阿呆な連中が威張る世の中が、さらにエスカレートしてずっと続くと思うと、憂鬱以外の何物でもない。

なんでこんな国に生まれたんだろ。最悪。
誰も彼も憎い。

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ゴミについて

こんなときに限って風邪が酷くて国会前に行けず。
ずっとこんな国で暮らすわけじゃない(そうとでも考えて逃避しないと神経を壊される)からいいんだけど、ムカついてるって意思表示ぐらいはしておきたい。

自分が共謀罪なり安保法制なりに反対なのは、バカで想像力の無い連中の巻き添えを食うのが嫌だから。
なので、この国が好きで、国の行く末を考えて行動してる人達は偉いし、大変だなぁと思う。
この先、状況が良くなることなんて無いのに。

そうは言いながら、採決の様子やら政権に肯定的な意見を目にするとムカつくのは、まだどこかでこの国がそこまでバカじゃないと思ってるからなんだろうか。

だとしたらそこにいちばんムカついてしまう。中途半端なお人好し。どっち付かずは良くない。一度ゴミと決めたものはゴミなんだよ。

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厭な季節の終り

なんだかもう疲れてしまって。

ダメな国のダメな人達のために、いちいち怒ったり嘆いたり声をあげたりするのもバカバカしくなってしまった。
バカが自分で選んだバカに苦しめられて滅んでいくなら自業自得だ。みんなが大好きな自己責任だ。

ただ、まだ小さい子達や次の世代の人達だけは本当に気の毒で仕方ない。
生まれてきたことを恨めよ。親を恨んだっていいんだよ。国に刃向かったっていいんだよ。

自分の人生がいちばん大事なので、とりあえずこんな国のために無理に骨を折るのはやめようと決めた。
どうせ不可能だろうが、できれば国を出たい。

こんな国は棄てると決めた途端に、気が楽になったし、とてもスッキリした。

いろいろと吹っ切ることが出来たのは5月のおかげだ。だから好きさ、5月。

ダイナマイトに火をつけたあとは、自分のいのちを大切にして、さっそく船に飛び乗って、無事息災に逃げのびる手だてを考えたほうがいい。まさか、切っても血の出ない人民のために、バカがあとからよたよた歩いて来る道に、特製の緋毛氈を敷いておいてやるバカも無いだろう。(石川淳「白頭吟」)

いくらなんでもダイナマイトに火はつけないけども、救いようのない国が沈んでいくのを外から嗤って見ていたい。

Waterloo sunset’s fine.

国内でも海外でも、本当に嫌なことや悲しいことばかり続く。
今年の秋にはロンドンに行こうと思っていた。ウェストミンスターの事件はショックだ。
フランスにしろアメリカにしろ、自分が大好きな文化を育んだ土地で酷い事件が起こるのは悲しい。

もちろん旅行をやめるつもりはないし、自分に出来ることは何もないが、お花ぐらいは供えてこようと思う。
少しでも早く平穏が戻ってきますように。

とにかく迎合する前に批判せよが、簡にして要を得た回答となる。

公房「そこで国家は、かつて辺境の「異端」と闘い、国境線を守り抜いたように、こんどは内なる辺境(移動社会)の「異端」にむかって、正統擁護の闘いを開始しなければならなくなった。非国民…排外主義者…秩序破壊者…外国の手先…アカ…全学連…等々」

サイード「集団が信奉する公式見解をくりかえすだけなら、なんとたやすいことだろう」

散人「今の世を見るに、世人は飲食物を初めとして学術文芸に至るまで、各人個有の趣味と見解とを持っていることを認めない。十人十色の諺のあることは知っているらしいが、各自の趣味と見識とはその場合場合に臨んでは、忍んでこれを棄てべきものと思っているらしい」

夷斎「それにしても、ああ、益々御風流……いよいよ、きちがいじみて来た」

K「われわれの救いは死である。しかし〈この〉死ではない」

公房「絶望するのはまだ早い。都市の広場が暗ければ、国境の闇はさらに深いはずなのだ。越境者に必要なのは何も光ばかりとは限るまい」

アレント「最も暗い時代においてさえ、人は何かしら光明を期待する権利を持つこと、こうした光明は理論や概念からというよりはむしろ少数の人々がともす不確かでちらちらとゆれる、多くは弱い光から発すること…」

サイード「たとえほんとうに移民でなくとも、故国喪失者でなくとも、自分のことを移民であり故国喪失者であると考えることはできるし、数々の障壁にもめげることなく想像をはたらかせ探求することもできる。すべてを中心化する権威的体制から離れて周辺へとおもむくこともできる」

ブルトン「いとしい想像力よ、私がおまえのなかでなによりも愛しているのは、おまえが容赦しないということなのだ」

サイード「おそらく周辺では、これまで伝統的なものや心地よいものの境界を乗り越えて旅をしたことのない人間にはみえないものが、かならずやみえてくるはずである」

苦沙弥「個人主義は人を目標として向背を決する前に、まず理非を明らめて、去就を定めるのだから、或場合にはたった一人ぼっちになって、淋しい心持がするのです。それはそのはずです。槙雑木でも束になっていれば心丈夫ですから」

安吾「だが堕落者は常にそこからハミだして、ただ一人曠野を歩いて行くのである」

詩人「人のいやがるものこそ、僕の好物。とりわけ嫌ひは、気の揃ふといふことだ」

ツァラ「自由、自由。ぼくは菜食主義者ではないから、レシピを提供することはできない」

ママ「すべて楽しいことは、お腹にいいのですよ!」